第一章 出発 2



 「いやそんなんじゃないですよ、ナビが故障してるんです。昨夜まではなんでもなかったんだけど、今朝になって急に反応しなくなっちゃって。実はこれを貸すつもりで用意してたんです」

「なあんだ、そんなもんなくったって構わないって。こんだけ人数いるんだから地図見ながら、誰かが誘導するわよ。スマホのナビ機能もあるし心配ないって、これに決ーめたっと」

 それまでの不機嫌が嘘のように、笑顔になった怜子が車内を覗き込んでいる。


「いやいや、社内規則でそれは出来ません。ばれたら俺が怒られちまう、勘弁してくださいよ」

 困り切った顔で、後輩が雄太に視線を絡める。


「大丈夫、大丈夫、壊れてなかったって事にして貨しゃいいじゃん。返却するときに途中で変になったって事にしてやるから、青年よ堅いこと言うな。雄太、早いとこ書類書いちゃえ」

 怜子はもう借りるつもりでいる。


「雄太君なんとか言ってよ、俺クビになっちゃうよ。事務所にいる上司だってナビのこと知ってんだから、誤魔化せないって」

「急にナビ使えるようになったって事にしろ、故障もいきなりだったんだから原因なんてわかっちゃいないんだ。なんとかしろよ、ここで巧くやってくれたら女紹介するぞ。お前彼女いないんだろ、どうすんだよ」


「お、女って──、雄太君だって彼女いないくせに、どうやって紹介するんですか」

「馬鹿! 俺じゃなくって、あの怜子がしてくれるんだよ会社の後輩OLを。ここで機嫌損なうと、紹介してもらえねえぞ」

「OLですか・・・。ホントに紹介してくれるんでしょうね」

 真顔になって後輩が訊いて来る。


「よし、ちょっと待ってろ」

 雄太が怜子に近寄り、後輩の方を指差しなにか言っている。

 怜子が頷く。

 そうして、親指と人差し指で丸を作り笑顔でウィンクする。


「というわけだ、事務所で書類作るぞ」

 顎をしゃくりながら、雄太は簡易な造りの平屋の事務所へと歩いて行く。

「絶対約束守って下さいよ」

 あとを追って、後輩も小さな事務所の中へ入って行った。




 レンタカーショップを出たのは十二時三十八分であった。

 予定では目的地のペンションに、六時前には到着するはずだ。


 ペンション自体には温泉はないが、歩いて三、四分の所に地域の公共温泉施設があるらしい。

 最近になって新しく整備されたらしく、パンフレットによれば大小さまざまな湯船が六つもあるという。


 場所は長野県の戸隠神社で有名な地区の西側に位置した、人里離れた山の中の集落だった。

『茂野延村(もののべむら)』という一般的にはまったく知られていない場所なのだが、温泉施設を整備したのに伴い、これから温泉と緑深い自然を売り物に観光に力を入れていくという内容がパンフレットには謳われていた。




 昨夜満面の笑みで一枚の紙を手に大輔がトイレから戻って来た時、智司はなにか不可解な感覚に襲われた。

 既視感デジャヴと言われている現象だった。


 前にもまったく同じような経験をしており、この先にどんな会話が交わされるのかもすでに決まっているように思われた。

 その感覚通りに、会話は展開された。


「なによその紙、どっから持ってきたの」

 ひったくるように怜子がそれを奪い、内容を確認している。

「いいんじゃない、面白そう。温泉もあって自然の中でのんびりと過ごすなんて、いい骨休めになりそうね」

「だろ、便所の洗面台の横に貼ってあったんだ」

 得意そうに大輔が胸を張る。


「みんなどう、いまさら贅沢言ってらんないからここにしない」

 怜子が他の三人にパンフレットを見せる。

 いかにも手作り感のあるパンフには、まだ新しそうな温泉施設の建物に良い景色の露天風呂、白い外観の小綺麗なペンションと緑の山々の写真があった。


「いい感じだな、ここにしようぜ」

 雄太の言葉に、涼音も頷いている。

 しかし智司は、あまり気が乗らないでいた。

 今まで経験したことのない違和感が、身体全体を包んでいたからだ。


「ねえ、電話番号が書いてあるわ。大輔あんた電話してごらんよ」

 紙一枚だけのパンフレットを突っ返しながら、怜子が大輔へ連絡をしてみるように促す。

「こんな時間に電話通じるかな、駄目元でかけてみるか」

 すでに八時を回っている。


 大輔がスマホを取り出し、書かれている番号を押す。

〝知ってるぞ。電話はすぐに通じて、俺たちはそこに行くことを決めるんだ〟

 智司はどこか遠い世界を俯瞰でもしているような、既視感独特の気分の中にいた。

「はい、ペンションあさかぜです」

 まるで待ってでもいたかのように、ワンコールする間もなく電話がつながった。

 既視感はますます強くなり智司はそのすべてを、一度、いや何度も経験しているような気がした。


〝行っちゃいけない〟

 誰かが頭の中で警告を発していた。




 

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