第22話 それぞれの想い

「あったぞ!あそこまで戻れば」

 前方の虚空には次元の裂け目のようなものがあり、こうこうと光が差していた。

 

 後ろからイザベラの追手と思われるたくさんの魔物達の咆哮ほうこうや足音が聞こえている。

「振り向いてはいけない!走るんだ」

 

 後ろを気にするサラを庇うように並走していたアルカードが振り向かせないようにマントで視界を塞ぐ。

 

 ぐおおおおおおおおおおぉぉ


 あたり一面を轟かすようなイザベラの怨恨のこもった叫びが聞こえていた。

 同時に、背後の追手の魔物達の気配もすぐそこまで来ているように感じる。

 

 ——このままでは追いつかれてしまうかもしれない。幽界の入り口はもうすぐなのに。私がもう少し早く走れれば!

 

 心の声とは裏腹にサラの脚はもつれ、うまく走れない自分に心底腹がたった。


 ふいに出口を目指す一団の中、独りの黒い影が歩みを止める。


「どうしたの?」


 気配に気づいたサラは、聞こえないと知りつつも、つい声を掛ける。


 後ろの追手に向かって殿を務める武将のように剣を構えて仁王立ちになっている影がひとつ。



「シモン!早くっ」



 何が起こっているのかはわからないと言った様子でシモンを見つめる。シモンの背中越しに、殺気に満ちた亡者の群れが確認できた。



「サラ様、今なら私の声が届いていると信じます!」


 幽界で再会したシモンが初めて口を開き、懐かしい声がサラの耳を撫でる。しかし、その声を聞いてもサラの焦りの色は褪せない。


 一呼吸をおいて、シモンが静かに語り始める。


「私にとって貴方はあまりにも遠い存在、雲の上の女性ひとでした。

 サラ様が東方領へ行きたくないと仰った時、恥ずかしながら、私はチャンスだと思ってしまいました」


 不吉な予感にサラはシモンにすがろうとするが、状況を察したアルカードの腕に阻まれる。


「貴方への気持ちを諦めたと言いながら、心の奥底では、いつかこんな日が来るようにと願っていたのです。……ですから、あれは私の責任です」


 そう言うと、シモンはゆっくりと一閃いっせんの構えの姿勢を取った。

 追手の魔物達がどんどん近づいてくる。シモンはまっすぐに前を見据えた。


「さあ!行ってください。ここは私に任せて」


 シモンは剣先に気合いを込めて叫んだ。闘気を纏った背中が大きく震える。


「オルファ、サラ様をお願いします!」


 軽く膝をたわめて、跳躍の構えをとる。


「いやだ!シモン!お願い、一緒に」


 言い終わる前にサラの身体をアルカードとオルファが強引に連れ出す。

 

「サラ様、貴方に会えてよかった」


 その殺気に満ちた姿からは想像できないほど優しい声でサラに語りかけたシモンは、独り亡者の群れに向かって跳んだ。


 すぐ目の前まで来ていた追手の亡者達がシモンが宙から放った一閃で、身体を真っ二つにされて散る。

 後に続く亡者達は一瞬たじろいた様子をみせる。


 北の守護神と呼ばれた彼の強さは本物だった。幽界の猛者どもが相手でも彼の歩みを止められない。

 シモンの周りには亡者の屍の山が累々と築かれてゆく。倒しても倒しても、すぐに次の塊が襲いかかる。それにもシモンは迷いなく剣を奮う。圧倒的な強さだった。


 しかし、それも時間の問題と思われた。敵の数が、多すぎる。

 オルファとアルカードは泣くサラを無理やり連れて幽界の出口へと急ぐ。


「二度もアイツの男気を無駄にするつもりか?バカヤロウ!」

  オルファに怒鳴られ、サラは大きく目を瞠る。


 ——ああ。そうか、私はまた考えるのをやめてしまっていた。


 苦い記憶が蘇り、忘れられない痛みがサラの胸を突き刺す。

 膝が震え、立っているのもやっとの状態だ。


 ——ここで負けてはいけない。今度こそ、シモンが残してくれた道を行かなければ!


 サラは自分の足で立ち、懸命に出口に向かって走り始めた。握りしめた手は震え、瞳は濡れていたが、気丈にも、もう涙は見せていなかった。




 ******




 元の世界に戻った三人は、おぼろげに朱い薄明かりを帯びた中庭を抜け、急いで石棺がある部屋へ向かう。


 イザベラの眠る石棺が少しだけ開いていることを確認し、中を覗く。

 イザベラの遺体は悠久の時を経てすでにミイラ化していたが、普通の人間の1/2くらいの大きさしか無く、身体は奇妙なバランスをしており、それを見たサラの脳裏には彼女の神を呪う言葉が、虚しく思い出された。


 サラが祈りを捧げている間、アルカードとオルファがイザベラの首を落とす。

 ミイラ化した屍体の首はサクリとあっけない音と共に体から離れた。


「……終わった、のか?」

 

 オルファが誰にともなく聞く。


 サラとアルカードも顔を見合わせる。お互いの身体中が傷だらけで血や泥で汚れてボロボロの状態を確認し、薄く笑い合う。

 

 ひとまず地上に戻ろうとした時、屋敷全体が大きく揺れ、建物の壁に大きな亀裂が入る。


「屋敷も、イザベラの魔力によって支えられてたのかもしれない。早く地上へ出るぞ」


 度重なる出来事にうんざりしながらもサラ達は今度こそ光を求めて地上を目指す。その時、サラはイザベラの眠っていた石棺の傍に、棺に身を寄せるような格好で息絶えた大きな犬のミイラが転がっているのを見つける。首の辺りには古びた赤い首輪が巻かれていた。

 

 それはあの鎖につながれた老人を見つけた場所だった。サラは屋敷の中で見た『真紅のドレスを着た女性と犬の絵』が蘇る。


 ——これ以上、彼らが傷つくことがありませんように。


 サラは祈りながら急いで部屋から飛び出した。

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