第21話 対決
暗く、不穏な空気の漂う
「——同じ道じゃない?」
サラが不安を口にする。
「ずっと同じような道だったから、さっきの目印になりそうな赤い岩に印をつけておいたんだ」
アルカードが指差した岩にはナイフで削ったような印が刻まれている。それはアルカードが爪でつけた目印だった。やはり、サラ達は同じ道を何度も走っていた。
急にアルカードが何か強い力に弾かれたように後ろに吹き飛んだ。
「アルッ!」
振り向くと、アルカードの身体は大きな力で岩にめり込んでいた。震える腕だけが見えている。
助けに向かおうとしたサラ達に、聞き覚えのある不気味な声が掛けられた。
「やっぱり来たのね」
「その男は顔は綺麗だけれど、前から反抗的だと思っていたのよ」
急いで防護の術を発動させようとしたオルファも詠唱を終える前に黒い触手に捕まり、身体を激しく地面に叩きつけられる。オルファは反動で杖を落としてしまう。
暗闇から姿を現したイザベラは、サラやその前に立ち塞がるシモンには気を留めず、めり込んだ岩からようやく出てきたアルカードに向かって話しかける。
「どう?記憶を取り戻した感想は?愛した女性はもう、とうの昔に死んでいるんでしょ?あんたが殺されてからもう100年以上も経っているんだから。生きてはいないわよね」
口元しか見えないが、心底嬉しそうに笑ったのがわかった。
「今なら愛しい女の面影を宿した女と暮らせるチャンスよ?その
「お前は何を言っているんだ?」
アルカードが語気を強める。
イザベラが背を向けている隙をついてシモンが剣で切り掛かる。しかし、どこからか大きな岩が飛んできてシモンに襲いかかり、シモンは大岩にしこたま身体をぶつけて倒れた。
イザベラはこちらを見ようともしない。
「アル!シモン!」
思わず叫んだサラに、イザベラが面倒くさそうに手をかざすと、サラの足を絡めとらんと、立っている地面から次々と黒い触手が出てくる。
——!
危ういところでオルファが助けに入り、サラは危険を回避した。オルファの身体は先ほどの戦闘で傷だらけになり、今も苦しそうに肩で息をしている。
オルファは額を流れる血もそのままに何かの護符を取り出し、小声で呪文を唱えると薄絹のような光の衣がサラを包んだ。
「お前、破魔の十字架持ってるだろ?アレ、握っとけ」
オルファが息を切らせながらサラに指示する。
「この結界は聖なる力だから、アルカードやお前の背後霊には使えないが、お前が十字架を手放さない限り、この光が守ってくれる」
こんな奴に効果が在るかはわからないが、と
イザベラは相変わらずアルカードを標的にしたままのようだ。
「愛なんて、所詮死んで終えば終わり。その存在の証明のしようもない。神も同じ。本当に助けて欲しい祈りには応えてくれなかった。それじゃ、最初から無いのと同じ」
言いながらイザベラの身体はどんどん膨れ上がってゆく。
幽界全体の黒い空気が震え、あちこちで邪悪な旋風が巻き起こる。
「でも、力は違う。私の思い通りにすることができる」
イザベラの背中にいくつも苦悶の表情を浮かべた
オルファは、吹き荒れる風に身を固くしながら呟く。
「まずいぞ。幽界では想いの強さがそのまま力になるんだ。イザベラの恨みの力がこれほどまでに大きいとは……こんなやつと正面から戦っても勝てない」
サラは十字架を胸元で強く握りしめた。
「神などいない。私には力が唯一の正義だった」
一際大きな突風が吹いた後、雷のような轟音と共にイザベラはすっかり本来の姿を現した。
たくさんの人間の怨念を背負い赤黒く膨れ上がった身体は小山ほどの大きさになり、背からは蜘蛛の脚のような歪な形の大きな腕が生え、その姿の醜怪さを際立たせていた。長く乱れた邪悪な黒髪が舞い、その間から火傷の痕のように醜く溶けた顔がのぞく。
大きな腕がサラ達を薙ぎ払う。そのあまりの早さにオルファもサラも身動きが取れない。
ザシュッ!!
いつの間にか傍にいたシモンが間一髪でサラを守る体勢をとる。幾度も前衛として攻撃を防いでいるシモンの姿にも疲れが見え始めていた。
一瞬の隙をついて、アルカードがイザベラに飛び掛かるが、イザベラの大気を震わせる咆哮の反撃にあい、その攻撃は容易く受け止められてしまう。
「生まれながらに美しいとは……本当に羨ましいわね」
大きな腕に捉えられながら、凄艶に歪んだアルカードの横顔を覗き込んでイザベラが悩ましいようにため息をつく。
気付けば、すぐ隣から杖を持ったオルファの詠唱が聞こえる。
「大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを守り、悪魔の凶悪なるはかりごとに勝たし——」
——オルファが何かするつもりだ!私も何か、イザベラの気を引かないと!
サラは震える手で胸元の十字架を握り直し、イザベラに話しかけた。
「イザベラさん、辛かったですよね……」
イザベラは今まさに大きな手でアルカードを握りつぶさんとした状態のまま、ゆっくりとサラの方に顔を向けた。
「アナタは夫になる人が心から安らげるようにと、あの寝室を
あの寝室の造りを見ればわかります。安心できるような、素敵な空間ですもの。
屋敷の作りだってそう。本来は女性的で優美な建物だったのを、彼の好みに作り変えたんですよね」
イザベラの顔は闇に覆われているため、その表情はわからないが、サラは無言は肯定の意と捉え、なんとか恐怖を隠しながら話を続ける。
「でも、薄情な男は愛人と使うことしかしなかった。さらに、卑怯にもあなたに無実の罪を着せて、亡き者にしようとした。これが悲しくないわけないです。傷つかないわけないです」
イザベラが初めてサラに応える。
「夫は私を見てくれなかった。私はあの人に全てを捧げたのに。
——私が醜かったから」
「いいえ違います。あの男が悪かったのです。アナタを騙し、財産を奪い、破滅に追い込んだ、本当に悪魔のような男です」
「アナタは、ただ自分もいつか幸せになりたいと願っただけではないですか?」
「……」
イザベラは相変わらず背中の大きな腕でアルカードを捕まえたままだったが、何かを考えるようなそぶりをしている。
「人は同じ信念の元に集い、互いに補い合って歩んでゆきます。それはお互いに敬い、愛しむ心があるからです。あなたの夫になった悪魔のような男には、そんなものはありませんでした。ただ、己の欲を満たすためだけに、アナタを欺き、蹴落とし、苦しめた」
「そうじゃ。あの男は、悪魔じゃった」
イザベラがくぐもった口調で憎々しげに呟く。
「霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊する魔物及びその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え!」
オルファの詠唱が終わるのと同時に、激しい光の矢がイザベラを貫く。
アルカードを拘束していた力が緩む。光に照らされたイザベラは苦しそうに吼え、二、三歩退いた。
「うがっぐぐぐっ」
アルカード、オルファ、シモンの三人の男達はようやく体制を立て直し、サラを守るように陣形をとった。サラは続ける。
「でもアナタにも楽しかった時があったはずです。思い出してください。
その存在を認め、愛情を持って接し、愛しんだ者達を」
言いながら、『汚れた赤い首輪』をイザベラに見えるように掲げて見せる。
「ああああがぁあぁぁーーーー」
イザベラが頭を抱える。周りに吹き荒れていた風がその威力を弱めたのがサラにもわかった。
「よし!イザベラの力が弱まった!今のうちに……」
オルファの掛け声でサラ達が退却のため身を翻した瞬間、
「逃がさん!」
突然頭上からズシンと重さのある衝撃波が襲い、サラ達の行動を阻む。
「殺す!全てが憎い!どうして私だけが……」
激しい地響きと揺れ、大きな気流の乱れが生じ、全てを飲み込むような逆風がサラ達を襲う。抗いたい思いとはうらはらに身体はどんどんイザベラの方へ吸い寄せられてゆく。
さすがに、もうアルカードやオルファ、シモンにもこの状況に抗う力は残っていないようで、三人ともただこの状況に耐えるだけだった。
——もうだめだ……。ここまでなの?
諦めかけたその時、
「イザベラ様!お許しください!」
地下に鎖でつながれていたはずの、あの首枷をつけた老人がどこからか現れ、イザベラに体当たりをした。
「ぐうっ!お前!何をする!」
老人はその細い身体のどこにそんな力が残っていたのか、撥除けようと激しく抵抗するイザベラの首に自らの鎖を素早く巻きつけ、互いの身体が離れないようにして言った。
「お嬢さん、その首輪を私に投げてくだされっ」
サラが戸惑いながらも言われた通りに老人へ赤い首輪を投げると、宙を舞う首輪は老人の身体を共鳴するように強く光り、イザベラの身体に纏わり付いたまま老人の身体は、まばゆいばかりの光に包まれた。
サラが次に目を開けた時、そこには大きな白い獣の姿があった。白い光を放つ獣はイザベラの喉元に食いついて押さえつけていた。獣がサラ達に呼びかける。
「ワシは、長らく悪魔にかけられたこの忌まわしい呪いを解いてくれる人を待っておった。きっと
大きな獣とイザベラがもんどり打って転げ回るたびにその衝撃で地面が揺れる。イザベラの大きな腕から伸びる鋭い爪が獣の肉を切り裂き、耳をつんざくような獣の雄叫びと大量の血が飛び散る。
「おじいさん!」
「よせ!あいつも今がイザベラをやる好機だと思ってるんだ!その期待に応えてやろう。俺たちができることをするんだ」
獣に駆け寄ろうとしたサラをオルファが制し説得する。その表情からサラと同じ悔しさを読み取ったサラはオルファの言う通り、イザベラを獣に任せ、脱出を決意する。
——おじいさん。ありがとう。
アルカード、オルファ、サラ、シモンは早く行けと言わんばかりに猛る獣にその場をまかせ、イザベラの絶叫と荒れ狂う砂嵐の中、必死で出口へと向かって走っていった。
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