第17話 記憶
屋敷の客室に戻ったサラとオルファは、日が暮れて姿を表したアルに、早速地下で手に入れた
「ありがとう。これでやっと私が何者で、どうしてここに居るのかわかるのだな」
薬瓶の妖しい輝きを眺めながらアルカードは感慨深そうに息をつく。
あの石棺につながれた老人はこれで彼が記憶を取り戻し、ただの
彼の未練とは一体なんなのだろうか。
「うっ」
アルカードがポーションを飲むと、とたんに息が荒くなり、胸を抱えてのたうち回る。
「アル!大丈夫?」
心配そうに駆け寄ろうとしたサラをオルファは押し留める。今は近寄れる状態ではなさそうだ。
アルカードの綺麗な指がブルブルと震え、色が変わるほど強く握りしめられた。その後に頭を抱えて苦しそうに暴れ出す。
彼は吸血鬼ではなくなったのだろうか。
「あぁ……思い出した。思い出したぞ!」
アルカードは地面に突っ伏した姿勢のまま、やっと絞り出すような声をあげた。
「私は……病の薬を……コーネリア!」
突然アルカードがサラの肩を掴んで、まじまじと顔を覗き込む。その震える瞳には恐れの色が見えた。
オルファはアルカードに向かって杖を構え、警戒しながら二人の様子を見守っている。
「なんてことだ。君は……。瞳の色と髪の色、全体的な雰囲気は似ているが、君はコーネリアではない!」
「コーネリア?」
サラは急に別の女性の名前で呼ばれて狼狽する。
「おい!アルカード、記憶が戻って混乱しているのはわかるけど、ちょっと落ち着いてから話せよ」
見かねたオルファが二人の間に割って入る。
「——あぁ、すまない」
アルカードは自分を落ち着かせるかのように口を覆うように指を組んで、しばらくソファで何事かを考えている様子だった。美しい横顔はそのままだが、その表情やしぐさに焦燥感や焦りが見られる。
——コーネリアとは、誰なのだろうか。私に似ている?
アルカードに質問を浴びせかけたい気持ちはあったが、サラは堪えた。
きっと、全てを一度に思い出した彼の方が混乱しているに決まっているのだ。
しばらくすると落ち着いたのか、いつもの高貴さをまとった印象の彼に戻っていたがその表情にはどこか侘しさが漂っているように見えた。
「一気に色々と思い出して——。すまなかったね」
サラに改めて向き直ってアルカードは謝罪し、取り戻した記憶について語り始めた。
「私はルーシュ公爵家の者だった。確かに北方領のルーシュ公爵家の嫡男だ。薬屋で身を立てた一族で、大きなハーブ園や荘園があった。家紋は月落ちの青いアネモネを模ったものだ」
アルカードがサラの髪を懐かしそう眺めながら続ける。
「……サラ、君の生家であるランカスター家に結婚を申し込んだ女性がいたんだ。
彼女も、綺麗なすみれ色の瞳に亜麻色の髪を持った女性だった」
オルファがどの時代の人間か?とアルカードに問うと、現在から150年ほど昔の王の名を告げた。
「名前をコーネリアと言って、とても優しくて綺麗で、それでいて頑固で……」
アルカードはまるで、君にそっくりだったと言うような懐かしそうな視線をサラに向ける。
「彼女と私の結婚は親同士の約束で決まったものだったが、私たちはお互いをとても尊重し合っていて、結婚は誰にとってもいい話だった。
その証拠に、私たちが結婚した後には、それぞれの紋章である赤と青それぞれのアネモネを取り込んだ新しい紋章を作成し、両家の繁栄と絆を示すものとして私たちの代から使っていこうという話になっていたんだ」
しかし、その幸せは長くは続かなかった。とアルは言葉を重ねる。
「まもなく、コーネリアが病に伏した。とても珍しい症状で、この病を直すには、どうしてもここ、南方領にしか咲かない薬草を取りにいく必要があった。もちろん私は志願した。未来の妻を救うために自分が行かなくてどうすると思った」
「それで、この地で命を落としたのですか?」
「……そうだ。病にかかった婚約者のために、南方領にしか咲かないという薬草を取りにこの地に来て、帰り道で山賊どもに襲われた。殺され、死体はこの廃墟にうち捨てられた」
「直前に寄った町で、この屋敷が山賊の根城になっていて危険だと言うことは聞いていたのに、私はここを通った。時間が……惜しかったからだ。危険なことはわかっていたのに」
そういいながら眉根を寄せたアルカードの横顔には悔しさが滲み出ていた。
「その後はこの廃墟に巣食う怨念であるイザベラに取り込まれ、吸血鬼として操られていたというわけか」
オルファが話を引き継ぐ。
「サラに渡したハンカチの刺繍は、結婚を楽しみにしていたコーネリアが病の床でもできることをと、新しい紋章を刺繍して、旅立つ私にお守りとして渡したものだった……」
サラには次にアルカードが言いたいことは予想がついていた。それはサラ自身も知りたいことだった。
「コーネリアは……助かったのだろうか。彼女は……誰か他の男と結婚して、子供を残したのだろうか?サラ何か懐かしい感じがしたのは、サラはコーネリアの子孫なのか?」
「君の家の歴史に、コーネリアという女性が居たことは知らないか?」
生家には家系図を記した一族史があったが、サラは自分の記憶にある曽祖父くらいまでの情報しか真剣に読んだ記憶が無かった。150年前の人物では、それ以前の人物であろうことは容易に想像でき、サラは本当にすまなそうな表情で知らないと答えた。
「そのコーネリアってのはもう、とっくに転生してるんじゃないか?」
とまどうサラに助け舟を出すようにオルファが口を挟む。
「未練もなく亡くなった魂というのは、大抵は50年くらいでまた人間に転生すると言われている。
これは俺も確かめようがないから、事実かどうかはわからないが、もしそうなら、アルカードの大事な婚約者ってのは既に何度が転生してるってことになるんじゃないか?」
アルカードはすがるような視線をオルファに向けて話を聞いている。
「たとえば、目の前のサラになってたっておかしくはないんだぜ?」
オルファの発言に、気圧されたようにサラは息を吐いた。
——私が?アルカードの婚約者さんの……生まれ変わり?
思わずアルカードの方を見つめると、目があう。その表情には何かしらの期待が含まれているような気がした。何か、彼の期待に応えられるような回答を、持ち合わせているのだろうかとサラは考える。
身に覚えのない約束などないだろうか?アルカードに出会った時にどこか懐かしいような気がしなかっただろうか?自身に問いかけるサラの表情は緊張で強張る。
その様子を見たオルファが、自身の発言を撤回するかのようにあわてて取り繕う。
「まぁ、生きてる人間の時間は前に進むってことだ。死んだ人間の時間はそこで止まっちまうがな」
サラはだからこそ、私たち生者が死者の時間を動かしてあげることが必要なのではないかと感じていた。アルカードの止まってしまった
「時間が止められたら、どんなによかったか……」
アルカードが痛ましい悔恨の表情を顔に刻みつつ呟く。場の空気がいたたまれなくなってきたのを感じてか、オルファは少し明るい声色で両手のひらを上に挙げて提言した。
「詳しいことはわからねぇけど。とにかくアルカードはサラと同じ北方領から来た人間だってのはわかったし、
この場所の地縛霊みたいになってんのも、恋人の病を直すために領地に帰りたがってたってことが原因だってわかったのはデカいぜ」
アルカードは同意するかのように大きなため息をついて項垂れた。
「とりあえずは、アルカードの遺骨を見つけて、故郷の地に戻してやればいいってことだろ」
オルファがまとめる。あまりにも簡素にまとめ過ぎていると感じたが、コーネリアという女性が既に亡くなっていることは事実であろうし、二人を生き返らせるという奇跡を起こすことはできない今、起きてしまったことについてなんらかのケジメをつけるとしたら、彼の意見はもっともなのかもしれないとサラは感じていた。
「私、必ずアルを故郷へ連れて行きます!」
サラは俯くアルカードの顔を覗き込み、まっすぐに見つめて言った。
「私の故郷には見渡せる丘一面に青いアネモネの群生地があるんです。そこが、もしかしたらルーシュ家の跡地かもしれない。その場所にアルの遺骨を埋葬すれば、転生することができるかもしれない!今は転生してどこかにいるのかもしれないコーネリアさんを探すこともできるかも」
とてもじゃないが、自分がコーネリアの生まれ変わりだという可能性についてサラは口に出せなかった。アルカードの目はサラを捉えてはいたが、その瞳にいつものような輝く生気は見られない。
サラは彼がそうしてくれたように、アルカードの頬を両手で包み、優しく撫でながら声をかける。
「大切なのは『信じて向かおうとする意志』だと教えてくれたのはアル、あなたですよ。向かおうとする意志さえあれば いつかはたどり着けるでしょう?」
アルカードの手を取りながら、サラはキッパリと言った。
「いつか会えることを信じましょう」
「ここまできたんだから、せっかくなら全部片付けちまわねぇと気持ち悪い」
相変わらずの物言いのオルファも、面倒そうに協力を申し出る。
「……ありがとう。よろしく頼む」
アルカードは少し考えるようなそぶりを見せた後、その綺麗な瞳に涙を湛えたまま、二人に向けて笑顔を作る。その顔にはもう寂しさや苦痛の色は見えなかった。
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