第16話 隠し部屋2

 老人は生前、イザベラの従者として仕えた者だと名乗った。


 「幼い頃から植物や動物、音楽が好きで、心やさしいイザベラ様は屋敷の皆に愛されとりました。

 

 そんなイザベラ様が成長し、結婚が決まったと伝えられた時は、皆が喜び、イザベラ様もとても幸せそうじゃった。ワシもとても嬉しかったのを覚えていますじゃ。

 しかし、そんな幸せは長くは続かんかった。結婚した相手の男が、まるで悪魔のような男でのう。


 屋敷を増築し、毎晩のように贅を尽くして遊びイザベラ様の財産を食い尽くした。それだけにはとどまらず、愛人と結託してイザベラ様に毒を飲ませ、人前に出られないような醜い容姿に変えてしまったのじゃ」


 老人は思い出すのも忌々しいとうように、糸のような目をさらに細めて俯いた。


「さらに冤罪の黒魔術儀式をでっちあげて魔女裁判にかけ、残り少ない財産さえ没収し、イザベラ様を亡き者にせんとした。

 その時のイザベラ様が見た絶望の景色は、筆舌に尽くし難いものだったじゃろうな。もはやワシには想像も及ばぬ」


 老人は天井から吊るされた呪物のようなもの達を眺めながら続けた。

 

「魔女裁判の判決は有罪。七日後の処刑が言い渡され、屋敷の東の塔に幽閉されたのじゃ。

 最初はひたすらに泣き暮らしていたイザベラ様もついに涙も枯れ果てたのか、何もしなくなっとった。


 何も食べない、何も見ない、何も喋らない、何も聞かない」


 サラにも心当たりがある感情だった。深い絶望と怒り、憎しみ。サラは胸のあたりが苦しくなり、きゅっと唇を結んだ。


「無情にも時間は過ぎてゆきました。とうとう明日、朝日が登ったらイザベラ様は処刑されるという日、ワシは無力感にさいなまれながらもイザベラ様へ寄り添うことしかできんかった。すると、久方ぶりにイザベラ様はワシに声をかけてくだすった。


『もういいの』と


 その時のイザベラ様の表情は、今までの虚な様子から一変、何か地獄の底から凶悪な復讐の炎が燃え盛っているような険しい表情をしとった。

 そして、イザベラ様は昨晩見たという夢の話をされたんじゃ。

 

 なんと、今は亡き先代、イザベラ様のお父上が夢枕に立ち、こうおっしゃった。

『我が華麗なる一族は悪魔と契約せし一族である。この屋敷の地下に悪魔を呼び出すための書を隠さん』

 イザベラ様は夢のお告げの通り、幽閉されていた部屋を抜け出し、この部屋に辿り着きましたのじゃ」


「でも、どうやって……」


 ここまで静かに聞いていたサラが口を挟んだ。この地下の部屋までには隠し通路があるとはいえ、屋敷のホールや食堂など目立つ場所を通らなければならないはず。貴族とはいえ幽閉中は監視の目もあり、抜け出すのは難しかっただろう。


「イザベラ様のお身体は、生まれながらに普通の人間のそれより小さかったのじゃよ」


 言われて、サラは西の部屋で見た『女性と犬が描かれた絵画』のを思い出した。

 確かにあれは女性の隣に描かれた犬と、椅子のバランスがおかしかった。

 大人の女性の姿をしていたが、頭が大きく描かれ、等身が隣にいる大型の犬や椅子の背もたれほどしか無かった。


 老人は続ける。


「イザベラ様は、小さな身体を活かして各部屋をつないでいる通風口や排泄物を流すための溝を通って部屋を抜け出し、太古の時代にあったというこの儀式の間に辿り着いた。そして悪魔の書を手に入れ悪魔との契約を交わしたんじゃ」


 老人は、天井を仰いだまま、その時のことを悔やむかのように目を閉じる。


「イザベラ様は悪魔に、自分を謀った夫と愛人を地獄に落とし、永遠に苦しめることを望んだのじゃ」


「地獄に……」

 サラは以前イザベラの顔のない暗闇を覗き込んだ時の光景を思い出し、背筋を虫が這うような気味の悪い戦慄を感じた。


「今でも彼女の夫と愛人の姿はイザベラ様の顔を覗き込むとその姿を現す。串刺しにされても、皮を剥がれても死ねない。何百年経った今でも変わらずに苦しんどるんじゃ」


 言葉を失い、ただ目の前の老人を眺めることしかできなかった二人にむかって老人は場違いのように明るい声音で言った。


「イザベラ様の気が済んだら、ワシは一緒に地獄に落ちる覚悟がある。あの方はとても悲しい運命にあったし、可哀想な人じゃった。しかし、その怒りで多くの人間を巻き込み過ぎた。やはり悪魔と契約した人間は地獄に落ちる運命なのじゃろうな」


「そんな……」

 悲しいこと——。サラは言いかけたが、言葉にならなかった。

 老人は諦観したようにサラに笑って見せた。


「ワシはこれ以上あの方に罪を重ねてほしくない。イザベラ様が正気に戻り、少しでも罪を軽くできるのならば、あんたらに協力しよう」

 そう言って、盗んだ記憶の隠し場所について教えてくれた。


 記憶の隠し場所は祭壇の一部をくり抜いた隠し金庫のような場所にあった。

 いくつかの宝石と一緒に薬瓶ポーションだが並んでいて、その中にアルカードの目の色と同じ綺麗な金色の液体が入った薬瓶があった。おそらくこれに違いない。


 これでアルの記憶を取り戻すことができる!サラは嬉しくなった。


「それを記憶を戻したい男に飲ませよ。それで記憶は戻るはずじゃ。

 しばらくは魔物としての能力が残るが、魔物としての彼はじきに消滅するじゃろう。

 残念ながらそれだけでは霊魂れいこんはここに束縛されたままじゃが」

 

 老人は続ける。


「その男がこの地に縛られている原因を取り除いてやる必要がある。そうすれば、また人間に転生できるようになる」


「この地に縛られている原因?未練ってことか」

 オルファが聞き返す。 


「それは男の記憶が戻った時に、自ずと語りはじめるじゃろう」


「イザベラを退治するにはどうしたらいいんだ?」

 オルファがあけすけな態度で聞く。


 老人は一瞬言い淀む態度を見せてから、とまどいつつ返答する。


「……イザベラ様本体の首を落とす。それでイザベラ様に取り憑いている悪魔ごと退治できるはずじゃ。しかし、先ほども言った通り、イザベラ様の就寝中は石の蓋は悪魔が封印しているので動かすことはできぬ。

 もし……もしもイザベラ様の身体に触れようと思うのなら、イザベラ様が悪魔と交信している時、イザベラ様がなんらかの儀式をしている時や、悪魔に会うために幽界ゆうかいに訪れている時に来るがいい。その時には石棺の蓋は開いているじゃろう」


 老人は話疲れたのか、一息ついて、身体を石棺に預けた。あまり長く話をさせるのは危険かもしれないと思ったが、サラは聞かずにはいられなかった。


「あなたは、どうしてここに繋がれているの?」


「ワシはイザベラ様が小さな頃からずっと、その成長を見守っておった。

 あの方を独りになんてできんよ。あの方が石棺に入る時、ワシも自ら供を願い出たんじゃ。離れることが無いようにと」

 老人が寂しそうな笑みを作る。


「あなたはイザベラの事を深く愛しているんですね?」


 サラに言われた老人は、しばらく躊躇したあとに思い切ったように答えた。


「そんな大それたものではないんじゃ。ただ、ワシはあの方の側にいることしかできん。止めるすべも持たない。それだけじゃよ」


 老人は、ありがとう。とサラに静かに言った。同時に、何か思い出したように祭壇の隅に置かれた小さな箱を指さす。


「あの箱の中身を持ってゆくといい」


 サラ達が老人の言う箱に近づくと、そこには幼い子供が宝物を入れておくような、綺麗な絵が描かれた箱が埃と泥にまみれてひっそりと置いてあった。

 蓋が錆びついてなかなか開けられなかったサラを見かね、オルファが箱を開ける。

 中には色褪せた薔薇ばらの栞、古びた羽飾り、汚れた赤い首輪が大切そうに入れられていた。


 「あの者たちも、それを見れば思い出すじゃろう。ワシらの幸せだった日々——」


 老人は、それきり黙り込んだ。どうやら話し疲れて寝てしまったようだった。


 サラとオルファは念の為、イザベラの身体が眠っているという石棺の蓋を動かしてみたが、重く冷たい石の蓋はびくともしなかった。


 サラとオルファは老人を起こさないように、そっと暗く寂しい隠し部屋を後にした。

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