第11話 サラの過去

 私にはシモンという幼馴染おさななじみの男性がいました。


 シモンは私が生まれた年に父が奴隷市場から連れてきた少年だったそうです。

 兄弟がいなかった私の兄がわりにと、歳の近い少年を選んで連れてきたと言っていました。おそらく父はシモンを私の遊び相手兼、護衛役として考えていたのだと思います。


 私たちはいつも一緒でした。

 私は故郷ではある貴族の令嬢として育てられておりましたので、なかなか自由に外で遊ぶことも許されていませんでした。

 私が教育を受けている間にシモンは剣術や馬術の修行を、ダンスや楽器などの習い事の時間には読み書きを、そしてほんの少し空いた時間には、お互いの場所を訪ねては愚痴を言い合ったり、ふざけあったりして日々を過ごしておりました。


 私はシモンによく懐いていました。シモンもとても面倒見がよく、幼いながら剣も立ちましたし、度胸もあったので、よく二人で秘密の冒険をしました。あの頃は本当に楽しかった——。


 私が18歳になった時、縁談が持ち上がりました。


 相手は東方領で金融を営む貴族の次男です。私の生家は商船などを所有しておりましたので、新しい船を作るため、設備投資などで金融関連の家との繋がりを持つことは一族にとってもいいと父が判断したのだと思います。


 異論はありませんでした。貴族の結婚とはそのようなものだと教えられていましたから。


 体面を保つために、社交界のしきたりを学び、政略的に結婚し、一族をより繁栄させてゆく。

 そんな世の中の駒の一つでしか無いと言うことは幼い頃からわかっていたつもりでした。


 しかし、私は一度だけ、弱音を吐いてしまったのです。


 結婚に期待はしていないと言いつつも、一体どんな方が自分の夫となるのか私は気になってしまいました。

 浅はかにも先方の屋敷へも出入りがあるという商人に、こっそりと東方領のお相手のことを調べてもらったのです。


 残念ながら、商人が報告してきた内容は私の望んだものではありませんでした。


 お相手の貴族男性は、様々な女性を渡り歩いては、トラブルになるとお金で解決することを繰り返していると商人は申しました。また、彼自身は初婚ではなく、私で三人目の花嫁だということ、以前の妻はどちらも若くして病死されていることを聞きました。

 おまけにひどく暴力的な側面があり、邸宅には女性を折檻するための秘密部屋まであるらしいと言うのです。


 私は、愚かにもそれまでの貴族に対する諦念ていねんなぞ忘れ、そんなところに輿入こしいれすることに恐怖を抱きました。

 さらに軽率なことに、一緒に商人からの報告を聞いていたシモンの手を握り「行きたくない」と自分の中の正直な気持ちを打ち明けてしまったのです。


 私の言葉を聞いた時のシモンの表情は、今も忘れられません。


 翳った目と引き結んだ口元。理性と本能が真っ向から対立しているような、内面に吹き荒れている葛藤の嵐が表情に現れているような顔をしていました。


 それから婚姻までの間は、あまり記憶がありません。部屋に閉じこもり、絶望のあまり泣き暮したような気がします。自然にシモンと顔を合わせることも少なくなっていました。

 このとき、私はすでに自分の事で手一杯で、シモンにこぼした愚かな言動さえ忘れていました。


 自分の家で過ごす最後の朝、私の主人となる東方領の貴族が迎えにきました。馬車に乗り込んだ私を見送ってくれた家人の中に、シモンは居ませんでした。


 別れの挨拶もできぬまま離れ離れになってしまうことに寂しさは感じましたが、それも私の運命さだめと諦め、私は屠所の羊のような門出を切りました。


 花嫁を運ぶための馬車は、通常の馬車とは違い、豪奢ですが外を覗けるような大きな窓はついていませんでした。何故か、乗り口の扉は内側からしか開けることのできない構造で、ほんのわずか、片側面の上方に明かり取りの窓があるだけのほとんど牢獄のような状況で、初めてお会いする旦那様との長距離の移動は、私には苦痛でしかありませんでした。



 事件は、東方領へ赴く馬車の中で起こりました。


 驕奢な馬車が関所を越え、東方領の薄暗い山道に入った折り、馬車の外で何かが倒れる音がして、馬が脚を止めました。


 旦那様は車内に唯一ある小さな窓に近づき外の様子を伺おうとされました。

 突然、ガラスを突き破り大きな手が旦那様の頭をつかみ、窓枠に何度も叩きつけました。

 旦那様の顔面には小さなガラスの破片が無数に突き刺さり、額から溢れ出した血がまばらに光っておりました。


 馬車の外を誰かが歩く音がします。


 誰か、旦那様に恨みを抱く人間が馬車を襲撃してきたのかと、私は怯えていました。

 足音は窓とは反対側にある馬車の出入り口で止まりました。

 そして私呼びかける耳懐かしい声がしたのです。


 「サラ様、一緒に逃げましょう」


 まぎれもなく、シモンの声でした。

 

 「ドアを開けてください。私と一緒に逃げましょう」

 

 もう一度彼の声が聞こえました。私は、最後に顔を見ることができなかったシモンに会えることを嬉しく思い、すぐに馬車のドアに手をかけました。


 しかし、その瞬間私の中で疑問が湧き上がりました。


 ——どうして逃げるのか

 ——逃げてどうするのか


 足元には顔面を血だらけにした夫、正式にはまだ式をあげていませんので東方領の貴族が倒れています。この状況から外の御者も意識がないものと思われました。


 この残酷で非道な貴族は、私が家人と婚姻を破棄して逃げたことを知ったら、どんなに怒り狂うでしょう。きっと地の果てまで私たち二人を追い回し、捕まえて八つ裂きにするに違いありません。

 私の家族にも累が及ぶかもしれません。家人が起こした不祥事に父や母はどんなに謝罪しても許されないでしょう。

 

 そんなおぞましいことが、どうしてできましょうか?


 私は、馬車の外から呼びかけるシモンにしばらく応えませんでした。恐ろしかったからです。

 シモンではありません。ドアの外に待っている現実に怯えていたのです。


 今、冷静になって考えればアルカードのような覚悟が私には無かったのだとわかります。


 己の行動の責任をとる、それで周りがどうなろうと構わない。そんなふうには考えられませんでした。

 当時の私は猫に睨まれたネズミでした。ただただ怯えた子ネズミのように、身体はこわばり、思考は凍りついていました。


 どのくらい時間が経ったのか、シモンは私にドアを開けるように呼びかけるのをやめ、最後にひどく切なそうな声で言いました。


「せめて、最後に顔を見せてください」


 私も彼に会いたい気持ちを抑えることができず、とうとう我慢できずにドアを開けてしまいました。


 そこで見た姿が、生きている彼の最後の姿になりました。


 開いたドアのすぐ向こうには鬼気迫る表情かおのシモンが立っていて、今にも私の腕を掴まんとしていました。

 きっと、私が言うことを聞かないので無理矢理にでも連れて行こうとしたんだと思います。彼にはそれくらいの覚悟が見えた。


 しかし、同様にシモンの肩越しに東の関所から来た憲兵が弓を構えているところも私の瞳は映していました。


 あっという間もなく、護衛が放った矢がシモンの喉元を突き破りました。


 シモンは一瞬何が起こったのかわからないと言うような表情をした後、喉元に刺さった矢にゆっくりと手をかけました。

 彼は自分の喉に刺さった弓の形を確かめるように手を動かすと、悟ったように息を吐きました。

 

 私は、その時シモンが何か話したように見えましたが、シモンの口から漏れた息は言葉にはならず、ただ血が吹き出すボコボコという音が聞こえただけでした。


 そこでシモンは命を落としました。


 東方領の貴族の命は助かりました。しかし、花嫁を使用人に奪われたということで面子が丸潰れだと、その憤りは激しく、シモンの死体は北方領に還ることはなく、八つ裂きにされて荒地に放り出されました。シモンの遺体は可能な限り回収するように父に願い出ましたが、当然そんなことが受け入れられるわけもなく、北方領に取り戻すことができたのは、先方から送り返されてきた彼の頭部のみでした。


 相手はとんだ厄介者と婚約してしまったと思ったでしょう。

 もちろん、私との婚約も破談となり、父と母は謝罪に奔走しました。


 噂は領地内でもすぐに広がりました。

 私を非難する噂ではありません。シモンを貶めるような話ばかりが聞こえてきました。


 「勘違いした家人がご令嬢を攫っていったんだと!身の程もわきまえない奴だ!」

 

 「お嬢様もとんだ疫病神をやとっちまって災難だねぇ。おかわいそうに」


 面子を潰された東方領の人間が広めた嘘の噂だと思いましたが、もしかしたら父が何か根回ししたのかもしれません。真相はわかりません。


 でも、私はそんな話聞きたくもなかった。シモンは何も悪くないのです。


 いっそ私を罰してくれればいい。罵詈雑言でなじり、石を投げてくれればよかったのに。

 少なくとも当時はそう思っておりました。でもそうじゃなかった。外に出れば何も知らない好奇の目をした人間が私を励まそうとシモンを貶めることをいいます。私は部屋に閉じこもるようになりました。


 食事も喉を通らず、私の生活は動物以下に成り下がりました。あまりに酷い有り様を心配した父に、母も花嫁修行でお世話になったという、巨大な岩山の頂きにあり世間とは隔絶されたメテロア修道院でしばらく生活するように命じられました。


 世間の目や悪い噂から隔離された神聖な修道院での生活は、私を少しずつ立ち直らせてくれました。だんだんと、陽が出ている時間に起きられるようになり、悪夢にうなされる夜もだんだんと少なくなりました。

 私の犯した罪は消えないけれど、死にたいと考える日はあまりなくなりました。


 そんな折、修道院長のシスター・マザーに旅をすすめられたのです。

「あなたは貴族社会や社交界以外の広い世界を見てくる必要があります。祈りながら世界中を旅してきなさい」

 そう言われ、今日まで無事に旅を続けてきました。

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