第4話 吸血鬼ふたたび

 町で買い物などの細々した用事を済ませていると、いつの間にか日が傾いていた。


 昨日入った門とは別の入り口から丘の屋敷の中庭に侵入すると、そこには見事な庭園の跡地が広がっていた。


 すでに干上がってしまっているが、人口の小さな池の跡や、アプローチの入り口に設置されたアーチ。なんの種類かわからないが、大きなとげを持つ薔薇のような植物の蔦が絡まっている。


 館の主人は庭いじりが好きだったのだろうと思いながら、すでに暗くなり始めている庭を散策していると、後ろから声をかけられた。


「お嬢さーん!どっこ行くの?」


 軽い口調に戸惑いながら振り向くと、昔どこかの国で見たことのあるサーカスの団長のような風体の若い男が立っていた。すらっとした体型に青いタキシードが印象的だ。


「どこも。ここに一晩泊めてもらおうかと思っていました」

 警戒するそぶりをして愛想なく答えると、男は大袈裟に驚いたような表情で両手を自分の頬に添える。


「ええ〜!ここ、幽霊が出るって噂の場所だよ?知らないの?それとも迷っちゃった?」

 質問を投げかけながら、サラの肩や腰に触れようとしてくる。


——この人、なんだか馴れ馴れしくて嫌だわ。


「この先に綺麗なステンドグラスがある礼拝堂があるんだ、ちょっと見に行こうよー」


 男は人懐っこく言いながらサラの腕をとる。身を捩ってかわすが、この男、なかなかにしつこい。困惑顔のまま愛想笑いを浮かべていると、急に一羽のコウモリが男の顔に飛びかかってきた。


「わっぷぷぷぷっ!」


 なんだ?と辺りを見渡す男を見下げるように、昨日会った吸血鬼が立っていた。


「相手を魅せることもできずに無理やり連れ去ろうとするとは、吸血鬼の風上にもおけんな」


 風上にもおけないと言われた男は、目の前の吸血鬼に向かって叫んだ。


「アルカード!」


 アルカードと呼ばれた昨日会った吸血鬼が身につけていたマントは、いつの間にか大きなコウモリの羽の形に変わっており、闇のオーラを纏った身体が素早くサラと男の間に割って入ってきた。

 アルカードは素早く片手にサラを抱きすくめ、振り上げた爪を男に向かって振り下ろす。攻撃を受けた青いタキシードの男の表情は苦悶に満ちていた。


「おのれ!その女が俺の獲物だったことはイザベラ様に伝えておくからな!」

 男は言い残し、小さな青い鳥の姿になってどこかへ飛んでいってしまった。


 サラの顔のすぐ傍にはアルカードと呼ばれた吸血鬼の端正な顔があった。


「ここは危険だと言っただろう。……それとも、また私に食べられたくて来たのか?」


 アルカードと呼ばれた吸血鬼は少し呆れたようにサラを見た。その少し冷たい立ち振る舞いにさえサラの心は乱されてしまう。


「あの、私……これをあなたに伝えたくて」


 サラは自分のブローチに彫ってある赤いアネモネの紋章を見せながら、昨日巻いてくれたハンカチの紋章が似ていることを説明した。


 アルカードは目を丸くし、事情がのみこめないというような顔をして話を聞いていたが、やがて表情を崩して「わざわざそれを伝えるためにここへ?」と嬉しそうに目を細めていた。


「アルカード様は、なぜこの場所にいるのですか?」

 サラは戸惑いつつ聞いてみた。


「この廃墟は何百年も前からイザベラという魔女が支配していて、私は気付いたら彼女の配下として存在していたんだ。それ以前に何をしていたのか全く記憶がない」


 教会の老尼が言っていた『幽霊を魔物に落とすほどの邪悪』とはイザベラのことなのだろうか。


「名前はどうやって?」


「名前はイザベラが私の事をそう呼んでいたからそのまま使っている」


 自分の過去がわからないなんて、死なない彼らにとっては苦痛でしかないだろう。


「君の家の紋章という興味深い話を聞いて、何か大切なことを忘れているような気がするが……自分が何者だったのか、なぜここにいるのか、全く思い出せない。思い出そうとすると頭が割れそうに痛くなるんだ」


 アルカードは頭を抱えて苦しそうに顔を歪めた。思い出そうとすると身体の具合が悪くなるような過去については、サラにも経験があった。


「無理に思い出したりしない方がいいかもしれないですよ?身体が思い出すことを拒否しているのかも。……そういうことは、あります」


「身体が……拒否?それはどんな時だ?」


 頭上で優しい光を放つ月とは対照的に、サラの表情は曇る。目線は地表を這うように動いた。


「思い出したところで、過去が変わらないなら、いっそ忘れたままの方が幸せなこともあるのかもしれない」


 言いながら、サラの形のいい唇が歪み、俯く仕草に孤独の色が濃く滲んだ。


「生きているだけで、罪だけが増えていくような……」


「罪が、増える?」


 サラの棘が刺さったような物言いに、アルカードは言葉を選び、諭すように話しかける。


「そんな状況は私には想像がつかないが……」


「過去は変えられないことは事実だ、しかし、問題はいつも今か未来にあるのではないだろうか?」


 サラは黙って聞いている。


「だから私は今に最善を尽くすことが大切だと思う」


 その言葉を聞いて思い詰めたように考え込んでいるサラをしばらく見つめたあと、アルカードは上品で落ち着いた動作でサラの前に片膝をついた。ダンスを求める貴族のように跪いた格好で改めて背筋を伸ばし、サラをまっすぐに見つめる。


「こんなふうに他人と話をするのは久しぶりだ。少し、私の散歩に付き合ってくれないだろうか?お嬢様」


 その美しくもいたずらっ子のような瞳に動揺しつつも、サラは差し出された手に優しく自分の手を重ねた。

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