第21話
駅に近づくにつれ人の数が増え始める。
それに比例して、裕太の不安も増していた。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ――)
佳子の部屋で二人っきりで女装するだけでも死ぬほどドキドキした裕太である。
男の子なのに、高校生なのに、女装して、女物の紐パンまで履いて人前を歩いている。
冷静に考えるまでもなく変態だし、異常な行為だ。
もしバレたら、一巻の終わりである。
そして裕太は、次の瞬間には女装がバレてしまうような、既にバレてしまっているような、そんな気がして恐ろしい。
怖くて怖くて堪らなくて、顔をあげて歩く事さえできなかった。
耳に入る喧騒が、裕太の女装を怪しんで、クスクス笑い、気持ち悪いと蔑んでいるような気がしてならない。
全身が、全校生徒の前でスピーチをやらされているみたいに緊張して、ガクガクと膝が震えた。
母親が大事にしている高価な食器を割ってしまった時みたいに、頭の中がパチパチして、背筋がピリピリ泡立った。
心細くて泣きそうで、逃げ出したくて堪らなくて、それも許されず、思わず佳子の手をぎゅっと握る。
「どうしたの、佑香ちゃん」
佳子に聞かれてドキッとする。
慌てて手の力を抜こうとするが、後の祭りだ。
「……その。ひ、人が、増えて、来たから……」
声を出す事すら恐ろしく、絡んだ呂律で無様に呟く。
そんな裕太を見て、佳子はゾクリと震えて見せた。
細くなった目の奥に、抑えきれない愉悦の炎が燃えている。
それでも一応、自制しようと努力する程度の理性は残っているらしい。
佳子はスゥーハーと深呼吸をして、ネットリと妖しく笑った。
「大丈夫よ。私がついているわ。それに、誰も気付いてなんかいないわよ」
「……そうだといいんだけど」
気遣いは嬉しいが、裕太にはただの気休めにしか聞こえない。
(あぁ、あぁ、あぁ! バカバカバカバカ、僕のバカ! なんでこんな事しちゃったんだろう! 変な見栄張らずに、女装デートなんかやめればよかった! こんな思いをするくらいなら、普通の恰好で普通にデートした方がマシだったよ!)
クラスメイトに佳子と付き合っている事がバレたとしても、この状況よりはマシに思える。
とは言えだ。
仮に時間を巻き戻せたとしても、きっと自分は佳子に遠慮して女装デートを承諾していただろう。
分かっていても、裕太は後悔した。
後悔せずにはいられなかった。
それくらい、恥ずかしくて心細くて不安だった。
裕太が怯える程に、佳子の声は楽し気に弾んでいく。
「本当だってば。ほら、顔をあげて。周りをよく見てみて」
「む、無理だよ……。そんな事……、出来ないよぉ……」
「平気だってば。私を信じて。一度だけ、一瞬だけでもいいから。ねぇ、お願い」
可愛らしくお願いされたら、裕太は嫌とは言えなかった。
「う、うぅぅ……」
仕方なく、嫌々に、ありったけの勇気を総動員してチラリと顔をあげる。
「……ひぃっ!?」
予想外の光景に、裕太は思わず悲鳴を漏らした。
道行く人が、みんな裕太を見ていたのだ。
即座に顔を俯かせ、半泣きになって佳子の腕にしがみ付く。
「ど、どどど、どうしよう!? 絶対バレてる、女装している事、バレちゃってるよ!?」
「うふ、うふふふ、うふふふふ。なんて可愛い佑香ちゃん。本当に、小さな妹が出来たみたい。安心してね佑香ちゃん。そうではないの。そうではないのよ。バレているわけではないの。怪しまれているわけではないの。むしろ逆よ。みんなあなたに見惚れているの。佑香ちゃんがあまりにも可愛らしいから、思わず目で追ってしまっているの。ただそれだけの事なのよ」
「う、嘘だよ……。絶対嘘だ……」
「嘘じゃないわ。私が佑香ちゃんに嘘をついた事があるかしら……」
「………………あるような、ないような……」
この状況自体、半分騙されているようなものである。
「ないわよ。ないわ。私が佑香ちゃんに嘘をつくなんて、そんな事はあり得ないわ。仮にあったとしても、それは佑香ちゃんの為を思った優しい嘘よ」
「いや、嘘は嘘だと思うんだけど……」
「みなさ~ん。この子実は女装してま~す」
「佳子ちゃん!?」
「うそうそ冗談。ただの意地悪よ。誰にも聞こえはしなかったし、聞こえた所で信じやしないわ」
「だからって!?」
「落ち着いて佑香ちゃん。不安なのは分かるけれど、緊張するのは分かるけれど、そんな佑香ちゃんが食べてしまいたいくらいに愛おしいのだけれど。程々にしておかないと持たないわ。デートはまだ、始まってすらいないんだから。だからねぇ、もう一度。今度はしっかり顔をあげて。落ち着いて、ゆっくり周りの様子を見て、みんなの声を聞いてみて」
「無理だよ無理……。出来ないよ……」
「やるのよ。出来ないなら、デートは中止よ。そんな状態の佑香ちゃんを連れ回すなんて酷い事、私には出来ないわ」
それでいいと裕太は思った。
佳子には悪いが、やはり無理だ。
女装デートをするなんて。
こんな格好で人前に出るなんて。
大勢の奇異の目に晒されるなんて。
自分には耐えられない。
(……でも。佳子ちゃんをがっかりさせるのはもっとやだ……。ただでさえ情けない所を見せてるのに、これ以上ダメな所を見られたら、嫌われて捨てられちゃう……)
男の癖に、女装して、女の子みたいにメソメソしている。
女の子よりも情けなく、ビクビク怯えている。
佳子がやらせた事なのだが、裕太には自分の落ち度のように思えてならない。
なんにせよ、裕太は今一度顔をあげた。
(ひぃっ!? やっぱり、無理だよぉ……)
「頑張って。ほら、ちゃんと見て。誰も佑香ちゃんを笑ってなんかいないから。バカにしてなんかいないから。蔑んでなんかいないから。だからねぇ、ちゃんと見て」
その言葉にギリギリで踏み止まり、おっかなびっくり、通行人の声に耳を澄ませる。
「うぉ。かわよっ!」
「え~なにあれ! 超可愛いじゃん」
「すげーな。雑誌のモデルみたいだ」
「黒い子もムッチリしててエロ可愛いけど、あっちの白い子も清楚な感じでエロいな」
「恥ずかしがってる所が良いよな。ありゃ絶対処女だぜ」
「チラッと覗く生足エロ過ぎだろ。舐めて~!」
(う、嘘でしょ!? ぼ、僕の事言ってるの!?)
その事に気付いた瞬間世界が変わった。
炭酸の封を切ったみたに、頭の奥でシュワシュワと何かが弾ける。
それまで感じていた不安や恐怖はそのままに、同量の、いや、それ以上の嬉しさと戸惑いが甘い電流となって背骨を走った。
(や、やばい……。頭が、沸騰しちゃう……)
誇張ではなくそんな気がした。
こんなのはおかしい事なのに。
異常な事なのに。
イケない事なのに。
道行く若者、男に女、老人に子供、あらゆる人に見つめられ、見惚れられ、口々に可愛いと褒められて、エロい、ヤリてーと呟かれ、シュワシュワシュワシュワ、脳内麻薬が噴き出して眩暈がした。
「ぁぅっ」
腰が抜けそうになり、佳子に支えられる。
「佑香ちゃんたらいけない子。見られただけで、達しちゃったのかしら?」
「そ、そんなんじゃないよ……」
荒くなった呼吸を落ち着けながら、モジモジと太ももとすり合わせる。
ドロワーズの中で、眠っていた筈の竜が激しく荒ぶっていた。
「あら。あらあらあら。あらあらまぁまぁ。佑香ちゃんったら。発情しちゃったの? 女装している所を大勢に見られて、女の人に可愛いと言われて、男の人にエロいと言われて。みんなに見られながら、恥ずかしげもなく発情しちゃったのかしら?」
「ぃや、だめぇ……。お願いだから、ぃ、ぃわないで……」
佳子の言葉が羽箒のように裕太の心の性感帯をくすぐった。
「どうして? どうして言っちゃダメなのかしら? 私はただ、褒めているだけ。事実を言っているだけなのだけれど?」
分かっている癖に佳子は言う。
ニヤニヤニチャニチャ、視線で裕太を責め立てる。
「で、出ちゃいそうだから……」
「触ってもいないのに? 見られているだけなのに?」
こくりと裕太は頷いた。
自分でもこんなの異常だと思う。
でも、そうなってしまっている。
怖いし恥ずかしいし不安なのに。
それなのに、どうしようもなく興奮する。
「いけない子。悪い子だわ、佑香ちゃん。女の子なのに、人前で発情するなんて。女の子なのに、ドロワーズの前を膨らませるなんて。そんな事をして、バレてしまったらどうするのかしら?」
裕太はゾッとした。
佳子は完全にスイッチが入っていた。
目を見ればわかる。
光を失った瞳は、裕太以上に興奮している。
完全にエッチな事しか頭にない、裕太を責めて精神的な快楽を貪る事しか考えていない、そういう時の目をしていた。
「だ、だめだよ佳子ちゃん……。お願いだから、落ち着いて……」
「無理よ。無理。佑香ちゃんがいけないのよ。男の子の癖に、こんなに可愛い裕太君が悪いの。男の子の癖に、女の子の私よりも可愛いんだもの。男の子の癖に、男達に見惚れられ、発情させているじゃない。そんなの浮気と一緒だわ。ビッチよビッチ。許さないわよそんな事。裕太君は私の物。私だけの裕太君なの。男達に視姦されて恥ずかしいお漏らしをする裕太君がみたいの」
「本当に落ち着いて!? なにもかもヤバいから!? ていうか支離滅裂だから!?」
流石に声は潜めているが。
このままでは、本当に佳子にイカせられかねない。
「フーッ……。フーッ……。フーッ……。大丈夫よ。こんな事もあろうかと、替えの下着は用意してあるわ」
「なに一つだいじょばないから!? 終わっちゃう! 僕の人生終わっちゃうよ!?」
「終わっちゃえばいいのよ。そうして私だけの物になってしまえばいいの。責任を持って私が一生愛してあげるわ……」
「気持ちは嬉しいけど、すごく嬉しいけど、出来れば別の方法で……」
二人の世界に入り込み、ムンムンムラムラ、もんわりとエッチな雰囲気を撒き散らしていると。
「うぇ~い。それってゴスロリって奴? 超可愛いじゃん!」
「てか、俺達と遊ばない? イイ所知ってるし! 勿論俺らの奢りで!」
エロゲの竿役みたいな顔をした二人組がニヤニヤしながら話しかけてきた。
途端に裕太は頭が冷えた。
エロい気持ちなんか銀河の彼方まで吹き飛んで、佳子を守らなければという気持ちでいっぱいになる。
佳子を庇う様に前に出て。
「そ、そういうの、間に合ってるので!」
「おん? 見た目の割にハスキーな声してるじゃん?」
「――ッ!?」
ハッとして、裕太は口を塞いだ。
「なになに? 気にしてた? 俺は気にしないけど。ぎゃははは!」
「そうそう。むしろギャップ萌えでしょ! アリ寄りのアリ、みたいな? ぎゃははは!」
下品に笑うと、男達は強引に裕太の肩を押して歓楽街の方へと連れて行こうとする。
「ちょ、やめ、やめて下さい……」
抵抗したいのだが、下手に喋ったら男だとバレてしまう。
それが怖くて動けずにいると。
「んむっ!?」
いきなり佳子に唇を奪われた。
「うぉ!?」
「マジかよ……」
これにはチャラ男達も唖然茫然。
大人のキスはしばらく続き、周囲の視線を独占した。
「ぷぁっ。見ての通り、この子は私の彼女なの。手を出さないで。殺すわよ」
佳子がチャラ男を睨みつける。
全開に見開いた目には、今にも相手を刺しそうな狂気的な光がギラギラと灯っていた。
「あ。そういう系……」
「失礼しました!」
慌てて二人は退散した。
「ふんだ! 私の佑香ちゃんに手を出そうなんて、万死に値するわ! さぁ、行きましょう!」
プリプリしながら乱暴に裕太の手を引く。
「あ、ありがとう……。ごめんね、佳子ちゃん……。頼りにならなくて……」
裕太は落ち込んだ。
かっこいい所を見せたかったとか、そんな事を考えていたわけではないが。
いざと言う時に頼りにならなかった自分が情けない。
「そんな事ないわよ! 全然ないわ! だって裕太君は、真っ先に私を守ってくれたじゃない。庇おうとして前に立ってくれたじゃない。あいつらに話しかけられた時、私、本当に怖かったのよ。怖くて怖くて声も上げられなかったわ。今だって、物凄く怖くって……」
ズンズンと力強く進んでいた佳子の足取りが唐突に止まる。
「う、う、うぅ、ごわがっだぁ! すごく怖かったよぉおおおお!」
緊張の糸が切れたのか、佳子が裕太に泣きついた。
「怖かったね。佳子ちゃんが頑張ってくれたから、もう大丈夫だよ……」
よしよしと背中をあやしながら、目立たないよう脇道に引っ込む。
「違うもん! 裕太君が庇ってくれたから頑張れたんだもん! じゃなかったら、私だってあんな勇気は出せなかったわ!」
「僕だって同じだよ。佳子ちゃんがいたから勇気が出たんだ。佳子ちゃんを守らなきゃって。そうじゃなかったら、怖くて何も出来なかったよ……」
「裕太君……」
「佳子ちゃん……」
ビルの間で見つめ合うと、二人はもう一度キスをした。
お互いを褒め称えるような、長いキスを。
「ぷぁ……。エッチな事はなしのつもりだったんだけどなぁ」
「キスしただけ。エッチじゃないからセーフだわ」
「う~ん……。まぁ、それもそうだね」
そういう事にしておいて、二人は気を取り直して駅に向かった。
休日の電車は程々に混んでいて、座る事は出来なかった。
「この格好では邪魔になるから、端の方に行きましょう」
言われるがまま、車両の端、お年寄りの座るシルバーシートの前に陣取る。
「いい天気だね」
「デート日和だわ」
車窓から見える景色を眺めながら、何気ない会話を楽しんだ。
事後のように穏やかな、幸せな時間が流れていた。
(そうそう。こういうのだよ。エッチ抜きの健全なデートって感じがして来たぞ!)
なんて事を思っていたら。
さわり。
さわさわ。
(……ぇっ)
誰かが裕太のお尻をまさぐった。
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