第20話

 そしてやってきた運命の当日。


 二人は寂れた公園の多目的トイレをお借りして、人知れず変身を行った。


「あはっ! これでバッチリ! あれからさらに研究を重ね、より可愛くなった佑香タソの出来上がりよ!」

「へ、変な名前で呼ばないでぉ……」


 結局佳子に押し切られ、されるがままに女装してしまった裕太である。


 しかもプライベートの守られた絶対安全な佳子の部屋ではなく、常に危険と隣り合わせの野外である。


 恥ずかしさと緊張で、裕太の心臓は破裂しそうな程ドキドキし、頭はクラクラ。


 身も心も女の子になってしまったみたいに弱々しくなり、女子トイレに侵入しているような激しい罪悪感に苛まれている。


「可愛いじゃない。佑香タソ。妹が出来たみたいで楽しいわ。どうしても別の名前が良いと言うのなら考えるけれど」

「そ、そうじゃなくて……。分かるでしょ?」

「勿論分かっているわ。分かっていないのは佑香ちゃんの方よ。折角可愛く女装をしても、別人のようなお化粧をしても、女物の下着を履いたとしても、男の子の名前、それも本名を名乗っていたら意味がないじゃない。万が一知り合いに聞かれたら怪しまれるリスクが生まれてしまうわ。佑香ちゃんがその方がいいと言うのなら、私は止めはしないけれど」


 ニチャついた笑みを向けられて、裕太はクスンと俯いた。


「佑香でいいです……」

「分かればよろしい。さぁ行きましょう! 私達の楽しい楽しい初デートに繰り出しましょう!」


 待ちきれない様子で佳子が出口に向かった。


 二人とも、アンティークの西洋人形みたいなゴスロリ服を着こんでいる。


 お揃いのデザインで、裕太は白、佳子は黒を基調としていた。


 同じような格好をしているのに、二人の印象は随分違っていた。


 目元や唇を黒く塗った佳子は、退廃的な死の気配を匂わせる、死霊術士のような雰囲気を放っていた。


 一方で、頬をピンクに、唇をリンゴのように紅く塗られた裕太は、瑞々しい生命力を放つ可愛らしい少女そのものであった。


 佳子の手により過剰なまでに可愛くされて、本物の美少女以上に美少女然としていた。


 男としては、裕太は冴えない風貌だった。


 地味な童顔の、ひょろりとしたチビ助だった。


 だから化粧が良く映えた。


 女物の服も違和感がない。


 むしろ男の子だからこそ、女の子には出せない色気があった。


「光と闇が合わさって最強になるように、男と女が合わさって最強になる。それが男の娘というものよ!」


 そんな事を佳子は言っていた。


 裕太もオタクである。


 他人事ならその説明で納得出来たが、自分の事となると認めがたい。


 だが事実として、鏡に映る自分の姿はウットリする程可愛かった。


 だとしても、こんな格好で人前に出たいとは思わなかったが。


 これが最後のチャンスと思い、裕太はその場に踏みとどまった。


「……やっぱりやめない? こんな格好でデートするなんて……」


 恥ずかしいし危険だ。


 危険すぎるし恥ずかしすぎる。


 万が一にも身バレしたら、一巻の終わりだ。


 とてもじゃないが、学校になんか通えなくなってしまう。


「大丈夫よ! 私も裕太君も、別人にしか見えないわ。そもそも私達、そういうキャラじゃないじゃない。もし学校の人に出会ったとしても、私達だなんて誰も思わないわ!」

「それは……そうだけど……」


 裕太もそれは分かっている。


 自分ですら、自分ではない別の誰かになった気がしている。


 白ロリが似合う可愛らしい女の子の佑香ちゃんになった気が……。


(だから怖いんだ……。すごく怖い……。このままじゃ僕、絶対ハマっちゃいそうなんだもん……)


「……そう。裕太君がどうしてもイヤだと言うのなら、無理強いはしないわ……。お互いに元の格好に着替えて、今日のデートは中止にしましょう……」


 佳子は目に見えてがっかりした。


 必死に取り繕うとしているようだが、それを差し引いても、明らかに落胆している。


「大丈夫だよ。その恰好なら佳子ちゃんだってバレないし、デート出来るよ!」


 裕太は噂になるかもしれないが、佳子をがっかりさせるよりはマシだ。


「嫌よ……。一人でこんな格好をするなんて、恥ずかしいわ……。裕太君と一緒だから出来た事なの……。二人だから平気だったのよ……。一人では、とてもじゃないけどそんな勇気出せないわ……」


 しょんぼりして、佳子は黒薔薇を模した飾りのついたヘッドドレスを外そうとした。


 その瞬間、裕太は色々な事に気付いた。


 今日の日を、佳子がどれだけ楽しみにしていたのか。


 以前から佳子は、この格好で外を歩きたいと思っていた筈だ。


 でも出来なくて、家で一人で着ていたのだろう。


 そうでなければ、こんなに手際よく着替えられるわけがないし、メイクが上手い筈もない。


 裕太が感じていたように、佳子も変身の快楽を楽しんでいた筈で、それをお披露目する日を楽しみにしていたはずなのだ。


 そうでなくても、どんな理由であっても、佳子のこんな顔は見たくなかった。


「ごめん嘘! やめるのはやっぱりやめ! このまま二人でデートしよう!」


 着替えようとする佳子の手をガシっと掴み、裕太は言った。


 その力強さ、突然の男らしさに佳子は驚いた。


「……でも、いいの? 裕太君は嫌なんでしょう? 私の為に裕太君が嫌がる事を無理強いしたくないわ……」

「嫌じゃないよ! 怖かっただけ! 僕だってこういうの、興味がないって言ったら嘘になるし……。佳子ちゃんが一緒なら、僕も勇気、出せると思うから……」

「……そう言ってくれるのは嬉しいけれど。でも、無理してない? 本当に嫌だったら、嫌って言ってね? 無理に私に付き合って嫌なのを我慢して、それで嫌われる方が私は嫌よ……」

「大丈夫だってば! もし無理そうだったらちゃんと言うし! それより僕は、佳子ちゃんをがっかりさせる方が嫌だもん! デートの約束して、色々準備もして、こんなに可愛くしてもらって、今更やめる方がおかしいし! だから行こう! 二人で一緒に、この格好でデートしよう!」

「裕太君……。ズルいわ……。そんなにかわいい恰好で、そんなにかっこいい事を言うなんて……。キュンとしちゃう。惚れ直してしまうじゃない……」

「全然かっこいい所なんかなかったと思うんだけど……。とにかく行こう。これ以上ここにいるのも迷惑になっちゃうし」


 そうでなくとも、多目的トイレに二人でいる所を見つかったら面倒な事になる。


 そんなわけで、裕太は着替えの入ったカートを手に、佳子と一緒に表に出た。


 外の空気に触れた途端、先程まで燃えていた勇気の炎はあっさりと萎んでしまった。


(やばい……。これ……。想像以上に、恥ずかしい!?)


 爽やかな朝の風がするりとスカートの中に入り込み、裕太の生足をくすぐる様に愛撫する。イタズラな風はドロワーズの隙間からも入り込んで、紐パンを履いた裕太をヒヤリとさせた。


「どうかしたの?」

「……スースーして。なんだか裸で歩いてるみたい……」


 裕太は俯いて、潤んだ瞳で腰をくねらせた。


 それを見て、佳子はゾクリと身震いした。


 口元が、悪魔のようにニタリと笑う。


「勃っちゃったんでしょう」


 からかうように言うと、佳子の手がペロンと裕太の前を触った。


「きゃぁっ!?」


 自分でも驚くような悲鳴が飛び出し、裕太は慌てて口を押さえた。


「なに、今の声!? 可愛すぎるんですけど!?」

「い、言わないでよ!? つい出ちゃったの!? ていうか、変な所触らないで!?」

「なんだか声まで可愛くなってない?」


 ゴクリと佳子が唾を飲み込む。


「だ、だってぇ……。この格好で普通に喋ったら、怪しまれるでしょ?」


 声を潜めて裕太は言った。


 身バレが怖いので、少しだけ女の子っぽく話している。


 元々声は高いの方なので違和感はないが。


 これはこれで恥ずかしい。


「イィーーッ! なんで! そう! 可愛すぎるのよ!?」


 堪えきれないという様子で、佳子はダンダンと地面を蹴った。


「恥ずかしいから言わないでっ!」

「佑香ちゃんこそ、あまり私を発情させるような真似はしないでちょうだい。我を忘れて襲いそうになってしまうわ」

「そんな事言われても……」


 裕太としては普通に恥ずかしがっているだけである。


「ていうか、なんで勃ってないのかしら? いつもの佑香ちゃんなら、絶対にビンビンになっている筈なのだけれど……」

「しぃーっ!? そういう事言わないでよ! 怪しまれるでしょ!?」

「平気よ。女の子だって勃つ所はあるんだもの」

「そういう問題じゃないし、そもそも外でそう言う話は――」

「分かった! 佑香ちゃん、さてはお外でおっきしないように、出がけにめちゃくちゃ抜いてきたでしょう!」

「わーわー! 言わないでってば!?」


 図星である。


「ズルいわよ! そんなの卑怯だわ! 男らしくないじゃない! 私は、女の子の恰好をした佑香ちゃんが人前でおっきしてあぅあぅしている姿を愛でるのを楽しみにしていたのに!」

「だと思ったから抜いてきたの! ていうか健全なデートはどこ行っちゃったの!?」

「あんなのただの建前よ!」

「そこは嘘でも取り繕ってよ!」


 まぁ、付き合った初日にエッチして、それからずっとエッチばかりしていたドスケベカップルである。


 今更健全デートをするなんて無理なのは分かっていたが。


「ぶぅ……。まぁいいわ。佑香ちゃんの事だから、どれだけ抜いた所で数時間もすれば復活するでしょう」


 その通りだから否定できない。


「佳子ちゃん……」


 情けない声を出す裕太に。


「大丈夫よ。ふわっとしたスカートだし、いくら佑香ちゃんのアレがご立派でも、他人からは分からないわ」

「そうだけど……。はみ出してズレちゃうし……。擦れて気持ち悪くなっちゃうんだよ……」

「気持ち良くなっちゃうの間違いじゃないかしら?」


 からかうような言い草に、裕太はムッとして溜息を吐いた。


「……はぁ」


「ご、ごめんなさい。ちょっと言い過ぎたわ……」

「謝るくらいなら最初からしなきゃいいのに」


 冷たい視線を向ける裕太に、佳子は焦った。


「そ、そうなのだけど、それは重々分かっているのだけれど……。私だってよくない癖だと思っているのだけれど……。裕太君が可愛すぎて、つい意地悪をしてしまうの……」

「それ。毎回言うけど、全然反省してないよね」

「……もしかして、本当に怒っちゃった?」

「別に」


 プイっとそっぽを向く裕太に、佳子は青ざめた。


「ご、ごめんなさい! もうしない! 二度としないと誓うから! お願いだから私の事嫌いにならないで!」


 無視すると、佳子の足が止まった。


「うそ……。そんな……。いや……いや……ぁ、ぁ、ぁぁぁ」


(この辺が頃合いかな)


 そう踏んで、裕太は振り向いた。


「怒ってないよ。ちょっと意地悪しただけ。ほら、行こう」


 軽く笑って両手を広げると、佳子の瞳に光が戻る。


「う、う、うぁぁあああん! 裕太君のバカぁ! 本当に嫌われちゃったと思ったんだからぁ!」

「ごめんごめん。でも、やられっぱなしじゃ悔しいし。佳子ちゃんもたまにはイジメられたいって言ってたでしょ?」

「そうだけど……そうだけどぉぉおおぉ!」


 ドタドタと佳子が地団駄を踏む。


「嫌だったら二度としないけど」


 分かっていて、裕太は冷たく突き放した。


 佳子の唇が悔しそうに尖る。


「……嫌ではないけれど……」

「けど、なに?」

「……すごく、良かったわ。本当に嫌われたかと思ってドキドキしちゃった。百点の責めだったわ……」


 ウットリして佳子は言った。


「本当、佳子ちゃんてば変態なんだから」

「裕太君だって人の事言えないじゃない」

「僕達似た者カップルだね」


 苦笑いを浮かべると、裕太は言った。


「ねぇ、佳子ちゃん。手、繋がない?」

「繋ぎましょう。私も丁度、そうしたいと思っていた所よ」


 二人は暫し見つめ合い、お互いに歩み寄るに様にして手を繋いだ。


「……なんか、ドキドキするね」

「……えぇ。すごくドキドキするわ」

「……不思議だね。僕達もう、エッチだってしてるのに」

「……不思議だわ。エッチまでしているのに、今更手繋ぎくらいでこんなにドキドキするなんて」

「……でも、いいねこれ」

「……凄く良いわ。エッチよりも良いかもしれない……」


 流石にそれは過言だが、そう言っても大げさではない何かがあった。


 エッチと同じようにエッチな感じがして。


 エッチの後に裸で抱き合っている時と同じようにホッとする。


 安心するのにもどかしく、心地よいのにどこか切ない。


「……なんかさ。エッチしてる時よりも、付き合ってるって感じがするね」

「……えぇ。ずっとこうしていたい気分」


 ただ手を繋いでいるだけなのに、ただ並んで歩いている時とは全く違った気持ちになった。


 こうして堂々と手を繋いで歩いていると、不思議と誇らしい気持ちが湧いてくる。


 どうだ! 僕達は付き合ってるんだ! 文句あるか!


 そんな気持ちだ。


 そうして二人は手を繋ぎ、駅に向かって歩き出した。


 あれだけお喋りだった口は急に寡黙になり、代わりに二人の手が雄弁になった。


 繋いだ手が、二匹のタコのように蠢いて、お互いの手を指を、舐めるように愛撫し合う。


(エッチだなぁ……)


 と裕太は思った。


 こんなのエッチと大差ない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る