第12話

 いつもと同じはずの学校が、いつもとは全然違って感じられた。


 校門は神々しく光を放ち、下駄箱は栄光へと至るスタートラインのように厳かだ。


 生徒で溢れた騒がしい廊下ですら、その先に佳子が待っていると思えば苦ではない。


 早く会いたい、早く会いたい、早く会いたい!


 その一心で、気付けば裕太は早足になり、教室という名のゴールに飛び込んだ。


 裕太の足が入口で止まる。


 佳子は窓際の席でカバーの付いた文庫本を読んでいた。


 その姿を見た瞬間、裕太の心臓は力強く脈動し、全身に痺れるような甘い幸福感と、思わず叫びだしたくなるような元気が漲った。


 あれから半日しか経っていないのに、千年ぶりに会ったような気分になる。


(あぁ……。内田さん! 僕の彼女! なんて可愛いんだろう!)


 朝日を浴びて淡く輝く長い黒髪、ダウナー系の憂いを帯びた眠そうな目、苺の香りが漂いそうなぽってりとした赤い唇、丸みを帯びた柔らかそうなフォルムと、その精髄が果実となって実ったような大きな胸、スカートの上からでも分かる魅力的な大きなお尻と、そこから伸びるムチムチとした真っ白い太もも……。


 その姿は現代に現れた美の女神ヴィーナスのようにエロく可愛く美しい。


 いったいこの子のどこが冴えない地味子なのだろう。


 今の裕太には心底不思議だった。


 いや、以前から佳子の事は内心エロ可愛いと思っていた。


 けれども、クラスメイトが勝手に決めたキャラやレッテル、評価によって、素直に自分の価値観を信じる事が出来なかったのだ。


 今なら自信を持って断言できる。


 僕の彼女は世界一、いや、宇宙一可愛くてエッチだと!


(……ていうか今日の内田さん、本当に可愛くなってない?)


 前から密かに可愛いとは思っていたのだが、今日の佳子は格別だった。


 彼女になった事で生じる贔屓目を差し引いても、昨日までの佳子とは何かが違っていた。


 具体的にどこがどうとは言えないが。


 しいて言うなら、身に纏うオーラが違っていた。


 昨日まで、佳子はオーラなんか纏っていなかった。


 それこそ絶を使ったように、存在感のその字もない、背景に溶け込むモブのように地味な存在だった。


 例えるならそれは、無明の闇に咲く一輪の花だ。


 いくら美しくとも、暗闇の中では誰もそれに気づけない。


 だが今は、分厚い雲の切れ目から射し込んだ満月の光を浴びたように、不思議な輝きを纏っている。


 それは妖しくも艶やかな輝きだった。


 リップを塗っててらてらと輝く唇のような妖艶さ。


 色気なのだと裕太は思った。


 のみならず、そこには自信と幸福も宿っていた。


 その三色の光が、内田佳子という女の子の魅力を色鮮やかに照らし出していた。


 しかしなぜ?


 裕太には理由が分かる気がした。


 エッチしたからだ。


 それこそ裕太には、佳子の全身から『私は昨日エッチをしましたけど、なにか?』的な雰囲気がピンク色のオーラとなってムワッと香っているようにすら感じられた。


 その事実が色気となり、自信となり、喜びとなって佳子を輝かせているようだった。


 そう思うと、クラスメイトの男子達も少し様子が変だった。


 不自然に足を止める裕太の事等気にする様子もなく(まぁ、いつもの事だが)、あちらこちらでチラチラと、「あれ? なんか今日の地味子、可愛くね?」的な雰囲気で戸惑っているように思える。


 それを見て、裕太は誇らしい気持ちになってきた。


(そうさ! 内田さんは、僕の彼女は可愛いんだ! 今更気づいたって遅いけどね!)


 勝ち誇ったような気分である。


 実際、こんなエロ可愛い子と付き合う事が出来たのだから勝ち組だ。


 なんて事を思っていたら。


 ゆっくりと何気なく、佳子の視線がこちらを向いた。


 けれど実際は、もう無理我慢できないと、焦れ焦れに焦れている事が裕太には分かった。


 裕太を視線に捉えると、佳子は一層艶っぽくなった。


 全身が抑えきれない喜びでゾクリと震え、湧き上がる歓喜で口元がトロリと溶けかける。


 その瞬間、二人の視線は絡み合い、まぐわった。


 教室の中、クラスメイトが見ている前で堂々と、エッチしてしまった。


 そう言っても過言ではない程に熱烈な視線の交差だった。


 お互いに、いけない事なのは分かっている。


 互いの為を思うなら、怪しまれる行動は避けるべきだ。


 一方で、見せつけてやりたい気持ちも確かにあった。


 他人の事等気にせずに、大好きな恋人に朝の挨拶をしたいという気持ちも。


 ただ純粋に、佳子の声を聞きたいという気持ちもある。


 それがいけなかった。


 なんとなく教室の中に、二人の事を訝しむような気配が広がるのが分かった。


 僅かだが、確かにそんな気配を感じた。


 陰キャの二人は敏感にそれを察知して、次の瞬間には何事もなかったかのように視線を離した。


(あぶないあぶない……)


 そう思いながら、裕太も席に着いた。


 なんとなく視線を感じるような気がするのは気のせいだろうか?


 確かめれば余計に怪しまれるだろう。


 なんにせよ、裕太はあまり気にしなかった。


 昨日までの自分なら、気になって気になって仕方なかったはずなのに。


 今日の裕太は全然気にならなかった。


 佳子と同じで、奇妙な自信が溢れていた。


(だって僕にはこんなに可愛い彼女がいて、エッチだってしたんだもんね!)


 そう思うと、不思議と心強かった。


 実際、この教室の中に恋人のいる生徒は何人いるだろうか。


 あるいは、エッチの経験がある生徒は何人いるだろうか。


 恐らくは、それ程多くはないはずだ。


 彼らはもう高校二年生だが、まだ高校二年生なのである。


 大人と子供の境目の、微妙なお年頃だ。


 その中で、彼女とエッチした経験は、確かな自信となって裕太を勇気づけた。


 佳子がそうであるように、冴えない地味男の裕太をキラキラと輝かせていた。


 もちろん本人は、そんな事等知る由もなかったが。


 そんな事より裕太の頭の中は佳子の事でいっぱいだった。


(はぁ……。内田さん、なんて可愛いんだろう。好きだなぁ。大好きだなぁ。あんな子とこれから毎日同じ教室で一緒に過ごせるなんて幸せ過ぎるよ……。でも、普通にお喋りしたりお弁当食べたりできたらもっと最高なのに……。なんとかならないかなぁ……)


 そんな事をずっと考えていた。


 一時面目も二時間目、三時間目も四時間目も。


 その事だけで頭がいっぱいだった。


 でも、それは叶わぬ願いだった。


 面倒事を避ける為には、二人の仲は隠しておいた方がいい。


 その事は二人も分かっていて、そうしようと二人で決めたはずだった。


 それなのにだ。


『松永君。一緒にお弁当を食べないかしら』


 休み時間になった途端にラインが届いた。


『食べたい! でもいいの? みんなに僕達の事バレちゃうんじゃない?』


 いざそうなると思うと、裕太は不安になった。


 クラスメイトの反応は分からないが、ろくな事にはならないに決まっている。


 でも、それでもいいと思えた。


 それ以上に佳子と一緒に過ごしたい。


 佳子とは毎日学校で会えるのに、ずっとこんな風にコソコソしているなんて勿体ない。


 佳子の願いなら猶更だし、大好きな彼女の望みを叶えるのは彼氏の務めだとも思う。


 それでも一応念のため、確認は取った。


『大丈夫。秘策があるのよ』


 それとなく、佳子がパチリとウィンクした。

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