第6話
「……これが内田さんの部屋」
「あんまりジロジロ見られると恥ずかしいわ。オタク部屋だから」
白くて細い佳子の指先が、落ち着かない様子で長い黒髪を撫でた。
「恥ずかしい事なんかないよ! 僕もオタクだし……。ホッとしたって言うか、羨ましいって言うか、凄いねこれ……」
佳子の家は閑静な高級住宅街にあった。
同じ家など二つとない通りで、佳子の家は新しく、モダンで、大きかった。
佳子の部屋も相応に広い。
片面の壁は大きな本棚が並び、漫画とラノベと薄い本が埋めている。
もう片面はショーケースが並んでいて、フィギュアやグッズが飾られていた。
エッチな格好の美少女から、人気のロボットや海外映画のクリーチャーまで多種多様。
まるでちょっとしたオタク屋さんである。
奥には立派なゲーミングチェアとデスク、コラボデザインのごついデスクトップパソコンが鎮座している。
オタクの理想を詰め込んだような部屋で裕太は安心した。
これならば、佳子と趣味が合わないという事はなさそうだ。
「松永君ならそう言ってくれると思ったけれど。それでもやっぱり恥ずかしいわね。一応言っておくと、全部が全部私の物というわけじゃないのよ。というか、殆どが親の物。私をオタクグッズを買う口実に使っているの。その点は、勘違いしないで欲しいわね」
どうやら佳子は、過剰にオタクだと思われる事を気にしているらしい。
「僕は全然気にしないけど……」
それよりも。
「僕ってそんなにオタクに見える?」
愚問ではある。
誰が見たって裕太は陰キャのオタク君だ。
教室でも、そういう扱いを受けている。
実際その通りではあるのだが、それはそれとして、裕太は学校では過度にオタクっぽく見られるような振る舞いは避けていた。
一口にオタクと言ってもピンきりだ。
流行りのアニメや漫画、ゲーム程度はカジュアルなオタクとして許される。
だが、フィギュアやラノベ、Vチューバーとかになってくるとマニアックなオタクだと思われてバカにされる。
佳子の口ぶりでは、明らかに裕太を後者だと決めつけていた。
「見えないと言ったら嘘になるけれど。私だって見た目で決めつけたわけではないのよ。私だってこの通りの人間だから。誰かと付き合うという事は自分を曝け出すという事でもあるでしょう? そういう意味ではリスクもあるわけだし。それこそ適当な相手と付き合って、なんだこのオタク女はって嫌われた挙句に振られて言い触らされたらイヤだもの。そうならないように、最大限付き合う相手は選んだつもりよ。一年生の大半はその為に費やしたと言っても過言ではないわ」
「……そうなんだ」
青春を謳歌する為に好きでもない相手に告白したと聞いた時は、もっと適当で投げ槍で、誰でもいいような心地なのだと思っていた。
だが、佳子の言葉を聞くと、むしろそれは厳選と言った方が正しそうだ。
そう思うと、裕太はどうしようもなく口元がニヤけてしまった。
「なにを笑っているの?」
「……その、嬉しくて。他にも男子はいっぱいいるのに、選んで貰えたんだって思ったらさ」
裕太はずっと選ばれない側の人間だった。
女子が彼氏候補を探した時、真っ先に除外される、それどころか、候補にすら上がらないタイプの人種である。
そんな自分が数多くの男子の中から選ばれた。
そう思うと、こんなに嬉しいことはない。
「そういう所よ。そういう人間性の持ち主だから選んだの。そりゃ、男子は沢山いるけれど、女子と同じくらいいるけれど、でも、付き合いたいと思う相手はほとんどいないわ。付き合えるかもと思える相手すらほんの僅かよ。殆どの男子は不合格。第一に、告白した所で付き合ってくれないような男子はダメでしょう?」
「……それは、そうだけど」
つまり消去法だ。
そんな事は分かっていた。
最初から分かっていたはずなのに。
裕太はちょっとがっかりした。
がっかりしてしまった自分が恥ずかしい。
思い上がってしまった自分が恥ずかしい。
なにを自分は期待しているんだ。
「そんな顔をしないでちょうだい。そういう所も好きだけど。些細な事で傷ついてしまうナイーブな所も好みだけれど。でも、ずっとはイヤよ。誤解されたままでいるのはイヤ。別に私は、妥協して松永君を選んだわけじゃないの。消去法で選んだわけではないのよ。私なりに最大限欲張った結果があなたなの。そういう意味では、私は幸運よ。だってそうでしょう? 妥協のない、一番の第一候補を物に出来たのだから。妥協して、仕方なく他の候補で我慢せずに済んだのだから。それに、勘違いしないでちょうだい。別に私は、告白した所で付き合ってくれないような相手と付き合いたいとは思っていないの。そんな相手はこっちから願い下げよ。そもそもそういうタイプの相手は、そういう属性の男子は、全く全然私の好みから外れているの。付き合った所で楽しいとは思えない、付き合う意味があると思えない相手ばかりだったの。だから松永君。あなたはそういう人達に劣っているわけではないのよ。むしろ、勝っているから選ばれたの。その事だけは絶対に忘れないでちょうだい」
愛おしい、お気に入りの宝物を愛でるような目で佳子は言う。
裕太は痺れた。
愛の女神が放った世界一やさしい雷に頭から爪先まで貫かれたみたいにビリビリした。
嬉しくって飛び跳ねたい気持ちになり、どうしようもなく頬がニヤけた。
その単純さが恥ずかしくて顔を覆った。
「……嬉しいけど、恥ずかしいよ。それに、言い過ぎだよ。別に僕は、そこまでじゃないし。ていうか特別な所なんか一つもないし……」
「そんな事はないわ。あなたは間違いなく特別よ。だって想定以上だもの。私は相性で選んだの。それとなくスマホを弄っている所を覗き込んだり、何気ない会話を盗み聞いたり、休み時間に匿名でニッチなオタクソングを流して、その時の反応を観察したりして候補を探したのよ。だから、松永君がかなりマニアックで、エッチな事が大好きの、ムッツリスケベなオタク君である事までは分かっていたの」
「やけにうちの学校昼休みにコアなアニソンとかゲーム音楽流れるなと思ってたけど、あれ内田さんだったの!?」
「そう。私よ」
佳子はニヤリと笑った。
まるで正体を現した黒幕だ。
「あれのお陰で結構な地獄空間が発生してたんだけど……」
「まるでお通夜かお葬式。こう言ってはなんだけど、悪い事をしているみたいでゾクゾクしたわ」
「ていうか僕、そういう時は周りにバレないように気配を消してたはずなんだけど……」
それこそ、下手に反応したらお前がリクエストしたんだろと濡れ衣をかけられる。
というか、実際かけられそうになった事もある。
だから裕太は知らない振りを心がけていたはずなのだ。
「知っているわ。だから分かったの。ああいう時、知っている人間程気配を消すものよ。その点松永君は完璧な絶を使っていた。あれでは僕はこの曲を知っていますと言っているようなもの。オタク人狼だったら一発で釣られていたわね」
「やり口が高度過ぎるよ!?」
ていうかなんだオタク人狼って。
いや、言いたい事は分かる。
日常生活でふとした時に発生する、オタクを炙り出そうとする謎の強制イベントだ。
それを佳子は人為的に起こしていたらしい。
「まぁ、そんな事はどうでもいいの。些細な事よ。それよりも大事なのは、松永君が想定の上をいっていたという事。松永君に告白して、ここに来るまでの道中だけで充分わかった。松永君は可愛いわ。とってもキュート。食べてしまいたいくらいに。私の事を誘惑しているんじゃないかと疑う程よ」
佳子の舌がペロリと唇を舐めた。
煽情的な赤をした、ドキッとする程長い舌だった。
裕太の顔も赤くなった。
そんな事、生まれて一度も言われた事がない。
生まれて死ぬまで、一度も言われる事はないと思っていた。
「……からかわないでよ」
「いい加減にしてちょうだい!」
「ひぃっ!?」
急に怒鳴られ、裕太は怯えた。
「さっきから一々可愛すぎるのよ! 私は別にSじゃないの。だからと言ってMというわけでもないけれど。むしろノーマル! いたって普通の性癖の持ち主なの!」
「そうかなぁ……」
「そうなのよ! なのに、松永君を見ているとムラムラして、心も体も発情して、物凄く意地悪をしたくなってしまうわ! はちゃめちゃに犯しつくして、ドロドロのベチョベチョにしてしまいたくなってしまうの! 狙っているんじゃないかと疑う程よ! だとしたら松永君は誘い受けの天才ね! このスケベ!」
「ご、ごめんなさい……」
よくわからないが謝った。
そして身の危険を感じて怖くなった。
一瞬だが、裕太には佳子が血に飢えた狼に見えた。
そんな恐怖すら嫌ではない自分がいるから不思議である。
「もういいでしょう? 私達には時間がないの。青春もそうだし、二人っきりの時間もそう。私は別に、この家に一人で住んでいるわけではないのよ? 両親は共働きだけれど、帰って来るのも遅いのだけれど、それでも時間は無限じゃない。私はイヤよ。折角の初エッチを時間に追われてせかせかするのは。私はイヤよ。良い所で親に邪魔されるのは。私はイヤよ。時間切れで初エッチが延期になるのは。それはイヤ。絶対にイヤ。松永君がさっきからずっとそこを大きくしているように。私との初エッチに期待してムラつきまくっているように、私も松永君との初エッチを心待ちにしているの。この部屋に入った瞬間、いいえ、この家に入った瞬間、無理やりに唇を奪って押し倒して欲しいと思っていた程なのよ?」
「それは僕も同じ気持ちだったけど……」
流石に玄関ではまずいと思って自重した。
というか、お互いに童貞と処女だし、流石にいきなりはまずいと思って色々自重した。
裕太としては、部室での発情抱きつきおちんちんぐりぐりを反省しているのだ。
けれど、佳子はもう、一秒だって待てないという様子だった。
「ならしましょう! 今すぐここで、処女と童貞を卒業しましょう!」
そう言って、佳子はおもむろに制服の上着に手をかけた。
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