第2話

「どうかしらって言われても……」


 願ってもない提案ではあった。


 裕太は思春期真っ盛りの高校二年生だ。


 いくら教室では女子なんか興味ありません、エロい事なんかどうでもいいです、精通だってまだしていません、みたいな顏で紳士ぶっていても、クラスのギャルが無防備にパンツをチラつかせていたらさり気なくを装ってガン見してしまうし、家に帰ればそれをオカズにオナニーもする。


 綺麗な年上の先輩を見て、何かの間違いで襲われちゃったりしないかなと妄想を膨らませる事だってある。


 エッチに対する憧れだって人並みにある。


 あるいは、人並み以上にある。


 そんな事をあけすけに語り合える友達なんかいないので定かではないが。


 チャンスがあれば、多少アレな相手やシチュエーションでもオッケーしちゃうと思っていた。


 けれど実際、こんな風に直球で言われるとたじろいだ。


 自分の気持ちは分かっている。


 もちろんイエスで、断る手はない。


 でも、言えない。


 そんな風にエッチな事にがっつく奴だと思われたくない。


 エロい奴だと思われて、折角できた彼女に嫌われるのが怖い。


 それでつい、曖昧な事を言って相手の出方を伺った。


 佳子は裕太の気持ちなどお見通しといった態度だった。


「面倒な駆け引きはナシにしましょう。時間がないと言ったはずよ。するか、しないか、二つに一つ」

「……そりゃしたいけど」


 その先が問題だ。


 かなり悩んで、結局裕太は日和ってしまった。


「流石にちょっと早すぎるんじゃ……」


 言った途端に後悔した。


 バカ、バカ、バカバカバカバカ。


 折角内田さんが誘ってくれたのに、なんで水を差すような事を言ってしまったのか。


 これだから僕はダメなんだ。


 チャンスを物に出来ない非モテ君なのだ。


 でも、それでよかったような気もする。


 いくらなんでも、付き合って初日にエッチは早すぎる。


 心の準備が出来ていない。


 まだ付き合った実感すら湧いていないのだ。


 そんな風に自分を正当化していたら。


「なぜ?」


 佳子が尋ねた。


 余裕たっぷりの、そんな返事は当然想定済みだと言いたげな態度で。


「なぜって言われても……」


 理由は既に言ったはずだ。


 早すぎる。


 それ以上の事などない。


「男と女が付き合ったら、いずれはエッチをする事になるわ。その為に付き合っていると言っても過言じゃない」

「……いや、それは流石に過言なんじゃ」

「そうかしら? 高校生の恋愛なんてそんなものじゃない? 好きとか愛とかどうでもよくて、エッチな事に対する憧れとか、欲望の方が先にあるんじゃないかしら。本当は今すぐにでもエッチしたいのに、なんとなく世間体とか常識を気にして、とりあえずデートを何回みたいなお決まりの手順、エッチをするにあたって必要そうな手続きを踏んでいるだけなんじゃないかしら」

「……まぁ、言いたい事はわかるけど」

「勘違いしないで欲しいのだけど、私だって別に、どうしても今すぐにしたいとがっついているわけではないのよ。ただ、無駄を省きたいだけ。だってそうでしょう? 何度だって言うけれど、私達には時間がないの。私達に残された青春は長くはない。それなのに、普通のカップルみたいにまどろっこしい手順を踏んでいる暇があるのかしら。仮に今日しないとして、じゃあいつするのかしら。今日しないなら明日ではないわよね。一週間後でもない。最低でも、一ヵ月、場合によっては三か月は空きそうよ。でも今日してしまえば、その分沢山出来るし、沢山出来ればその分変わった事も出来る。効率的だわ。それに、こうして話して分かったのだけど、その事はなんとなく予想して、やはりそうねと再確認したのだけど、松永君ってヘタレでしょう?」

「そんな事は……ない、と思うけど……」


 もごもごと裕太は言った。


 余裕ぶって見せているが、佳子は明らかにイラついて、ムッとして、がっついていた。


 絶対に今日したいという強い決意がそこにはあって、その事をクリスマスみたいに楽しみにしていたのだろうなという雰囲気を裕太は感じた。


「いいえ。あなたはヘタレよ。だってさっきから私にばかり喋らせているじゃない。女の子の私に誘わせておいて、自分は格好つけた態度を取っているじゃない。本当はエッチしたいくせに、そういうのには人一倍興味があるくせに、周りにスケベだと思われるのが嫌で隠してる、ムッツリスケベのヘタレ君じゃない」

「そんな事は!?」

「誤魔化さないで。知っているのよ、私は。松永君が休み時間に、ツイッターで流れて来るエッチな画像を集めている事に。エッチな絵師さんばかりフォローしている事に」

「どうしてそれを!?」


 言ってから、裕太はしまったと思った。


 慌てて口を押さえるが、後の祭りだ。


 佳子は勝ち誇ったようにニヤリと笑う。


「趣味なのよ。他人がスマホを弄っているのをさり気なく後ろから覗くのが」

「悪趣味だよ……」

「松永君は良い趣味をしているわよね。ムッチムチのボインボインの――」

「僕はムッツリスケベのヘタレ男です! 認めるから、それ以上言わないでよ!?」

「うふふふふ」


 赤面する裕太を見て、佳子はウットリと粘ついた笑みを浮かべた。


「いいわ。凄く良い。こんな風に彼氏と楽しくお話するのが私の夢だったの」

「楽しいかなぁ、これ」

「楽しくないの?」


 真っすぐに見つめられ、裕太は顔を伏せた。


「……いや、まぁ。楽しくないわけじゃないけどさ……」


 裕太はMではない。


 まだ高校二年生だし、そんな尖った性癖は持っていない。


 本当に!


 でも、それはそれとして。


 佳子みたいなエッチな女の子に翻弄され、掌で転がされ、言葉責めにされるのはイヤではない。


 イヤな男はきっといない。


 世界中の全ての男がこの手のシチュエーションに憧れを持っている。


 だから僕は正常で、Mなんかではないのである。


 誰に見られているわけでもないのに、裕太は内心で言い訳をした。


「そうでしょう。そうだろうと思っていたの。だから松永君を選んだの。私みたいな女でも扱いやすそうだから。そういうのを嫌がらない、エッチな事に興味津々のムッツリスケベっぽかったから。私もそうよ。松永君となら、残り少ない青春を悔いなく過ごせそうだと思ったの。でも、悪い所もある。松永君はヘタレだから、その癖格好つけたがりで、そういう所だけは男の子だから。松永君は自分からエッチしたいなんて言えないでしょう?」

「そんな事は……」


 ないとは言えない。


 むしろ、一から十までその通りに思える。


 今だって、全部見通されてなお女々しく言い訳をしている。


「ないとは言わせないわよ。それに、私は嫌よ。もう一度、松永君をエッチに誘うのは。それも何か月も先延ばしにして、デートと言う名の手順を踏んで、今よりもっとお互いの事を知り合った末に、今更エッチに誘うのは。そんなのどう考えたって恥ずかしいじゃない。だったら今日するべきよ。嫌な事は、恥ずかしい事は、面倒な事は、一気に終わらせてしまった方がいいでしょう? だから私は言っているの。本当はすごく恥ずかしいのだけれど。だってそうでしょう? 私から告白した上にエッチのお誘いまでするなんて。でも、二人の為にそうしているの。半分は私の為だけれど、もう半分は松永君の為に言っているのよ。恥を忍んで誘っているの。今日、二人で、処女と童貞を卒業しようと言っているの。それを松永君は、なんとなく早い気がするからという理由で断るつもりなのかしら」

「わかった! わかったよ! する、するよ! 今日、内田さんと一緒に、童貞と処女を卒業する! これでいい?」

「よくないわ。全然だめよ。最初ならともかく、今となっては手遅れよ」

「そんなぁ……」


 どうやら佳子に嫌われたらしい。


 呆れられて、見限られてしまったらしい。


 そりゃそうだ。


 全部彼女の言う通りだ。


 つまらない見栄を張って、彼女にだけ恥ずかしい思いをさせて、自分は楽な立場に甘んじてしまった。


 そんな奴は、嫌われたって当然だ。


 今更後悔しても遅いのだが。


 それでも裕太は泣きたくなる程その事を悔やんだ。


「そんな顔をしてもだめ。可愛いけれど、物凄く可愛くて、思わずイジメたくなってしまうけれど。とってもムラムラする顔をしているけれど。でもダメ。許さない。だって松永君は私の事をイジメたじゃない。私の気持ちを分かっていて、松永君だってその気の癖に、知らん顔して焦らしたじゃない」


 佳子の顔は夏場に放置したチョコレートみたいに蕩けていた。


 Mなんだと裕太は思った。


 僕は違うけど、僕の彼女はMなのだ。


 変態だけど、嫌ではない。


 むしろ興奮した。


「だから、言って。松永君が私を誘って。エッチしたいとお願いして。どうしても今日じゃないといけないと、獣みたいにがっついて。必死に、惨めに、懇願して。そうしたら許してあげない事もないわ」


 その言葉に、裕太はゴクリと唾を飲んだ。


 先程まで、裕太に受けた辱めを反芻して悦に浸っていた佳子の姿はどこにもない。


 佳子は今、黒革みたいに艶やかな長い黒髪を身に纏い、女王様めいた嗜虐的な目で裕太の顔を覗き込んでいた。


 蠱惑的な暗い瞳で裕太の肌を剥ぎ取って、肉も骨も見透かして、その先の心を嬲るようにくすぐっていた。


 彼女はSでもあるようだった。


 変態だけど、やはり嫌ではない。


 むしろ、なんてお得なんだと興奮した。


 気付けば裕太は犬の気持ちになっていた。


 見えない鎖に繋がれて、必死になってご主人様に媚びを売る哀れな獣に。


「僕もエッチ、したいです……。ううん。僕がしたい。すごくしたい! 内田さんとエッチがしたい! したくてしたくてたまらない! 何か月も先なんてとても待てないよ! 明日だって遠すぎる! 段取りなんかすっ飛ばして、今すぐ君とエッチしたい!」


 口に出した途端、理性のタガが弾けとんだ。


 勢いのまま、裕太は佳子に抱きついた。


 佳子の身体は脳髄が痺れる程に柔らかく、眩暈がする程いい香りがした。


 予想外の事だったのだろう。


 佳子は目を丸くして身を固めた。


「エッチしたい、エッチしたい、エッチしたい、エッチしたい……」


 裕太は力いっぱい佳子に抱きつきながら、グリグリと豊満な胸元に顔を押し付けてうわ言のように繰り返している。


 それを見て、佳子の身体がゾクリと震えた。


「うふ。うふふふ、うふふふふふふふふふ」


 ニッタリと三日月形に淀んだ笑みを浮かべると、愛おしそうに裕太の頭を撫でまわす。


「いけない人。なんて可愛い人なのかしら。そんなに必死になられたら、意地悪する気も失せてしまうじゃない。いいわ、いいわよ。エッチをしましょう。でも、ここではだめ。お家まで我慢して」

「うん……。する……。我慢するから……。早く行こう……。内田さんの家……」


 二人は手を取り、文芸同好会の部室を飛び出した。

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