ロボットと娘

とうふとねぎの味噌汁

第1話

 「父さん! 私、十六歳になったよ!」 

「おめでとうヒナタ。早いなあ。もう成人か」

 ヒナタは知らない。ここが君にとって、どれだけ辛い世界か。ヒナタは知らない。僕が君に嘘をついて、太陽みたいに輝く君を、隠し続けていることを。

「父さん! 父さん!」

 ヒナタは期待に満ちた表情を向け、ぴょんぴょんと跳ねている。

 楽しそうなヒナタの頭を、撫でようとして気づく。この硬い手で触れたら、壊れてしまわないだろうか。行き場をなくした手を、自分の頭に持っていく。頭を掻くふりをするが、こつんと硬い音が鳴るだけだった。

「わかった、わかったから。ヒナタは何が欲しい?」

「欲しいものじゃなくて、お願いなんだけど」

「なんだい? 私にできることなら、なんでも叶えてあげるよ」

 ヒナタは、希望を込めた眼差しで僕に言う。

「外に行きたいの!」

「……」

 固まってしまう。自分の演算機能が、どうにか回っていくのを感じる。

「ごめん、それだけは叶えられない」

 期待を込めたキラキラした目は一瞬のうちに暗くなった。

「そっか……。でも、一回だけでいいから、どうしても外に出てみたいの」

 ヒナタは今にも泣きそうだ。でも本当にそれだけは、それだけはダメなんだ。コンクリートでできた、窓もない灰色の殺風景な硬さがやけに目に入る。ヒナタはここに来てから、外に出たことがない。

「ごめん、他ならなんでも叶えてあげるから。外には出ないでくれ」

「それでも、昔約束したじゃない! 大人になったら外に出てもいいって。我慢してたのに。いつも、いつも外に出たらダメって。理由も教えてくれないのに」

「ごめん」

 ごめんと言うことしかできない不甲斐のない僕を、ヒナタは泣きながら無機質な目で見つめる。

「もういい。何も言ってくれないことは、わかってるから」

 ヒナタは唯一生花の飾られている自室にこもってしまった。ヒナタにあんなに冷たい目で見られたことはない。胸の辺りがひやっとして、落ち着かない。またヒナタの屈託の無い笑顔が見たいと思ってしまう自分がいる。叶えられもしない約束をして、裏切ったのは僕なのに。どうしたらいいのか、わからない。

 ヒナタを拾ったのは十五、十六年前のこと。この、機械に支配された世界で、僕は研究用ロボットとして人間の発想力を理解するために作られた。根本に人間に対する興味を植え付けられた僕は、いつしか人間に対して過剰な反応をするようになった。いつか自分もあの不出来で残忍で、それでも暖かさのある、あの生物になってみたいと考えるようになった。ロボットが人間の感情を理解しようとしすぎることは、禁止されている。感情というものは邪魔なもので、合理的な判断ができなくなってしまうからだ。人間の全てを知りたがってしまった僕は、完全に壊れていた。全ロボットをまとめ上げている、スーパーコンピュータとAIが僕に下した判断は、廃棄だった。ボロボロの廃棄場で充電切れを待つだけだった僕の元に、赤子の泣き声が響き渡った。周りのロボット達は見向きもせず、ただじっと己の終わりを待っている。命令違反になってしまうことは、どうでもよかった。ただ見ることしかできなかった人間に、触れてみたいと思った。泣き声のする方に向かう。ギャンギャンと泣いている赤子をそっと抱き抱え、廃棄場から逃げ出した。

 拾ったのは、好奇心からだった。人間とはどのような生物なのか、僕らには無い自由な発想や、感情はどのようにしてできるのか。行動原理が知りたくて、観察がしたくてたまらなかった。昔見た人間が書いた書物に、人間は名前をつけると書いてあったから、この赤子をヒナタと名付けた。人間の日記に書いてあったヒナタという名前を、そのまま借りただけの簡素な名前。でも、ヒナタと呼ぶと、なんとなく嬉しそうに見えた。ヒナタはとても元気だった。ニコニコしては、いきなり地が割れるんじゃないかと思うほど大きな声で泣き、静かだと思ったら僕の手を齧っていたり。どのような理由で泣いているのかがわからず、ミルクとオムツを片手に、ずっとうろうろしている時もあった。

「パパ!」

 いつからだろうか。ヒナタが僕に向ける、無条件の信頼が心地良くなっていたのは。ヒナタが笑うと胸の辺りが温かくなって、もっと笑って欲しいと思う。ヒナタが泣くとエラーが起きた時のように、動けなくなる。ヒナタが来てから、合理的に行動できなくなり、目に入るものすべてが少し鮮やかになった。

 明日になったら、いつものように笑ってくれると信じて、意味のない眠りにつく。明日はヒナタの成人のお祝いをしっかりしよう。ヒナタの好きなもので食卓を埋め尽くして、プレゼントには好きな花を送ろう。外に出てはいけない理由も話してもいい頃かもしれない。それで僕を嫌いになってしまっても、あんなに輝いているヒナタをずっとここに閉じ込めておくことはできない。廃棄処分を受けた、生きる意味の無い僕の、唯一の生きる意味なのだから。

 いつも設定している脳内アラームが鳴り、勝手に体が起き上がる。雨がざあざあと降って、木の雨に打たれる音が部屋に響いている。ヒナタのご飯の用意をしようとコンロが一つしかないキッチンに行くと、食卓にメモが置いてあった。

「父さんへ。やはり、どうしても外に行きたいので外に行ってきます。少し覗くだけで、すぐ帰ってくるので、心配しないでください。もう大人だしね! ヒナタより」

 頭から冷水をかけられた感覚がする。ヒナタが、外に出てしまった。あれだけダメと言ったのに。どうして、どうして……。うまく動けない体内が急速に熱を持つ。脳が処理落ちしそうだ。ヒナタの笑顔が浮かぶ。

「ヒナタ!」

 そんな場合では無い。迎えに行かなくては。僕には研究用の機能しか搭載されてない為、万が一バレた時にはヒナタを守りきれない。そんな万が一に備えて作った自分用のリュックを背負う。この家に二度と帰れない可能性も考え、このリュックには日記、非常食、武器などが入っている。プレゼントしようと思っていた花束をリュックに入れ、雨の中を駆け出した。

 ここの森を抜けると、近くに人間に仕えてた頃の癖が抜けず、人間の生活を真似ている変わり者が集まった町がある。普段、ヒナタのご飯や服を買っている町だ。好奇心旺盛なヒナタならその村に行くはずだ。鉄とコンクリートでできたドーム状の冷たい村が、どこか騒がしかった。門番もいないので、勝手にゲートを開け、ドームの中に入る。

「なんだ、これは……」

 瓦礫まみれだった。町の中がすべて。災害用にできていない体が警笛を鳴らすが、ヒナタの安否の方が心配だった。町の住人も一人もいない。瓦礫の少なそうな大通りを通り、町の中心へ向かう。

「やっ……やめてください!」

 ヒナタの声だ。声の方を見ると、ヒナタがロボット達を背に庇って、武装した人間の集団の前に立ちはだかっていた。

「なぜ庇う! お前も人間だろ! 俺達は支配され、今まで実験動物として生かされてきたんだ。俺の母さんは病気に罹って、広まるといけないからって殺処分されたんだ。安静にしていたら治る病気だったのに。ふざけるな! 俺達はロボットから自由を取り返す! そこを退け!」

 リーダーのような少年が、凄い剣幕でヒナタに叫ぶ。

「それでも、それでも。優しいロボットだっているんだよ、私は知ってる」

「うるさい!」

 ヒナタは、苦しそうに言葉を絞り出す。

「なんとなく、わかってた。きっと、外は危なくて、私の居場所がないんだろうなって。父さんは私の嫌なこと、わざとするような人じゃないもの。わかってたのに」

「さっきからぶつぶつうるさい! 例え人間でも、邪魔をするなら容赦しない。退け!」

 集団のリーダーらしき少年が、ヒナタに銃を向ける。考えるよりも先に動いていた。

「ヒナタ!」

 ドンという鈍い音。体に少しの衝撃。バランスを崩し、倒れる。頭の中にはエラーの文字。

「え、嘘……」

 ヒナタがこちらを見て、固まっている。

「父さん!父さん!聞こえてる?どうしよ、どうしよ、父さん!」

 ヒナタが泣きながら僕を抱きしめる。

「間に合ってよかった……」

 抱きしめてやりたいのに、動けない。体の制御装置が壊れたようだ。

「父さん! 父さん! どうしたらいい? 穴空いてる! どうしよ!」

 もう、二度とヒナタに触れられないであろうことがわかる。

「ヒナタに、言わなくちゃいけないことがあるんだ」

 ヒナタは涙でぐちゃぐちゃになりながら、必死に聞いてくれる。

「ヒナタを拾ったのは人間を研究したかったからで、知的好奇心が満たされたら、どこかの施設に送るつもりだったんだ。でも、ヒナタと暮らしているうちにヒナタに愛着が湧いてしまって、ずっと一緒にいて欲しくなってしまった」

 体の動作制御装置が止まったようだ。もう体も動かせない。

「約束、破ってごめんね。外にでたら処分されてしまうと思って、怖くなってしまって。あれが、愛しいっていう感情だったんだね」

 許してくれなくても、かまわない。ヒナタが幸せに生きてくれさえいれば。そんなに辛そうな顔をしないでほしいと、願ってしまう。

「このリュックに色々なものが入ってるから、使ってね。花束が入ってるんだけど、誕生日プレゼントだよ。手渡せなくて、ごめんね。愛してるよ」

 もう、音声も聞こえにくくなってきた。なんとか体内で電力消費を減らし、意識を保つようにしてるが、もうそろそろ時間だ。

「父さん、父さん、勝手に外出てごめんなさい。私も父さんのこと愛してるよ。今までありがとう。大好き」

 泣きじゃくるヒナタの顔。もう涙を拭ってやることもできない。

「私、父さんに守られていたんだね。この世界が、こんなことになっているなんて。私、父さんのこと忘れない。こんなに優しいロボットもいたんだよって伝える。だから、安心して見守ってて」

 僕が最後に見たのは、泣きながらも強くなった愛しい娘の笑顔だった。

 こうして、感情を理解したロボットは死んだ。このロボットが育てた人間の少女は、争い合うロボットと人間達の架け橋となり、両者の友好への立役者となった。

 

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