第2話

「……死ぬ…………」


 いつもニコニコ笑っている、徹夜明けの太陽くらい眩しい輝きを放っている、クラスメイトの五十嵐ダイ。

 ぼくが一番憎んでいる連中の要素をこれでもかと詰め込んだような男の口から、そんな言葉を聞いたのは美術の授業中だった。


 美術室に備え付けてある水道で筆を洗っていた時に、不意にそんな言葉を聞いたものだから、つい声の出所を見てしまったのだ。


「…………いや、でも…………死ぬな……」


 すっかり綺麗になった絵筆をまだゴシゴシこすりながら、五十嵐はずっと上の空。

 コイツでもそんな風に悩むことがあるのか。

 てっきり人生のすべてが楽しいと感じていると思ってた。


「あー…………ダメだ、どうやっても死ぬ……!」


 考えこむ五十嵐が珍しくて、ぼくも絵筆を洗い続ける。

 この男のなにが――


「…………光るナイフはガードしちゃダメ…………でも……左側は杖が……」

 ん?

「転がっても意味ないんだよな…………盾でガード…………いや、でも……」

「パリィできるだろ、あんなん」


「え?」

「え?」


 あれ、ぼく今なんて言った?


「うわ、独り言言ってたオレ? 悪い金森、なんでもないんだ!」

 慌てて弁解する五十嵐だが、ぼくはため息で返す。

「マルギットだろ? エルデンリングの」


 忌み鬼マルギット。

 エルデンリングの序盤、リムグレイブ西部にいるボス。

 それまでの小迷宮の奥で待ち構えている中ボスとは違い、特殊な演出で褪せ人の前に立ちはだかる「第一のボス」。

 エルデンリングをプレイする者にとって、最初の関門になる敵だ。


「えっ、金森もやってんの!?」

 ぼくも最初はなかなか手こずった。だからこそマルギットの攻撃パターンは覚えている。

 五十嵐が何で詰まっているのかも、手に取るようにわかる。


「アイツめっちゃ強いよな! マジで倒せんのかよ、あんなん」

「倒せるよ」

「オレ何回もチャレンジしてんだけど、半分削ったところでハンマーとか出してくるじゃん? あれがどうやっても避けられなくてさ! 昨日も深夜二時までやってたけど、結局無理だった!」

 笑いながら失敗談を語る五十嵐。

 だけどぼくは笑わない。


「わかるよ」


 強敵に負けるのは、エルデンリングの常だ。

 フロムゲーはずっとそうだ。トライアンドエラーを繰り返して勝利を掴みとる。

 負けがかさむからこそ、勝った時に気持ちいいんだ。


「でもさ! クッソ難しいけど、クッソ面白いなあのゲーム!」

 そう語る五十嵐の目は、輝いていた。

 いつも友人達とダベっている時の明るい目じゃない。

 もっと純粋な、宝石のような目だ。

「まだ全然進めないんだけどさ、なんかこう、難しいんだけど、倒した時に気持ちいいっつーかさ! よくできてんなーって思ってさ!」

「……なんだよ、それ」

 知らない人が聞いたら全然伝わらないぞ、そんなんじゃ。


 でも、ぼくには伝わった。

 五十嵐のガキみたいな顔を見るだけでわかる。


「けどさー、さすがにマルガットは強すぎだって。あれひょっとしてまだ行っちゃいけないボスだった?」

「マルギット、な」

「ああ、そうそうそれ! オレこういうゲーム初めてでさ、何もわかんないんだよ」

「何もわかんないのに楽しそうだな」


「楽しいよ!」

 ニカッと笑う五十嵐を見ていると、何も言えなくなる。


 攻略のアドバイスならできるけど、今こんなに楽しんでいる五十嵐に余計な情報を与えたくない、という気持ちが湧いてくる。

 ……別に、五十嵐のことを気にかける必要なんかないのに。


「でさ、金森はなんか攻略法とか知ってる? 知ってたら教えてくれよ」

 ま、向こうから尋ねられたら答えざるを得ないけど。

「とりあえず遺灰使って頭数増やせよ。それから無理にローリングで避けようとせずに、距離をとって魔術や祈祷で攻撃するのも手だ」

「…………イハイ?」

「あー、そこからか」

「魔術とか祈祷も全然わかんねーや。ていうかまだ使えないかも。レベル足りてないのかな?」

「レベルも重要な要素だよ。ステータスが上がれば装備できる武器の幅が広がるし、さっき言った魔術や祈祷の使用にも関わる。他にもレベルが上がるだけで各耐性も上がるから、単純に防御力が増すし。RPGなんだからレベル上げは基本中の――」


 ――っと!


「ごめん、喋りすぎた」

「え、なんで謝るの?」

「キモいだろ、好きなことだけベラベラ喋るの」

「ああ、まあ、な」


 そこは否定しないのか。

 でも、ぼく自身そう思ってるからな。

 苦手なんだよ、他人と適切なカタチの会話をするのが。

 ぼくにコミュニケーション能力を求められても困るんだ。


「でも今は助かってるよ、オレ。なるほど、やっぱレベル上げが重要なんだな! あとは魔術だっけ? それどうやって使うの?」


 魔術も祈祷も使えないとなると、素性は放浪騎士か侍あたりか。

 遺灰も知らないのなら、まずはシステムから説明する必要があるな――


「って、なんでぼくが教える流れになってるんだよ」

「えー、教えてくんないの?」

「……いや、訊かれれば教えるけどさ」

「おっ、サンキュー! でさ――」


 そうして五十嵐の質問にいくつか答えているうち――


              ***


『おーい! もしもーし、聞こえる!? こんばーん!』

「……テンション高いな、おい」


 スマホから聞こえる五十嵐の声。

 今何時だと思ってるんだ。大丈夫なのか、そんなデカい声出して。家族に怒られるぞ。


『えーっと、言われたとおりサイン? ってのを見ればいいんだよな?』

「そう、合言葉を設定すれば、それを知らないプレイヤーからはサインが見えなくなる」

『ふんふん、合言葉ね』

「そういやそっちのプレイヤーネーム知らないや。教えて」

『おう、待って、今スマホで送る。あ、そういやフレンド登録してないじゃん。ID教えてくれよ』

「ん」


 声が聞こえるスマホを手に取り、音声ではなくメッセージ機能を使ってぼくのIDを伝えると、スマホではなくゲームモニターの画面左上に通知が来た。


 ――DaiDai_Daaaiからフレンド登録依頼が来ています。


 フレンド、か。

 ネット上での友人は何人もいる。

 ゲームで遊ぶことだってあるし、SNSで色々な会話だってしている。

 だから孤独だと思ったことはない。


 けど――リアルのぼくを知っている人間とフレンドになるのは初めてだ。

 別に五十嵐だってゲーム上の付き合いにすぎない。

 そうとわかっているのに、承認ボタンを押すぼくの指が一瞬だけ止まる。


 ――深く考えることなんてないじゃないか。

 承認、っと。


『おー、承認キタキタ! えーと、それでどうするんだっけ?』

「サインだよ。ぼくが床にサインを書いたから、召喚してくれ」


 褪せ人の鉤指というアイテムを使うことで、その場に召喚サインを書くことができる。

 サインは自分の画面だけではなく、ネットワークに繋がっているプレイヤーにも見ることができる。


 今、ぼくがいるストームヴィル城城門に、五十嵐も同じように立っているはず。

 合言葉を決めていれば優先的にぼくのサインが見えるはず。仮に合言葉を書いていない場合、この場所にいる世界中のプレイヤーのサインが表示されるのだ。


『サイン、サイン……どれだ?』

「鉤呼びの指薬使ってないだろ。使わなきゃサイン見えないぞ」

『あ、そうだった! ちょっと待って! ええと、Yu_Darkshadoのサイン……あ、これだな』


 ぼくの画面が一瞬暗くなり、ロード画面になる。

 そうしてぼくの前に五十嵐のキャラが現れた。

 いや、五十嵐が遊ぶエルデンリングの世界にぼくが召喚されたのだ。


『やった! よろしくな金森!』

 ぼくの前に立つ軽鎧を身につけた褪せ人がぴょんぴょん跳びはねている。


『やり方を訊くのもアリだけどさ、やっぱり実際に一緒にやった方がいいよな!』

「ま、それはそうだ。百聞は一見にしかずだな」

『そーゆーわけで先生、お願いします!』

「バカ。あくまで倒すのはお前だ。ぼくは助っ人だからな」

『へへっ、それでもよろしくな!』


 またぴょんぴょん跳ねる五十嵐のキャラ。

 こいつは他にジェスチャーを知らんのか。


「いいか五十嵐、そういう時はこうするんだ」

 ぼくのキャラが胸に手をあて、深く一礼する。

『ふんふん』

 ジェスチャーを出す方法を教えると、五十嵐も同じように一礼した。

『改めて、よろしくな金森!』

「うん、よろしく」


 いつからだろう。

 ゲーム内でこうしてきちんとした挨拶をしなくなったのは。


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