第4話
池ぼちゃ騒動の後は、私は乾かして行けとしつこく引き留めるレオンハルトを態度で強引に捩じ伏せて濡れ鼠のまま帰宅した。あくまでも態度でね。物理で捩じ伏せたりはしないわよ。
顔を近付けてキッと睨んで「こんな姿をこれ以上他の方に見られたくありません。目撃者の少ないうちに帰らせて下さい」と凄んで迫ったら折れた。
たじろいでいたレオンハルトは年下女子から気圧されたのが屈辱だったのか、顔を真っ赤にしていたけど怒鳴ったりはしなかったわね。
そんなわけで私は現在無事シュガー家の屋敷に戻っている。
「あとはどうやってこの田舎に引っ越すかだけど……」
今日は厨房ではなくて自室のテーブルに大きな国内地図を広げ、王都から遥か遠い山間いのラングウッド地方にあるシュガー家領地を指先でトントンとタップする。
「処刑ものの理由で婚約白紙は論外だから、やっぱり金銭的な理由にするのが最も無難かな。そのためには……よし、敵の敵は味方ってわけで、――王后にも協力してもらおう」
そうは言っても信頼して正面から味方になってもらうわけではない。そんな警戒心皆無な愚かな真似はしない。
ただちょっと彼女の権力というか影響力を当てにするだけだ。
シュガー公爵家が事業に失敗して、王都の家屋敷を売り払って王都を去るしかないようにするために。
――落ちぶれるために。
そんな家の娘を王太子妃になんてするはずがない。まずもって王都の貴族連中は猛反対する。
レオンハルトもその上奏に乗っかってくれるだろう。
そんなわけで、私は家族にもレオンハルトにも内緒で手紙を出して王后と密会する手筈を整えた。ゲーム知識チートで彼女が秘密裏に使用する私書箱に送ったんだ。
密会当日、私は王宮に出向いたわけではなかった。そんな露骨な真似をすればバレバレだ。それに外出には侍女を伴わないと家の者に怪しまれるから付き添いと訪れても不自然ではない場所である必要があった。
王都の上流階級御用達の高級喫茶に出掛けた。
無論レオンハルトとお茶の約束はしないで私個人的な希望でだ。
誰の目も気にせず遠慮なく一人で思う存分おやつを飲み食いしたいって告げたら両親は了承というか納得してくれた。まだ八歳の私でも一丁前に婚約者たるレオンハルトの前では巷のレディ達と同じく緊張で食欲減退してしまうとか、照れて恥ずかしくて大食いをついつい遠慮してしまうとか思っているようだった。……二人はあの悪夢の晩餐会を忘れたんだろうか。まあ好都合だからよし。
王都でも屈指の格式高い喫茶店内部は、シンプルかつラグジュアリーだった。全ての調度が一級品。値段もさる事ながら王国から勲章を受けた一流熟練職人が手掛けたと言うそれらは、華美なのに決して派手ではなく、店の落ち着いた品格を損なわない絶妙さを醸していた。
まあそれはさておき、訪れた私は侍女には別の個室を与えて他には内緒だからと告げて自由に好きな物を頼ませておいた。こっちが満足するまで食べたら声を掛けると言ってある。特別職務熱心でもない侍女は喜んで普段は手が出せないような高い紅茶やケーキを注文していた。
これで、やっかまれるのは御免だと屋敷の他の者に余計な話はしないだろう。
私は王后からの密書に指定された個室を案内係に告げて先導してもらった。うん、密書。種類はわからないけど黒い鳥が私の部屋の窓辺まで直接手紙を運んできた。たぶん魔法の鳥なんだろう。
おそらくはこの店で一番豪華な個室は結構広くて天井も高かった。建物の外からドームが見えたからそこの真下がこの部屋に違いない。
私が先に五人分のケーキセットを頼んで食べながら豪奢なソファーで遠慮なく寛いで待っていると、半分くらいを食べ終えたところで王后がやってきた。
因みに食べ始めてまだ三分も経ってない。メイプルの胃袋恐ろしや。
彼女は襟ぐりのすごーく深い超セクシーかつ裾の長いブラックドレスを引き摺ってのご登場。おおう、これぞ悪役の鑑!
でもそれで外歩いたの!?ってある意味リスペクトしながら、私はくびれ攻めーって自分でもよくわからない雄叫びを上げそうになった。だって女子目線で見てもスタイル抜群なんだもん。こりゃ国王もたまらんよね。
まあ、そんなオヤジ思考は置いておくとして、王后アップル・ポイズンは細い腕に真っ赤なリンゴを詰めたバスケットを提げて……いるわけもなく、別に普通に案内されて威風堂々と入ってきただけだった。
一応は淑女の私はソファーから立ち上がって礼を取る。
何枚もの皿が広げられ食い散らかしたようにも見えなくないからか、テーブル上の光景に眉をひそめた王后は向かいのソファーに腰を下ろして注文する。私もまた座った。弁明しておくと、食い散らかしたつもりはない。ケーキは綺麗に平らげてある。
「ふむ、それで? メイプル・シュガー嬢、我に話とは何だ? 勿体ぶらず話せ」
単刀直入なのは彼女も無駄に子供と戯れていられる程暇人ではないからだろう。
フハハならばこちらとて応じるまでよ。
「では遠慮なく。実は、王后陛下の方から両親に投資の話を持ち掛けて頂きたいんです」
「何を言ってくるのかと思えば、投資だと?」
「はい。そしてその投資先としては――」
そんなわけで、私も単刀直入に率直に物申した。落ち目の事業に財産の大半を注ぎ込ませるようにさりげなく乗せてほしいと。
案の定、話を聞き終えた王后は不審そうに目を細くする。
「そこに投資するのはどう考えても泥舟に乗るも同然、破滅だろうに、お前は普通よりも早くて激しい反抗期中なのか?」
「いえ、ちょっと我が家を貧乏にしたくて」
「……何か両親に恨みでも? まるで前世からの仇に対するような扱いではないか。それとも憐れな娘だと王太子の気を引きたいのか?」
「いえいえまさか、それだけは絶対ないですっっ」
「絶対……言い切るな」
ここで本音を告げてみるべきだろうか。
婚約解消って目的は一緒なんだし、正直に言ったらそこも協力してくれるかもしれない。まあ駄目元だ。
「わたくしはレオンハルト殿下と結婚したくないんです」
「な、に……?」
「折角権力闘争を好まない両親の下、公爵家の娘に生まれたんですから、自由に恋愛したいんですよ。ですからこの縁談は重荷なんです。けれども国王陛下が乗り気で婚約は成立してしまいましたから、逃れるとなるとそれ相応の不適格さがないと認めてはもらえないでしょう? 故に、婚約者失格の烙印を捺されて王都を離れたいわけですよ」
王后はぽってりした真っ赤な唇をポカンと開け、黒々とした艶のある瞳でまじまじと私を見つめてくる。ドキドキ。
「手紙を貰った辺りから薄々思ってはいたが、お前は本当に八歳の娘なのか? どこぞの大人が魔法で子供になっているわけではなく?」
ぎくっ。変身はしていないけど、中身はただの八歳ではない。私も自分のメイプルとしての年齢を半ば失念していた。危ない危ない。
「うふふ少し小賢しいだけですよ。マセているとはよく言われます。まあそれはともかく、没落したらこの地を出てここから遠い田舎に行きたいと思っています。よもや王太子殿下が王都に不在の相手と結婚なんてあり得ません。……ですよね? 王族の義務、子孫繁栄に響きます。そもそも殿下もわたくしを疎んじていますから、嫌われている相手とこのまま結婚してもお互いストレスになるだけです。離れるのがベストでしょう。これでわたくしの思惑がご理解頂けましたでしょうか?」
悪くするとあなた方王家に酷い目に遭わされて殺されるからーとか、心の本音は言えないからそういう理由にした。
あながち嘘でも誇張でもない。私は王都を出たらもう戻って暮らすつもりはない。何かで必要で訪れるかもしれないけど、二度と足を踏み入れないかもしれないんだから、彼との子孫は残せない。まあ向こうが何かの用事で遠路遥々来たらその限りではないけど……って、来たとしても深い仲はごめんだけど!
「そうなのか…………老婆心から気を回すのではなかったな」
「え? 老婆心?」
お節介って意味合いよね。王后は何故かチラと個室の扉へと同情と憐れみに満ち満ちた目をやった。
案内の従業員が出て行く時にしっかり閉めていかなかったのか、扉は閉まっているように見えて僅かに隙間が開いているようだった。
もしも、現在その向こう側に誰かが居て話を盗み聞いていたとして、王后側の人間ならここに話を聞いていた大ボス王后本人がいるんだから支障はないし、反対に王太子側の誰かでも今の話を聞いたらこの先私を支持しようとは思わないはずで、しかも私はきっぱり王都を去ると宣言したんだから余計な波風は立たないだろう。
「本当のところ、王后陛下も彼の婚約者からわたくしを外したいのですよね? 利害は一致します。どうか協力して頂けませんか?」
無駄な躊躇いや駆け引きを捨て去りズバリ突っ込めば、王后は僅かに目を瞠った。
「お前は本当に食わせ者の老人のようだぞ。一体どう育つとこうなる?」
ほほ、と私は愛想笑い浮かべて曖昧にしておいた。
「まあいい。確かに我は姪のティアラを推している」
設定通りだね。私はこの場の密談に相応しい密やかな笑みを浮かべた。
「では、利害の一致ということで宜しいですね?」
どっちが悪女だよってぶっちゃけ自分でも思いつつ、私は遥かに目上の王后相手に会話を主導する。
「ああ、願ってもない共犯が現れてくれたものだ」
取引は成立。彼女は妖艶とも言える赤い唇に弧を描き、危険な美しさでクククと低く笑った。
「将来の栄光を手放すとは、シュガー嬢は誠に変わっている」
クククと笑う王后から冷めてしまう前にと紅茶を勧められた。
会話の間に入ってきた店の人間が王后の分だけではなく、私の分も新しく紅茶を用意してくれたものだ。頼んでいないのにね。どんな話をしているのかもわからないのに問題なく入室してきた辺り、王后の手下なんだろう。
結構色んな所に配下を紛れ込ませているんだなあ、と私は内心で拍手しながら雰囲気の良い店員さんの手本みたいなその女性を眺めた。
「ふむ、好みではなかったか? まあいいが、今後のお前のためにも一つ助言をしてやれば、それでも目上の者からの勧めは無理にでも受け取るものだぞ?」
「ありがとうございます。ですけど、この一杯に限っては心からの誠意でお気持ちだけを受け取っておきます」
「はっ、ハハハ、はは、聡くて可愛くない娘だ」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
王宮外の店なのに、そこで出された紅茶には王后が指示した薬が仕込まれている。或いは良くない魔法が。手を付ける馬鹿はいないわよ。
「まあ入っているのは自白剤だがな」
やっぱりか。まだ殺す気はないとは思っていたけど、自白剤か。彼女が用いるそれは下手をすると精神が壊れるヤバい薬の一つだ。言動が怪しいとは言えまだ八歳の子供に廃人になりかねない強い薬を使ってでも真意を確かめておきたかったなんて、どう控え目に見ても悪女はどんな時でも悪女だって改めて震えるわ。向こうのサバサバした態度につい忘れそうだったけどね。
王后は私の唖然とした表情に可笑しみでも感じたのか、クククと笑った。
「なに、冗談だ」
嘘こけーーーーっ!!
「わたくしは必要な事は全て白状しましたっ、王后陛下っ! ですので宜しくお願い致しますっ」
「は、生意気元気な小娘だな。まあよい。此度は提案に乗ってやろう」
足を組んで傲然と顎を上げ、王后は今度はクハハハと高らかに笑った。
一見悪態のようにも聞こえたけど、何故か楽しげな響きを帯びていたのは、私の気のせいだろうか。
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