第3話

 婚約者だからってだけの理由でレオンハルトとは平均して隔週って頻度で顔を会わせている。強制的に。


 植物園に行ってもレオンハルト

 買い物に行ってもレオンハルト。

 歌劇場に行ってもレオンハルト。

 お茶会に行ってもレモンタルトああいやレオンハルト。


 しかも歌劇場と言えば、一度なんかはいつもいるボックス席に来ないから、どうしたレーヴェ(←愛称)きゅん今日は風邪でお休みでちかーって余裕の寛ぎをぶっこいていたら、え?はい?舞台上にるんかい!って仰天した。

 多才なレーヴェきゅんことレオンハルト殿下は、演技もこなせる天才子役だったらしい。


 死んじゃった女の子を一途に想うって少年役がどうしてなのか真に迫っていて見事にはまっていて、涙涙のスタンディングオベーションだった。


 そんな演技の最後まで舞台上の彼とこれでもかって頻度で目が合っていたのは何故だかわからない。


 私は彼の演技をちゃんと見ていないと後々感想を訊かれた際に困るから義理で見ていたけど、向こうさんがこっちをチラチラ見る必要なんてなかったのにね。変な子。


 でもね、演技のはずの切なげな眼差しが妙に胸に刺さった。


 うん、傷心の美少年……好物!

 だけどレオンハルトだぞあれはーって必死に自分に言い聞かせた。

 彼も彼で上演後に一応は義務って感じで気が進まない顔付きで会いに来た。嫌なら顔出さなくて良いのにね。

 ま、お世辞でもなくすごいってべた褒めしたら何だか嬉しそうにはにかみかけて、直後ハッとして自分を戒めるように頬っぺたを叩いていたっけ。変な子。

 きっといつも会話の弾まないメイプルから称賛されてびっくりしたんだろうけど、素直じゃない面倒な奴に育ちつつあるらしい。

 憐れみの目で眺めていたら、急にこっちを見てきた。


「そ、そんなに褒めてくれるのなら、その……私の事は何番目に好きになった?」

「はい? えーと、うーん、まあ暫定五十番目くらいですか?」


 ちょっと意外な質問だった。答えない理由もないからと、百番目でも婚約相手に対しては失礼だったけど少しは好感度が上がったから正直にそう告げたら「ごごご五十位も上がったのか!?」って目を剥いていたっけ。


「演目も終わりましたし、わたくしそろそろ帰ります。ごきげんようレオンハルト殿下」


 私はそう言ってさっさとボックス席から出た。幸い「何だ五十位って! 不敬だぞ!」と怒って追いかけてくる様子はなかったから安心した。


 彼との事をもっと詳しく話すと、顔を合わせても親しくならなければいいと、私はお茶会や買い物ではトイレを口実に長々と抜け出していた。

 最初は大の方なんだろうって気を遣っていた周囲も、何度かそれをするうちに逃げの手口だって勘付いて、見破られて以後は絶対に侍女や侍衛たちに捜されて、例えばお茶会だと庭の茂みの中に身を潜めていても最終的には呆れた顔のレオンハルトから見つけられる始末だった。


 彼ってば厄介にも勘が良いから。


 買い物だといちいち吟味するのが面倒で勝手に馬車とか試着室に入ってぐーすか寝ていたんだけど、その度にあれいないって騒ぎになって大々的に捜されたからそれもできなくなった。


 レオンハルトと買い物なんてしてもつまらないのに、サボれないよう彼は手を掴んで引いてくれるようにもなっちゃってこればっかりは逃げられなかった。まだまだ介護が必要な歳でもないのになあー。


 だから買い物の誘いは極力断るようにしていた。……だけど、その腹いせなのか多量に家に贈り物を持参してくるようになったから困った。

 どうせ国王からきちんと婚約者らしい振る舞いをするんだぞとか言われて渋々やっているんだろう。気の毒っちゃ気の毒だけど、こっちだって迷惑だ。それ以前に散財するんじゃないっての。


「はー。どうしたもんか……。まあでもあと少しの辛抱だしね」

「辛抱とは? 何の辛抱だ?」

「…………あー、殿下どうもご機嫌麗しく~」

「かくれんぼは今日も私の勝ちだな」


 誇らしげに宣ったレオンハルトは、この日の王宮庭園でのお茶会でも隠れた私が庭の茂みから出るのを手伝ってくれた。手を引っ張ってくれながら、怒るとか呆れるでもなく私を見つけられて嬉しそうにする彼をしみじみと見据える。最近気付いたけど実はこの殿下、案外面倒見が良い。

 とは言え……。


「殿下は犬並みの嗅覚をお持ちなんですね」

「……。たぶんメイプルならどこに隠れても時間を掛ければ見つけられると思う。ふん、私から逃げても無駄だぞ。ところで、頭隠して脇の肉隠さずって言葉を知ってるか?」

「んまっ!」


 皮肉にはぜい肉いやいや皮肉で返されて内心地団駄を踏んだ。でも彼の声には全く悪意が感じられないから不思議なのよね。まるで一番のお気に入りのペットを可愛がってついつい揶揄ってしまうような、そんな悪戯心。


 だけどね、毎回顔を見れば国王に言われたから渋々来ているのが明らかにわかるって仏頂面。なのにかくれんぼには情熱を燃やすとか、ふっ、改めて言わなくてもまだまだお子様ねー。


 そもそも国王命令だから来ないわけにはいかなくても、わざわざ私と過ごさないで彼は彼なりに時間潰していればいいのに、そういうところは変に真面目だなあ……なんて事を考えていたら、レオンハルトから小さな包みを差し出された。今までポケットに入れていたみたい。


「ほらこれ、お腹空いただろ」

「え?」


 ああ何だ食べ物か。金塊でもくれるのかと……まあないけど。受け取るしかないから受け取って包みを開いた。


「これは、ええと、何ですか? 瀕死の茶色スライム? わたくしは今更スライムやらヘビやらクモやらで驚いたりしませんよ」


 はー。嫌がらせ、いや悪戯にしても幼稚。


「は? スライム? チョコレートだ……って、あー溶けたのか」


 そっか、ポッケに入れていたから体温で。


「え、もしかしてくれるためにずっと持ち歩いていたんですか?」


 チョコレートが染みてこない包みで良かった。ポケットがでろでろになっていたら気まずかった。


「は……はああっ? そそそんなわけないだろう。自分用だ。今はお前のお腹の音を見かねただけだっ」


 何故か不機嫌になった彼はたまにこんな謎の行動を取る。

 怒るならくれようとしなくていいのに。こっちもでろでろのは要らないし。

 大体、こっちだって正直会いたくないのに強制参加させられてるのがわからない? 益々面倒になる。


「あら、そうですか。勘違いして申し訳ありません。お返し致しますね。ああ、それと金輪際殿下からの食べ物はお断り致します」

「え……?」

「それでは御前を失礼致しますわね」


 私はさくっと軽やかな笑顔を浮かべて振り返りもせず早足でその場を去った。


「まっ待てメイプル」


 はー、案の定すんなりとは行かせてもらえないみたい。


「何ですか?」


 足を止めずに応じる。彼は負けじと横に並んで歩いた。


「溶けていたから不満なんだろうが、そんなに怒らなくてもいいだろう」


 うん、あのさ、そういう事じゃないんだよね。

 怒ってはいません。お気になさらずーって一切心の籠っていない返答を投げて歩く速度を上げた。

 彼は何故か離れず付いてきて、私達は庭園の池に差し掛かる。


「今後は溶けないように注意する! だからゆっくり話さないか?」


 だから、溶ける溶けないってそういう事じゃないんだってー。


「すみませんがもう帰ります」

「早くないか?」

「そうでもないですよ」


 歩速はどんどん増していて私とレオンハルトは競歩で競争をしているのかって傍からはそう見えていたみたい。


「メイプル、急いでいるのか? それとも普段歩きがまた速くなったのか?」

「……この状況だからですよ」

「え?」

「ああいえ、まあ、わたくしは素早いデブだそうですからね、これくらいは余裕です」

「は……?」


 今ではそこらの妖精に悪戯されて転んだりなんてほとんどしなくなった。筋トレのおかげで標準的にシャカシャカ歩けるようにもなった。そこに一番に気付いたのが屋敷の誰でもなくこのレオンハルトだったのは些かびっくりだったけど。

 この池のほとりに沿って進むのが馬車への近道だ。


「おい、何だそれは」


 いきなり彼から腕を掴まれて引き留められてしまった。


「何ですか急に。危ないですよ転んだりしたら。初ダンスの時みたいに押し潰されたいんですか?」


 ゲーム設定通り私は彼との初めてのダンスで押し潰した。押し倒すなんて可愛い表現ではなく、文字通りの押し潰す、だった。あの時のレオンハルトは「ぐええっ」て蛙が最期に鳴くような声を上げて失神した。周囲は大慌てで治癒術者やら医者やらを呼びに走ったっけ。


「もっもう押し潰されたりなんかするかっ! あれからはより鍛えているからな! いつか来るべき日にお前を姫抱っこで……ってそこは今はいいっ、とととにかく今の、素早いデブと言うのは、自虐か?」


 自信と自尊心に溢れる頑固殿下のくせに自虐なんて言葉を知っているなんて意外。さすがは英才教育の賜と感心する私は、彼の顔付きが大真面目なのに怪訝になった。

 一体どうしたの? 仮に自虐だと何?


「いえ、単に陰でそう言われているだけですよ」

「は? 誰にだ? どいつがそんな言葉をお前に言った!?」

「か、陰口なので直接言われたわけではないんです」


 え、マジでどうしたの怒り出したりなんかして。

 素早いデブと言うのは実は最近屋敷内でメイプルが裏で呼ばれている心ない言葉の一つだ。こっそり厨房に忍び込んだある日にたまたま聞こえてきた。生ゴミ入れに隠れてやり過ごしてお喋りメイド達には見つからずに済んだけど。


 ゲームと同じくどうせそのうち決定的にシュガー家を見下して離れていく人間達だ。そんな者達から何を言われようと気にはならない。ううん、腹は立つけど正確には気にしている余裕はないと言うのが的確だ。

 生き延びるために色々と準備したり考えないとならない忙しい身の上なんだもの。


「別に気にしていないですよ? むしろ的確にキャラの個性を表現してくるなあ、と」

「何だよそれは……」

「こうして太っていても仮に痩せていても、わたくし自身が今のわたくしを肯定しているんです。いちいち相手になんてしませんよ」


 私がけろりとしているからなのか、レオンハルトは気が抜けたようにした。


「お、大人だな。本当に落ち込んでいたりしないのか? 言っていた奴を厳罰に処したくは?」

「まあウザいですけど特には何も。そういう殿下こそ、どうしてあなたが言われたみたいな顔をしているんですか。本人がこうも全然平気なのに」


 意外な彼の正義感と言うか思いやりを見せられて苦笑が滲んだ。良いところも少しはあるのね。ただ厳罰に云々はかなり本気っぽくて背筋が寒くなったけど。この頃から悪事って言うかそういうのには厳しかったんだ?

 私がにこにこしているからなのか、彼は溜息一つで怒りを解いた。


「メイプル、この先誰に何と悪口を言われようと、傷付く必要なんてないからな! そんな相手は相手にするだけ無駄だ。だがもしも傷付いた時は、私を思い出せ」

「ええと?」

「太っていようが痩せていようが、どんなメイプルでも私の婚約者なのは揺るがない。王太子の婚約者なんだ文句があるのかと権威を振りかざしてやればいい」


 こっちに人差し指を突き付けてふんぞり返って命令してくるレオンハルト。うーん、多少横暴というか横柄だけどこれはこれで励ましてくれようとしているんだろう。

 子供のうちはこれでもいいかもしれない。

 だけど、大きくなったらそうもいかない。

 本格的なのが始まるのがどこからなのかは明確にはわからないけど、彼は私を心底嫌悪するようになる。

 こんな風に半端に親しくするだけお互いにしこりになるだろう。

 不愉快な将来を避けたい私は一歩下がった。


「殿下、わたくしはあなたの婚約者には相応しくありません。なのでどうか今もこの先もわたくしを気にかけないで下さい」

「相応しくない? 何を冗談を。公爵令嬢のお前が現状で最も王太子妃になるに相応しい娘だろうに」

「身分で決められた関係では、時に破綻しますし、身分に拘るのなら、それももうじきそうではなくなります」

「どういう意味だ?」


 ちょっと意味深にし過ぎたかも。変に勘繰られないうちにお暇しよう。


「殿下、そろそろ本当に帰りますので、お見送りはここで結構です」

「まだ話は終わっていないだろう」

「わたくしにもう話はありません」

「こっちにはある。メイプルはどうしていつもそうやって私を避けるんだ? 前に何か気に障る事をしたのなら遠慮せずに言ってほしい」


 レオンハルトからの真っ直ぐな目にはちょっとだけドキリとした。

 前、ね。

 果たして前って言って良いのかこの先って言えば良いのかはわからないけど、あなたはこの子に酷い仕打ちをしたのよって言ったらどんな顔をするだろう。

 嘘つけふざけるなって怒るかしら?


 他にも疑問がある。


 彼は回想シーンでもわかるけど婚約当初からメイプルには素っ気ない少年だったはずなのに、蓋を開けてみるとどうにもそのキャラと合致しないのよね。


 今だって私を気遣い慰めて励ましてくれようとしている。

 不可解だ。

 何か裏の意図があるのかもしれないとまで考えてしまう。

 何であれ、なるべく一緒にいない方がいいって、私の中の何かが警告を発してくる。


 ――帰らなくちゃ。早く。


 足を動かそうとして、だけどついついレオンハルトに気を取られた私は、最近妖精への油断もあったせいかこんな時に限って彼らの悪戯に引っ掛かった。


「あっ!」


 弱いながらも妖精の魔法で素早くくるりと結ばれた草に足を取られて見事にひっくり返って転がって、嬢ちゃんだけどお池にぼっちゃんよ。


「メイプル!!」


 大真面目な話、予想に反して深さのある池で死ぬかと思った。最初は。


「メイプル今助け――る……?」


 焦った顔のレオンハルトが手を伸ばしたけど、ああ、はい、心配には及ばないわー。


「……脂肪って浮きやすいんです」

「……あ、へえ、確かに」


 力を抜いたら余計にぷーかぷーか浮輪みたいに浮いた。

 その後、十一歳かそこらの男の子じゃ体力的に無理ってわけで、私はすぐに大人を呼ばれて引き上げてもらった。

 だけど普段渋面ばかり、ああいやクールなレオンハルトも時には大いに焦るんだってのを発見して、ちょっと新鮮でもあったかな。

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