愚か者のための狩猟
翌日の夜、ジョーは〈エルク〉でハスキー・ボイスを待った。
彼女を待つ間、サラダとピザを食べた。以前よりも食欲が戻りはじめていた。心なしか、精神もいくらか若返ったような気がした。初めて抱く感情にそわそわと戸惑い、同時に心地良さを感じていた。
階段を降りる女の姿が見えた。いつものようにジーンズにポンチョ姿で、男物のカッターハットを被っていた。凛々しく、美しい彫刻のような立ち姿だった。
彫刻のような女はジョーの隣に腰掛け、テーブルの煙草を手に取った。「また懲りずに私に会いにきたの?」
ジョーは女の煙草に火をつけてやった。「残念ながらそのようだ。どうしようもないんだ」
「どうしようもなく抑えられない想いってあるよね」ハスキー・ボイスは遠くを見つめながら煙草を吹かした。彼女が手を挙げると、バーテンは小さく頷き、ルーヴィルの黒ビールを注いだ。その姿はジョーよりもこのまちに馴染んでいた。「一杯目はルーヴィルって決めているの」
ジョーは泡の抜けたビールを飲み干した。「俺も同じものを頼もうかな」
二人は小さくグラスを掲げ、宇宙一の黒ビールを嗜んだ。会話はあまりなかったが、時より四方山話を挟んだ。野球チームの話(ハスキー・ボイスは火星ニューカラント州ラビットホープ・カウボーイズのファンらしいがジョーは特に贔屓のチームはなかった)や、動物や過去の旅先での話だった。なんにせよ、会話があろうがなかろうがジョーにとってはどちらでもよかった。二人でいられるだけで十分だった。長年連れ添った夫婦のような安心感が彼の心を満たしていた。
三パイントのビールと二人で一箱分の煙草を空にすると、ジョーはバーボンをロックでと言った。
「本気で言っているの?」ハスキー・ボイスは便所の虫を見るような目をした。
「俺はロックで飲むのが好きなんだ」
「そうじゃなくて。それ」彼女はバーボンのボトルを指差した。「そんなもの本気で飲むの? 馬の小便の方がまだましよ。あなたが本物の男でありたいなら、そんなものはやめてこっちを飲みなさい」彼女はバーテンからハミッシュ・スコッチのボトルを受け取った。ボトルの中身は半分ほどなくなっていた。
ジョーはロックで煽る。
「これが本物の酒か」喉の奥が熱を帯びた。その理由は本当にスコッチだけなのだろうか。
「男なら、いや、男も女も関係ないか、本物を嗜むべき」そう言ってハスキー・ボイスはストレイトで煽った。「少なくとも私といるときはそんな偽物はやめて。私は本物しか信じない」
男前の女だ。ジョーは感心するように肩をすくめた。
男前とはおかしな言葉だ。女が男前だってなんら不思議はない。十分、魅力的だ。
二人はしばらく、途切れ途切れの四方山話を語り合った。
「ジョー!」二人の間に割って入った野太い声に、ジョーはあからさまに嫌な顔をした。声の主は"エリマキ"だった。
「何か用か?」見てわからないか? 取り込み中なんだ。ジョーは不快感を込めた眼差しをエリマキに向けた。恐竜に食われちまいな。
「大変なんだ。マヤの姿がない」エリマキはジョーの眼差しなど気に求めずに手の甲で額の汗を拭った。雪山の冬だというのに、はち切れそうなTシャツは汗で湿っていた。
「家にこもってるだけじゃないのか?」
「今朝、クマが出たそうだ。山の方で」エリマキは言った。会話のキャッチボールはうまく成り立っていなかった。エリマキはただひたすらにボールを投げているだけだ。「マヤはきっとクマが出た山にいるんだ。朝に渓谷の方へ向かう姿を見た奴がいる。向こうの山の方角だ。それ以降、誰もマヤの姿を見ていないんだ」
「朝から晩まで山に? あの渓谷を抜けて? そんなわけないだろう。女が一人で行くような場所じゃない」
「それでも行ったんだ」エリマキの汗が首筋を伝い、床に落ちた。
「……家にいないのは確かなのか?」
エリマキは大袈裟に何度も頷いた。「家の明かりはついていないし、返事もない。まだ山にいるんだ」
ジョーは煙草を吸った。
「ジョー!」
「大きな声を出すなよ。俺にどうしろって言うんだ」
「ジョー、あんた猟師なんだろ? 探しに行ってくれよ」
「俺が? こんな夜更けにあの渓谷を抜けろってか? 冗談じゃないぜ。頼む相手を間違えてるよ」
「ジョー!」エリマキは泣きそうな顔でジョーの名前を呼んだ。
酒場はざわめきはじめていた。酔いどれたちの視線がジョーに集まるのがわかった。
「都合が良すぎるぜ。あんたらは猟師が嫌いなんだろう? 俺のライフルをいつも汚物を見るような目で見てたじゃないか。それがなんだ。今じゃヒーローでも崇めるみたいに頼みごとなんて。じゃあ、聞くがな、報酬は一体誰が払うんだ?」
背後で物音が聞こえた。振り返ると、ハスキー・ボイスが立ち上がっていた。彼女は噛み煙草を口に含むと小走りで階段をのぼっていった。
ジョーは深いため息をこぼした。まったく、とんでもない夜になったものだ。
「ジョー、わしからも頼む」そう言ったのは軍人だった。髭は綺麗に剃られていて、何時間も風呂に入っていたかのように小綺麗な顔をしていたのではじめは誰だかわからなかった。
「そんなに気になるなら、あんたが行けばいいんじゃないか? 軍人さんよ」
「意地悪を言うなよ」老人は後ろめたそうな笑みを浮かべて頭をかいた。「もちろん、わしも行くさ。だが、わし一人では難儀だからな。おまえにも一緒に来て欲しい」
「行かなくていい」声の先にはハスキー・ボイスが立っていた。羊毛のコートを身に纏い、肩にはライフルがかけられていた。『クイック&デッド』から飛び出してきたシャロン・ストーンのように凛と煌めいていた。「私が行く。場所はどこ? 詳しい地図をちょうだい」
「おい、正気なのか?」ジョーは言った。「あの渓谷がどれだけ危険なのか君はわかってないんだ」
「ええ、そうかもしれない。でも、それは行かない理由にはならない。そうでしょう?」
「危険すぎる。一人であそこへ行くなんて……」
ハスキー・ボイスは唾を吐いた。床が血痕のように汚れた。「一人? 何を言っているの? あなたも行くの」
「俺も?」
「当然でしょう? 女が一人で行く場所じゃないって言ったのはあなたでしょ。私は一人でも行くつもりだけどね。それとも何、私を一人で行かせるつもり?」
ジョーは長いため息をつき、ロックグラスを空にした。「わかったよ。俺も行こう」
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