第10話 剣聖と聖女

「ふっ!!」

「良い剣捌きじゃねえか。腕を上げたか? アル」


 西門にてアルが加勢し、おおよそ襲ってきた渡竜を斬り倒すと、ソフィーネが感心したように呟いた。

 そう言うソフィーネもしばらく見ないうちに剣の腕を上げている。


 アルは自らの手を見た。

 確かに、いつも感じる体の重さがない気がする。

 体のキレが良いのだ。うまく言葉にはできない感覚の問題。

 無論本気を出した時に比べるとまだまだなのだが、それでも普段より調子が良い。

 

「まさか、アイリスの」


 アイリスの治癒魔法が体の枷を外しているのではないか。

 それ以外に心当たりはない。

 やはり彼女は不思議な力を持っているようだ。

 聖女という言葉だけでは済ませられないほどの力を秘めている。


「おかしいと思わないか、アル」

「む。どうした、ソフィーネ」

「あれだよ」


 そう言ってソフィーネが空を見上げた。その顔は険しい。

 アルもつられて視線を動かした。

 竜の群れが四方に散開している。


「渡竜が群れを崩して四方に飛び去っている。イレギュラーだ」

「もしや、何かあったのか」


 アルは考えた。

 渡竜は必ず群れで行動する。仲間意識が強く、賢い個体だ。

 それらが血迷ったかのように逃げている。

 まるで、自分たちよりも強い何かに怯えているかのようだ。

 

「上位個体か!」


 アルが言うと、ソフィーネがハッとして顔を上げる。

 しかし、まるで気配が感じられない。

 上位個体となるとたくさんいるが、黒竜がその代表例だ。

 空を見上げてもそのシルエットはない。


「大変です!」

「どうした!?」


 ソフィーネの元に、街で見張りをしていた冒険者が駆けてきた。

 息を切らせながら、しどろもどろに報告する。

 ひどく焦っている様子だ。


「黒竜です。今、冒険者が対応してますが……歯が立たず。大半は逃げ出しました」

「クソが! 何やってんだアイツら!」


 ソフィーネの怒号が響き渡る。現れたのは黒竜だ。逃げ出すのは仕方がない。

 しかし、アイリスは。アイリスは無事なのか。

 判断ミスだ。彼女を一人にすべきじゃなかった。

 

「俺は先に行くぞ!」


 アルは急いでアイリスの元へ走る。

 その直後、前方でけたたましいほどの爆発音が轟き、炎の柱が上がった。


◇◇◇


「うう……。生き…てる……?」


 アイリスが目を開けると、幸いなことに視界が開けた。

 意識を失うことなく、体が焼けることもなく、アイリスはしっかりと立っていた。

 腕と頬には、みみず腫れのような赤い線が浮かんでくるが、それもすぐに消えた。

 アイリスの体は自動的に治癒魔法がかかるのだ。

 

「大丈夫ですか?」

「ひっ……。俺は大丈夫です。あなたの方こそ大丈夫なんですか? もろに炎を……」


 青年が顔を青ざめさせながら尻餅をついた。

 どうやら彼に怪我はないようだ。

 アイリスはほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、黒竜はいまだに上空を飛び回っている。

 渾身の炎を受けてもまだ立っているアイリスに、さすがの黒竜も瞳孔を開きっぱなしだ。

 何見てんだこのやろうと睨みを利かすが、黒竜はびくともしない。

 それもそうか。


「これのおかげね。感謝しなくっちゃ」


 アイリスはボロボロに黒く焦げた対火魔法のコートを摘んだ。

 アルの目利きは流石だった。これが無ければ、とっくの昔に灰になっていたことだろう。

 もうこれは彼が守ってくれたと言っても良いんじゃないだろうか。


「き、来ます来ます。どうしよう。死にたくない死にたくないよ」


 青年が情けなくアイリスのふくらはぎに抱きついた。

 

「そ、そんな。私は治癒専門ですし……!」


 そんなに縋られてもアイリスはどうすることもできない。

 黒竜が迫ってくる。

 大きな足が、鋭い爪が、確かな速度を維持しながら、一直線にこちらに向かってやってくる。

 こればっかりはまずい。

 当たれば真っ二つ、それかぺちゃんこだ。


「うぉぉぉ!! 聖女を守れぇーい!!」

「気を引き締めろぉ!!」


 突如、勇ましい掛け声と共に黒竜の爪が受け止められた。

 金属音が響き渡り、激しい振動が地面を揺らす。

 冒険者たちの盾がアイリスを覆うようにして影を作った。


「あ、あなたたちは! それに聖女って……」


 そこにはアイリスが救ってきた冒険者たちが、黒竜に向けて剣を構えていた。

 五人、いや、十人。

 皆足を震わせながら、それでもアイリスを守ろうと立っている。

 あの顔もこの顔も、あの立ち姿も、あの剣裁きも。

 全てアイリスが治癒をかけた者たち。

 助けに来てくれた。もうダメかと思った。

 自分の命はどうだって良い。

 かの追放聖女だとバレて命が狙われても、目の前の怪我人を見過ごしたくない。

 そのための力だ。磨いてきた、たった一つの取り柄だ。

 アイリスは拳に力を入れて、立ち向かう彼らの背中を見守る。


「今は俺たちに任せろ! お前ら! 助けが来るまで持ち堪えるぞ!」


 黒竜が咆哮した。

 ただそれだけの動作なのに、凄絶な突風が体を打つ。

 それでも彼らは逃げ出すことなく、むしろそれを合図にして飛び込んだ。

 四方からの数の暴力に、黒竜は尻尾をムチのようにしならせて振り払う。


「聖なる女神よ。どうかこの者たちに祝福と癒しをお与えください」


 アイリスの詠唱が再び冒険者たちに立ち上がる力を与えた。

 あるの者は短剣を黒竜の首筋に突き刺し、またある者は盾を構えながら突進する。

 

「聖なる女神よ。どうかこの者たちに祝福と癒しをお与えください」


 しかし斧は黒竜の鱗に弾かれ、剣は血肉を削ぎ落とすには至らない。

 黒竜は唸り声をあげて火を吹き、風圧が建物ごと人を吹き飛ばす。

 

「ぐうぁぁぁ!!」


 生き地獄だと、アイリスは思った。

 このまま詠唱を続ければ、死よりも悍ましい状況を許容することになってしまう。

 けれど、だからといってここで辞めるわけにもいかない。

 どうしたら良いのだろう、何をするのが最善なのだろう。

 今自分がしていることは、聖女として正しいことなのか。

 

「助けて」


 アイリスは膝をついた。

 皆が死線を行き来する状況の中、彼女はそう呟く。

 腹の底から出した声は掠れていて、誰にも届かないかと思われた。

 

「ひっ……」


 気付けば、目の前に大きな竜の顔があった。

 手を伸ばせば簡単に届く距離。

 熱さを伴う吐息がアイリスの髪を揺らす。

 

「聖なる……女神……よ。どうかこの、この……」


 ダメだ。喋られない。恐怖で呼吸がままらない。足がすくむ。

 その刹那、黒竜が何かに気がついたように瞳孔を動かした。

 それとほぼ同時に、首ごと黒竜の頭が地面に叩きつけられる。


「アル! 斬れ!!!!!!」

 

 視界に入ってきたのは赤い髪。

 スリリングな体型にそぐわぬ大きな大剣。

 首にぶら下がるギルドカードは金を示している。

 金級冒険者、ソフィーネだ。

 そのまま彼女は何も言うことなくアイリス抱き抱え、黒竜から距離を取る。


「任せろ!」


 ソフィーネの叫び声に呼応するのは、安心感のある声音。

 アイリスは揺れる視界の狭間で声がする方向を見た。


——剣聖アルが、宙を跳んでいた。


 黒竜の炎をたった一つの剣で薙ぎ払い、あろうことか、どの冒険者でも断ち切れなかった黒竜の首に、刃を通した。

 黒竜は裂帛の叫喚を上げながら暴れ狂い、周囲の瓦礫を撒き散らす。

 黒竜が静止した。

 ずるりと大きな首が落ち、地面の土が舞い上がる。

 黒竜の首は胴体から切り離され、先ほどの死闘がまるで嘘だったかのように、辺りは静寂に包まれた。

 

「無事で良かった……。アイリス」

「……っ、アル、アル様……!」


 血振りを済ませて剣を鞘に収めたアルが、安心したように笑顔を浮かべた。

 いつもの、少しぎこちない笑みだ。

 罪悪感も少し、表情に混じっている。


 アイリスは転びそうになりながら駆け寄った。

 靴はいつのまにか焼けて消えてしまっており、地面を踏むとジリジリと足が痛んだ。


「良かったです。死ぬかと思いました」

「だな。あと少し遅れていたら、今度こそやばかった」


 一人にしてすまなかった。

 そう言って、アルが視線を下に向ける。

 アイリスは少し頬を緩めて、アルの手を握った。


 死にそうになったこととか、一人になったこととか、もうそんなことはどうでも良かった。

 ただこうして生きて合流できたのが嬉しかった。


「おーい。良い感じのところ悪いが、まだやること残ってんじゃねぇの? さま?」

「はっ。そ、そうだな。アイリス、頼んだ」

「わ、分かりました」


 ソフィーネの声にハッとして、アイリスは我に返った。

 いけない、いけない。

 嬉しすぎて、つい、ぼうっとしてしまった。

 

「聖なる女神よ。世の理を覆し、癒しを求める者たちへどうかそのお慈悲をお与えください」


 アイリスは今できる最高の治癒魔法を詠唱した。

 命をかけて己の身を盾にし、その剣を振るってくれた冒険者を、聖女アイリスが今できる全てで祝福する。


「な、なんだこれは」

「あ、暖かい」

「痛みが……なくなる」

「聖女様の降臨だ!!」


 たちまち冒険者たちは立ち上がり、歓声を上げた。


「アイリス。誰も死ななかったのは、紛れもなくあんたのおかげだ。私からも礼を言わせてくれ」


 ソフィーネはそう言って、彼女の普段の性格には珍しく、満面の笑みを作った。

 渡竜の群れは完全に通り過ぎ、また元の青空が広がる。

 雲ひとつない空には太陽が登り、アイリスも口元を緩めた。

 被害はあった。思わぬ出来事にも見舞われた。

 でも、みんな生き残った。


「よし! 今日は宴だ! 飲むぞお前ら!」

「帰るぞ、アイリス」

「え、でも」

「いいから帰る……」


 ソフィーネの掛け声に、アルはすぐさま踵を返して逃げ出そうとした。


「まあ待てよアル。じっくり話そうや。久しぶりに語り合おうや。な?」

 

 ソフィーネはアルの首元をガッチリとホールディングして、そのまま連行する。

 ずぶずぶと引きずられていくアルの姿を見て、冒険者たちはおかしげに笑った。

 先程までの勇敢さはどこへ消えたのやら。

 

 アイリスはやれやれと肩をすくめて、その背中を追いかけた。

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