第9話 張り巡らされる策略
「しかして、相手は最強と謳われる剣聖。どのようにして倒すおつもりでしょう」
第二王子グランと剣聖アルデバランの会合は恒例なものとなりつつあった。
二人が共謀してから数日。
作戦は現実味を帯びてきいる、
グランが何気ないひと言を言った。
それは本当に何気ない物で、ただの疑問であり、悪意のないものだった。
しかし、それを聞いたアルデバランは眉間に皺を寄せる。
普段の様子からは想像もつかないほどの表情と威圧感に、グランは顔を引き攣らせた。
「剣聖アルを最強などと抜かすな。最強は僕だ。それ以上でもそれ以下でもない。紛れもないことだ。次、でたらめを言ってみろ。首を飛ばすぞ」
「も、申し訳ありません」
アルデバランの言葉には全く持って嘘や誇張の類が含まれていないということは、グランでさえも理解できた。
本当に斬られる。
本来ならば一国の王子を殺害するなど、即座に国で最も残酷性が高い処刑方法で処罰されるような行為だ。
そもそも、このような脅しもあってはならない行為。
しかし、剣聖にとってはそれは例外。
それほどの権力をもち、あるいは国の命運を左右させることができるほどの実力を兼ね備えている。
「まあ、いいよ。君には死んでもらったら困るからね」
「寛大な対応、感謝致します」
「君にはいくつか用意してもらいたいものがある」
「それはなんでしょう?」
アルデバランは人差し指を突き出して、グランに要求する。
——この国全域に、対召喚魔術結界を張ってくれ。
「召喚魔術結界ですか」
「ああ。できるだろう?」
できるかできないかで言われれば、できる。
しかし、なんのために。
「君はなんのためにと、疑問に思っただろう」
「ええ」
「剣聖アルの味方には、優秀な召喚魔術師がいてね。あれを使われたら厄介だ」
まさか、とグランは思った。
グランとて、魔術師の端くれだ。
剣術は嗜む程度でも、魔法に関しては専門の大学に通っていたし、今でも鍛錬は続けている。
だからこそ、その不可能性に驚きを隠しきれない。
剣聖アルの塔からこの国まで一体いくら離れていると思っている。
本来なら召喚魔術は起点から終点、そのどちらにも専用の魔法陣を描く必要がある。
それ無くして、しかも長距離の召喚を可能にするなど、ありえぬ。
「分かりました……。全魔法大学にいる魔法士たちを総動員し、召喚魔術結界を張らせます。しかし、それほど長くは持ちません」
「よい。それだけで十分だ。その間に僕が仕留める」
僕が仕留める。
これほど頼もしい言葉はないだろう。
話によると、剣聖アルは実力の一割しか発揮できないという噂だ。
否、噂ではなく、アルデバラン本人が長年に渡って調べ続けてきた紛れもない事実だ。
塔の構成、ガーディアンの強さ、戦い方、剣聖アルのスタイル。
これ以上埃が出ないというところまで、アルデバランは叩き上げてきた。
「心配なことがある」
アルデバランはそう言って、一つの懸念点を挙げた。
「聖女アイリスの治癒魔法は、剣聖アルの実力を底上げする効果がある」
「なんと。そのような効果が。さすがは僕の愛しの花嫁だ」
アイリスの治癒魔法は群を抜いて、それはもう本当に女神の降臨を想起させるほど洗練されたものだった。
第一王子と聖女フランはやはり頭が逝かれている。知名度だけの出来損ないめ。
「聖女アイリスは君に任せるよ。くれぐれもアルに会わせないようにしろよ」
「もちろんです。みすみす他の男のところに行かせはしません。そばに置いておき、これでもかと愛し、我が物としましょう」
グランがそう言うと、丁度扉が開かれ、側近が顔を出した。準備が整いました、と、白髪の側近がお辞儀をする。
「まずは第一ステップだ、第二王子。この国の王となれ」
「ええ。言われるまでもなく」
グランはニヤリと笑みを貼り付け、行動を開始した。
殺戮と暴動と、謀反の開始だ。
◇◇◇
「大丈夫か、アイリス」
「はい! 何のこれしきです」
もう何度、治癒魔法をかけたことだろう。
正確な数は覚えたいないが、少なくとも視界が定まらなくなるくらい酷使した。
普段ならこれくらいのことはへっちゃらだ。
しかし、今回は事情が違う。
精密な魔力制御を要する治癒魔法は、例え初級の物でも立派に体を消費する。
「少し休め」
「なりません。私はまだ動けます」
「大丈夫だ。もう街に降り立った渡竜は全滅させた。それに、群れの大半は国を通り過ぎたらしい。ゆっくりで問題ない」
「……そうですね。少し、休みます」
そうしろ、と言って隣にアルが座った。
なんてことない広場。
普段なら活気に満ちている場所であるが、今日に限っては静かだ。
ふと、アルを見ると、肩口から出血が見られた。
服が赤黒く染まり、数本の穴が開けられている。
「……。アル様! 噛まれたのですか!?」
「これくらいはどうってことない。それに、今の俺はスミスだ」
「もう、そんなことを言っている場合ですか」
アイリスはすぐに傷口に手をかざし、詠唱した。
竜の歯には毒があることもあるらしい。それに、例え毒がなくとも、細菌による感染リスクが高すぎる。
普通の治癒魔法では心許ない。ならば。
「聖なる女神よ。どうかこの者に、祝福と癒しと、万全たる恵みをお与えください」
みるみるうちに傷はなくり、アルの血色は先ほどとは打って変わって生き生きとしたものになる。
これで大丈夫。問題無い。
元あった彼の傷口に手を当て、アイリスは「良かった」と呟いた。
「すまん。この程度のことで、お前の手を煩わせるわけには行かなかった」
「手なんか煩わされないですよ。私を誰だとお思いで?」
「そうだな、聖女、だったな」
「あと、すまんよりも、ありがとうの方が私は聞きたいです」
アイリスがそう要求すると、アルは「こほん」と一つ咳払いをして、目を逸らしながら呟いた。
「ありがとう。非常に助かった」
「いえいえ」
思わず笑みが溢れる。
アイリスの笑顔を見たアルは、少しおかしげに笑った。
「よし、俺は今から西門に行くよ。先刻、応援要請が入ってきたからな」
「私も参ります」
「いや、アイリスはここにいてくれ」
どうして、と言いそうになり、アイリスは言葉を飲み込んだ。
冷静に考えると、そちらが最善だ。
アルはアイリスの身の安全を最優先事項として行動している。
疲弊した彼女が西門に出向けば、アルだけでなく他の冒険者の足手纏いになるし、アイリスの身の危険が高まる。
それに、この場所はほとんど安全だ。
突然に渡竜の上位個体が違う方位から突っ込んでもしない限り。
「……分かりました。無事に帰ってきてください」
「ああ。任せろ。お前も何かあれば大声で叫べよ。冒険者が肉壁になってくれるはずだ」
「子どもじゃありませんもの。喚いたりはしませんが、助けは求めます」
「それじゃあ、頼んだ」
それで良いのだ。剣聖アルはそうでなくてはならない。
自信を無くすのも分かる。罪悪感を持つのも分かる。
しかし、彼は強い。そして、剣聖なのだ。
故に、力を持つ者として駆けつけないわけにはいかない。
その二つ名に相応しい行動をしなければならない。
遠ざかるアルの背中を眺めながら、アイリスは瞼を閉じた。
激しい睡魔に襲われる。やはり魔力切れか。
本来ならばこのようなところで寝るなど考えられないことだったが、もはやそんなことを気にしている暇はなかった。
ぼんやりとする意識のなか、瞼の裏に焼きついた超絶イケメンのアルのシルエットを堪能しながら、眠りについた。
◇◇◇
叫び声が聞こえた。
頭はぼんやりでしている。夢だろうか。
時々、そのような夢を見ることがある。
職業柄、治癒が遅れて死なせてしまったこともある。
数々の叫び声が行き交うなか、負傷した兵士を治したこともある。
そのせいだろうか。悲鳴が頭から離れない。
匂いがした。焼ける匂いだ。鼻の奥を刺激する醜悪な何かを感じる。
「うう。何事……」
激しく何かが崩れる音が聞こえてきて、ようやくアイリスは瞼を開けた。
まず目を開けて入ってきたものがあった。
視界に瓦礫が映った。
先ほどまであった建物が半壊している。
「嘘でしょう……」
唖然としたながら口を半開きにさせる。
そして、すぐに立ち上がり、悲鳴がした方へ走った。
一体何が起こったというのだろう。
さっきまで安全地帯だったのに。
まさか、渡竜が残っていた? いや、そんなはずはない。
アルが全て倒したはずだ。
「た、助けて……」
叫び声がしたと思われる場所に辿り着くと、アイリスの視界に、黒く、そして尋常じゃないくらい大きい物体が映り込んだ。
見上げるほど大きな体格。
一度翼を広げれば、周囲を吹き飛ばしてしまう程大きな両翼。
血走った眼光は鋭く、全て喰らう口元からはよだれが溢れ出していた。
——黒竜がなぜここに。
「危ない……!」
そんな疑問が浮かび上がると同時に、黒竜が動いた。
口からは溢れんばかりの炎がその温度を高め、首をもたげる。
目の前には一人の青年。
腰を抜かし、恐怖で失禁していた。
このままでは、跡形もなく灰になる。
ああ、渡竜を捕食しに来たのか。
黒竜は渡竜を食らう。
賢い黒竜はこの時期を見計らっていたのだ。
「ッッ……!!!」
黒竜の口から炎が溢れた。
凄まじい熱量を帯びながら、ある一点に向けて放射する。
アイリスは炎に飛び込んだ。
一体誰が好き好んで炎に身を投げるだろう。
視界が煌めくオレンジ色に染まった。
ただ青年を助けたい一心のことだった。
後悔はしていない。
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