第6話 熱湯風呂

「レッツチャレンジ」


 風呂桶が出て来て、湯気が上がるお湯がなみなみと張られている。

 それと風呂の縁には砂時計。

 恐る恐るお湯に少し手を入れた。


「熱っ」


 慌てて手を引っ込めた。


「何度あるんだよ。50度。いやもっとか。殺しに掛かっているのか」


 温度を測っても仕方ないので測らない。

 無理、手だけでも無理なのに、全身は無理。

 あー、子供に素直に謝ろう。

 所詮、俺なんかが、勇者に勝とうと思うのが間違っている。


 冒険者ギルドの入口から中を覗く。

 あの依頼を誰か受けて、子供がいなくなっていることを願って。


 賢者と聖女を従えた勇者の姿が見えた。

 あの子供はまだいる。


「誰か僕の依頼を受けて! リラちゃんを助けて!」

「おい、ガキ。うるさいんだよ」


 勇者が子供を殴る。

 子供は吹っ飛び、床を何回もバウンドした。

 糞が。

 カツアゲのことがなくても、この勇者は許せない。

 絶対に懲らしめてやる。


「誰か僕の依頼を受けて! リラちゃんを助けて!」


 子供は声を上げ続けた。


「おい、黙らせろ」

「はいはい、【サイレント】」


 賢者が魔法を掛けたら、子供の声が聞こえなくなった。

 パクパクやっているから、声を封じる魔法だな。

 窒息でなくて良かった。


 しかし、糞だ。

 なんでこんな奴が勇者なんだ。

 もしかして、この勇者も日本にいなくても問題ないと思われたのか。

 俺は同類に見られたのか。

 違う。

 俺は糞じゃない。


 熱湯に手をちょっと入れて諦めたのにと内なる声が言う。

 どこが違うと。


 違う。

 俺は助けようとした。

 でも実際は諦めたと内なる声が責める。


 子供を勇者から助けることもしないのにと内なる声が。

 うるさい。


 確かに俺は勇者に詰め寄って、子供に謝れと言う勇気もない。

 本当に糞だな。

 せめて勇者を呪おう。

 勇者に災いあれ。


 嫌になるよ全く。

 こんなに自分が嫌いになるなんてな。

 日本にいた時も俺は自分が好きじゃなかった。

 中途半端な俺は何一つまともにできない気がしたのだ。

 事実その通りだ。


 浮浪児の顔が浮かんだ。

 助けたよと言っている気がした。

 物になったじゃないかと。

 そうだな、卑屈になることもない。

 これから何かを成せば良いんだ。


 俺は勇者が立ち去るのを離れた所で待った。

 ギルドの入口から勇者達が出て行ったのを遠くから見て、ギルドに駆け込んだ。


 ギルドの中に入り、放心している子供を立たせる。

 そして土埃を払ってやる。


「怪我は? 痛い所は?」


 子供は口をパクパクしてにっこり笑った。

 どうやら大きな怪我はないみたいだ。


「お兄さんは必ず依頼を受けに来る」

「ありがとう」


 子供から声が出た。

 魔法が解けて良かったよ。

 あのままだったら賢者をどんな手を使っても殺してた所だ。


「怪我は?」

「ちょっと擦りむいただけ」

「帰ったら薬を塗るんだぞ」

「うん」


 絶対に熱湯風呂をクリアする。

 まず、井戸に行って冷たい水を汲んだ。

 それで頭を濡らしてから入るつもりだ。

 気休めだが。


 熱湯風呂で死んだら、心残りはあるか?

 死にたくない。

 だが前に進まないと。


 遺書を書こう。

 俺は宿の部屋で、日本語で遺書を書き始めた。


 遺書と大きく書いて。

 それから。

 レンタル倉庫の中身は処分してくれ。

 特にパソコンのハードディスクは念入りに。

 絶対に中身を見るなよ。


 これを読んでいるってことは俺は死んでいる。

 お父さんお母さん、先立つ不孝をお許し下さい。


 涙が出て来た。

 気の利いた一言を書こうとして、俺には何にもないのに気づいた。

 ゲームとかパチンコとか趣味はあるけど、遺書に書く内容じゃない。


 彼女もいないし、ペットも飼ってない。

 心残りなんてないじゃないか。


 でも死ぬのは嫌だ。

 もっと楽しい事がしたい。

 旅行もしたいし。

 結婚もしたい。

 新しいゲームもしたい。

 映画も見たい。

 テレビドラマも。

 流行の曲も聞きたい。

 名物の料理も食いたい。

 まだまだやりたいことならたくさんあるんだ。


 涙が出て来た。

 くそっ死んで堪るか。


 そういう思いの丈を遺書に書いた。

 俺が死んだら、俺を知っている人に代わりにやって欲しいと。

 これで心残りはない。

 遺書は死ぬために書くんじゃない。

 決意を揺らがせないためだ。

 心が決まった。


「女将さん、俺が死んだら、この遺書を鼻スパからだと言って浮浪児に託して下さい」

「やだね。縁起でもない。何をやらかすんだい」

「風呂に入ります」

「ぷぷっ、あんたそんなに風呂嫌いなのかい。命の覚悟をするほどの。まるで猫だね」


 説明しても仕方ない。

 説明したらきっと止められる。

 死人が出たら宿の評判が落ちるからな。


「もしもの時は迷惑を掛けます」

「もしもの時だなんていやだね」

「すみません」


 女将さんは不審がりながら、仕事に戻った。


 宿の裏庭に行くと、風呂は相変わらずそこにありお湯から湯気が出ていた。

 手を入れる。

 さっきと温度が変わってない気がする。

 きっと変わってないんだろうな。


 服を脱いで、頭の毛を濡らす。

 さあ入るぞ。


 チャレンジスピリットで味わった苦痛は後で全て勇者に与えてやる。

 いや、そうあるべきだろう。

 でないとおかしい。

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