第31話 企みの夜会②

 王子の言葉に会場内はまたわっと歓声が広がった。挨拶を受けていたときには婚約を明言せずに濁していたが、王子が祝福したことで婚約が確定したと捉えられたのかもしれない。

 本当であれば今、王子の顔は見たくなかった。先月までなら前世の思いを引きずって切ない気持ちになったかもしれないが、公爵の前世の話を聞いた今となっては目の前のこの男は見境のない好色で愚かだということが分かっている。切ないどころか、下品な言い方をすれば「反吐が出る」というものだ。


「本来であれば公式に報告を受けてから祝福をするべきと思ったのだけれどね」

「で、殿下までこちらにいらっしゃるとは……」

「僕も大叔母上の、甥の息子。立場は君と同じで彼女には頭が上がらないのさ。是非祝福をと請われたら断るなんて選択はないよ」


 にこにこと人の好さそうな笑みを浮かべて公爵の肩を叩く王子に、公爵はしまったという顔をしていた。腰に回された手にはやや力が籠められているが、かといって離す素振りはない。一応、守るという約束は覚えていてくれるということか。


「しかし気難しいユリウスに寄り添える女性がいたことに、僕は本当に驚いているんだ。そして話を聞いてまた驚いた。なんとお相手はヅィックラー男爵のご令嬢というじゃないか。アメリアの家庭教師をしている、王立大学を首席で卒業した才女だ。これでヴォルフザイン公爵家も安泰だね」

「殿下、まだ正式発表前ですのでそのくらいに。エルネスタ嬢もこの通り恐縮しておりますので」

「だから僕にそんな堅苦しいのはやめてくれよ、ユリウス。乳兄弟の君に伴侶ができたなんて、今僕は我が事のようにうれしいんだからさ」


 親し気に言葉を交わす王子と公爵を、周囲は微笑ましく見守っているようだ。

 でも、と私は王子の顔を窺う。じろじろ見るのは無礼だし、そもそもあまりもう見たいとも思わない顔なんだけれど、祝福の言葉がやけに白々しく聞こえたからだ。

 どこがとは言えない。どこがどう聞こえたのかはっきり指摘できるほど、彼の言い回しや声音に聞き覚えがあるわけではない。前世で聞いた王子の声は、大体甘い言葉を乗せていたしそれが固くなったのは処刑を告げられた時だけだ。

 しかし私がその違和感を確かめる間もなく、王子はそうそうと言って辺りをぐるりを見回した。そしてちょいっと人差し指で公爵の脇腹を突き、私たちを取り囲んでいる貴族たちの方に小さく顎をしゃくって見せる。


「久々に大叔母様の夜会に来たんだ。諸侯の皆様にもご挨拶をして回らなきゃ。エルネスタ嬢にもまた今度ゆっくり挨拶をさせてもらうよ。ユリウスも一緒にどうだい?」


 顎をしゃくるなど少々無礼な態度に見えるが、王子だから許されるところもあるのかもしれない。でもさすがに公爵は王子の最側近である。不遜な王子の顎をくいっと戻して、ご一緒しますと言って一礼した。


「大叔母上にもご挨拶に行ってくる」

「エルネスタ嬢、ちょっとユリウスをお借りするよ。なに、すぐお返しするからそこで待っていると良い」

「お気遣い、感謝いたします」

「あとで屋敷と男爵家に祝いの品を届けさせよう。そうそう。正式発表は、いったいいつになるんだろうね? ……でき……かな」


 ――なんですと?


 語尾は小さく人々のざわめきに溶けて聞き取りにくかった。できるかなとも聞こえるけれどどういうことだろう。聞き間違いだろうかと首をかしげるが、聞き直そうにもすでに王子と公爵は連れだって人だかりに紛れてしまった。

 あとで公爵にも聞こえていないか確認しよう、と私は改めて壁際に設置された椅子に腰かけた。王子が現れたことで周囲の注目は王子に集中し、私一人になったところで声をかけてくる人もいない。

 ほう、とため息が漏れる。

 さすがに疲れた。慣れない踵の高い靴は腰に来るのだ。人目がなければ拳でとんとんと腰を叩きたいところだけれど、一応は公爵の婚約者として振る舞うべきだろうと考え自粛する。いや、でも痛い。そうっと手を腰に当て押すくらいはいいだろうか。

 腰の痛みを考えられるほどの手持無沙汰となり、かといってそれをどうにもできないもどかしさを感じながら、私は給仕の少女が運んでくれたグラスに入った液体をちびりと舐めた。

 果実酒だろうか、甘くて、そしてわずかな酸味が爽やかな味だ。ひと舐めしただけなのに、気分がさっぱりして口当たりも柔らかそうだと分かった。好みの味に心が浮き立ち、一口、ちょっと多めに口に含む。

 お酒は普段飲まないけれど、これはおいしい。自家製だろうか、それともどこかの領地で作られた献上品だろうか。これはあとで伯爵夫人に聞きたいところだ。

 しかし、甘酸っぱい液体を舌で転がして楽しんでいると、人の影を縫うように動く小さな背が目に入った。瞬間、口の中の液体をごくりと飲み込む。もったいない、と思ったのもつかの間だ。

 白に近い長い髪、そして細いけれどすらりと伸びた背丈とそれを包む淡い黄色のドレス。その背中が広間を抜けて廊下の方へと向かっていく。


 ――見つけた!


 すぐにでも公爵に伝えなきゃ、と思ったけれど挨拶まわりからまだ戻っていない。見える範囲に姿がないから探そうにも人だかりが邪魔で、それをかき分けているうちに少女の背を見失ってしまうだろう。

 即座に私はスカートの中で靴を脱いだ。こんなのを履いていては追いつけない。幸い、伯爵夫人の屋敷はどこを通るにも絨毯が敷いてあるし、裸足で走ったって怪我をすることもないはずだ。

 今なら来客たちの意識は王子と公爵に向けられている。私は背丈が低くなった分余りまくったスカートをちょいっとたくし上げ、大急ぎで銀髪の少女のあとを追いかけたのだった。


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