第30話 企みの夜会①
前回来た時は壁の花だったなあ、一ヶ月くらい前だっけ、と思いながら私はまた軽く片膝を曲げて礼を執った。右手は私の隣で悠然と微笑むユリウス・ガイ・ヴォルフザイン公爵の右手に、腰は公爵の左手に支えられている。着ている翡翠色のドレスは王家御用達の仕立師に依頼した豪華な逸品。デコルテや耳を飾るアクセサリーは公爵のお母様――つまり現王の妹君が降嫁の際にお持ちになったものだ。
傍目に見れば、私は公爵にエスコートされたいかにも「大切な女性」である。
目の前に立つ中年のご夫婦は、薄く笑みを浮かべた顔を微動だにさせずに通り過ぎて行った。
「今のがラバル侯爵夫妻。現王の遠縁に当たるが最近はちょっと借金のうわさもある。うちと縁を持ちたいらしく姪を紹介されかけてたところだ」
こそっと耳元で公爵が名前と、ちょっとした情報を教えてくれるのはありがたい。ただ背から腰に腕を回されるほど密着する必要があるのかどうか。
しかしこれも我慢だ。
何故なら、今私は「公爵の婚約者」を演じているのだから。
先日の作戦会議のあと、公爵は大叔母君にあたるアリアドナ・コルティス伯爵夫人に対して夜会の開催を依頼した。訝しむ伯爵夫人に、ヅィックラー男爵令嬢と婚約をしたので非公式ではあるがお披露目したいと申し出たらしい。
甚だ迷惑な話ではあるが、詳細を説明せず、公爵家ではなくわざわざ顔の広い伯爵夫人の屋敷で夜会を開いてもらうためにはちょうどいい言い訳だ。
それからおよそ一か月。とうとうこの日がやってきた。
しぶしぶ婚約者のふりを了承し華やかに飾り立ててもらったが、来客と挨拶を重ねるうちにこの企みが思いのほかうまく回っていることに気が付いた。なにせ来客の誰も彼もが噂を聞きつけて向こうから挨拶に来てくれるのだ。
なにせ若く独身で、次期国王となる王子の側近でもある将来有望な公爵である。婚約者を連れてくるなど縁組を狙っていた貴族たちには寝耳に水の衝撃だろうし、そうでない者たちにとっては縁組に敗れた貴族の顔を見るのも噂話としては面白いネタだと思う。
というわけで、伯爵夫人の屋敷に着くなり私たち二人はたくさんの人々に囲まれることになった。
こちらから声をかける必要もなければ、探し回る手間もない。慣れない靴がちょっと痛いけれど、この間と違って公爵が支えてくれるので立ったままでもまだ余裕がある。しかもすれ違ったり挨拶を交わしたりする貴族たちについて、逐一公爵が注釈をつけてくれるのでありがたかった。でも近い。近すぎるのでもう少し離れてほしい。
「いたか?」
何組と挨拶しただろうか。ちょっと人の波が途切れたところで公爵が小声で尋ねてくる。何が、とは聞かず私は小さく首を横に振った。
目的はこの間見かけた銀髪の少女である。そしてそれを連れた紳士。
どこかにそれらしき男女がいないか、挨拶の合間を縫って目を凝らしているけれど見つからない。次々にやってくるご夫婦、紳士、ご婦人にそれぞれ膝を曲げて礼を執りつつ、視線はあちらこちらに走らせ続けた。
公爵によればかなりの数の招待状をばらまいた上に、噂話も影響しているせいで王都に住まいがある貴族はほとんど顔を出すのではないかということだったけれど、当てが外れたのかもしれない。
愛想笑いもいい加減ツラくなってきた頃合いに、やっと挨拶の列が一段落した。よろけそうになる体を公爵に支えてもらいながら広間へ移動すると、夜会の主催者であるこの屋敷の女主人が開会を宣言していた。
「皆様、お集まりくださってありがとう。今夜は大変嬉しい報告を姪の息子であるヴォルフザイン公爵から受けました。公式の発表はまた後程ということですけれど、今宵は一足早くお祝いをしたいと思っています」
夫人の宣言で広間全体が大きな拍手に包まれる。思惑はどうあれ、この場でわざわざ異を唱える人はいないだろう。拍手を受け、公爵と私はその場に立ちながら会釈で応じた。
「そしてそれを聞きつけ、是非直接お祝いをと言って特別なお客様がいらしています」
特別なお客? それは聞いていない。何事かと公爵を見上げたが、公爵自身も訝し気な表情で伯爵夫人を見つめている。彼も初耳だったのだろう。私は改めて伯爵夫人に目を移した。
当の夫人は私たちがいるほうとは反対側の壁際に向かって手招きをしている。おお、と歓声が上がった。ご婦人方の黄色い声援も聞こえる。そして人々の背でできた壁が一斉に開け、一人の男性が姿を現した。
夜だからだろうか、輝くランプの灯りを反射して濃厚なはちみつ色となった金髪が優雅に揺れている。均整のとれた体にぴったりと誂えられたスーツをまとったその人は、私たちと目が合うと片手を挙げて見せた。
顔を見て、私は息を飲んだ。
隣に立つ公爵も驚いたのだろう。う、と呻くような声を漏らし動きを止めた。
「やあ、ユリウス。おめでとう。黙っているなんて水臭いじゃないか」
エルネスタ嬢も、とにっこり微笑みながら近づいてきたのは、アルベルト・レンバー王子その人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます