第28話 妖精の姿は幻か①
私はもう一度、すっかり冷えてしまった茶を一口飲み込んだ。冷たい液体が喉を通り、胃へ落ちていくと芯から冷え冷えとした気分になる。
「そ、それは本当か?」
「本当です。私も処刑場で兵に取り押さえられて首を斬られたその瞬間に、今から十年前の私として目を覚ましました」
そう告げると、私は前世の記憶が蘇った後の話をかいつまんで説明した。あざが発現したこと、でも聖女になってまた殺される運命になるのは嫌だったこと、かといって意に沿わない結婚なども嫌だったこと、だから必死に勉強したことなど順を追って話す。
公爵は黙ってそれらを聞いていた。
「というわけで、行き場を失くした私を公爵様が拾ってくださり今に至っております」
「……では、君は自分の意思で、聖女になることを拒んでいたんだな」
「そうです。いくらなんでも、もう一度あの人生を繰り返したいとは思いませんから」
それは分かる、と公爵は頷いた。
「公爵様の記憶について、そして前世で起こったことについては分かりました。でも、それと私がこちらに居続けることがこの国の未来のためというお話と、どんな関係があるのですか?」
「大ありだ。……先日、君が王子と出会ってしまったからな」
庭園で虫や植物の観察をした日のことだ。颯爽と歩いて公爵の屋敷へやってきた王子の姿に胸を痛めていたのも、今となってはなんとも自分が情けない。
「その話に移るにはもう少し説明がいるだろう。記憶が蘇った当時の俺は十二歳。父母はまだ生きていて、王立の中等学校に通っていた。持ちうる限りの知識と情報を駆使して自分が置かれた状況を理解しようと努めたよ。そしてようやく自分がもう一度人生をやり直しているのだと気が付き、王家と国を守るため大急ぎで生まれて間もないアメリアを王子の婚約者にすることを父に進言した」
「そ、そんなお小さいころからアメリア様は王子の婚約者に決まっていたんですか……」
「公爵家からの話とあれば、王家も無下には出来ない。政治的にも、血筋的にもそれが最良であるとしてすぐに婚約は成立した。これで王子がどこかから現れる妙な女に唆される危険は消えたと思った。そして次にやったことは君を探すことだった」
「……私を?」
「君が聖女になってしまえば、前世の時と同様に王子に見初められた後に処刑されてしまうかもしれない。それを避けたかったんだ。だから父の伝手を使って、修道院にヅィックラー男爵令嬢がいないか探してもらった。しかし俺の記憶の通りなら、君は十歳で聖女候補生になっていたというのにどこを探しても見つからない」
そりゃそうだ。今生では私の聖女の証は見つかっていないことになっている。証しが発現していることを知られていないので、聖女候補生になることもなく私は大学へ進学したのだ。
でも、公爵が私を探していたというのは初耳である。
「私はそのころ、部屋に籠って勉強ばかりしている変わり者と噂の娘でした。王都に行くことなどめったになく、出かけても領地内の畑や森程度でしたし」
「そうだったらしいな。一度、王城でヅィックラー男爵に挨拶をしたら、そう答えてくれた。しかしそれを聞いて俺はほっとしたんだ」
「どうしてです?」
「君が聖女にならなければ、君が王子に見初められたのちに処刑されるような未来にはならないだろう。そのまま王都とは離れたところで幸せになっていてくれればと思ったよ」
でも、と公爵は言葉を区切った。それまでのどこか優しげな声ではなく、響く音にやや硬さが混じる。
「君は大学に進学してしまった。しかも成績はずば抜けているというじゃないか。驚いたよ。だから俺は君に王子を会わせまいと、いろいろ画策したんだけどね」
「画策……」
「君が気にするまでもない細かいことさ。誓って言うが、成績や君の就職希望先をどうのこうのとしたということじゃない。大学を卒業して地方に任官してもらえばいいと思っていたし、ぜひそれを後押ししたかった」
「でも今年と来年は官職の試験はなくなってしまったから……」
「そう。で、俺はあの祝賀会の日に君に探りを入れた。実家に帰るのか、どうするのか。帰ってくれれば良し、結婚で領地に籠ってくれればなお良し。でも君は帰らないというじゃないか。かと言って下手に王都をうろうろされていても困るし、王城の臨時職員の募集に応募されて王子に出会われても君の命を危うくするかもしれない。だから、うちに来てもらうことにしたんだ」
あの招待状にはそんな事情があったのか。私が実家に帰ると言えば、あのずっしりとした封蝋付きの招待状はしまい込まれたままになっていたということなのだろう。
確かにあの時、公爵家の家庭教師にならなければ王都の安宿で凌ぎながら働き口を血眼になって探していただろうし、城や役場で臨時雇いでもなんでも募集があればほいほいと応募していたに違いない。
「うちにいて、アメリアの家庭教師をしていてもらえれば君の生活も安定するだろう。うちの離れに住んでいれば王子と出会うこともないだろうと高を括っていた。実際、君の姿さえ見せなければ、王子も大学を卒業した優秀な女性がいるんだなという程度の認識で終わっていたはずだ。でも俺の努力の甲斐もなく、王子は前触れもなくうちにやってきてしまった」
「そういったことは、よくあることなのでは?」
「子どものころに数回あったくらいだ。普段は何の用事であっても俺を呼び出す殿下が、なぜあの日に限ってここへ来たのか……」
そう言えば確かにあの日は侍従さんも慌てていたっけ。先ぶれもなく王子が公爵家へ来るなんて、随分と気の置けない間柄なのだなと思ったが違うのだろうか。公爵とも乳兄弟だと言っていたし、アメリアとも仲睦まじかった。それを見て、傷つく必要なんてなかったのに勝手に傷ついたのも思い出す。
前世で起こった事の裏事情を知った今になっては、無駄に傷ついて馬鹿みたいだとしか思えない。王子は容姿が好ましければ誰彼構わず側に置きたがり甘い言葉を吐ける、とんでもない男だ。むしろアメリアの事が心配になるじゃないか。婚約なんて、いっそ今から反故にできないものか。
「案の定、君を気に入った王子から君を紹介するよう言われた。正直迷ったよ。聖女になっていない君は既に俺の知っている前世の君とは違う。ひょっとしたら、王子と良い関係を築いてくれるかもしれない。だから話を握りつぶさず、君にも伝えた」
「王妃になれるかも、とか公妾の立場が手に入るかも、と散々なおっしゃりようでしたね」
「その通り。でも後は君の知っての通りだが、こっぴどく君に叱られた。アメリアの兄としても反省しなければいけないと思ったよ。しかしそのままを王子に伝えてもきっと諦めないだろうと思った。だから君は俺と婚約する予定だとして伝えたんだ」
「はあ?」
驚くほど間抜けな声が出た。
「面白い女性だと思ったのは本当だ」
「それにしたって、こちらの意向も全く聞かずにそんなこと…!」
「嘘も方便というだろう。そう言っておけば一応あの人は無理をいって君を手に入れようとしなくなる。君と王子が婚約しなければ、その後の出来事もきっと起こらないだろう。今はアメリアもいるしマルガリータが王子と婚約することもなく、そして本当かどうか今になっては確かめる術はないが俺が処刑されたときに王が亡くなっているなんていう国の危機も救えるかもしれない。だからダメ押しに大叔母の夜会へ君を伴って顔を出したんだ」
なんという強引な論法だろう。私は頭を抱えたくなった。
そんな考えで人の事を振り回したのか。いや、憂慮していることは分からなくもない。前世の記憶があるなどと、他の人に言えずに一人で対処しようと思ったというのも理解できる。でも短絡的だ。人の気持ちを無視した上に短絡的過ぎてめまいがする。馬鹿ですかと怒鳴りたい。しかしそれを許さなかったのは、私の中のなんという部分だろうか。
「夜会」と聞いてあの夜見かけたとある後姿が鮮明に浮かび上がったからだ。
何故か私の処刑にも、そして公爵の処刑にも絡んでいるあの少女は今なら十歳くらいのはずだ。早期に証が発現したという触れ込みで聖女候補生になっている時期でもあるが、実際のところは分からない。
いや、今までの話を総合すれば、絶対、絶対彼女はなにか怪しい。でもあの子はとても繊細で優秀だった。まさか脅されていたのでは、と思い至る。
あの夜会にいたあの後ろ姿も、隣に男性もいたようだし、ひょっとしたら。
「ねえ公爵様」
「なんだ?」
「公爵様の他人へのデリカシーの無さと距離感のおかしさは後々ご指摘させていただくとして、まず一件ご報告しなければいけないことを思い出しました」
かなり無礼なことを言っているがこの際もういいだろう。この人が私にやらかしたことに比べれば、どうということもない。絶対あとでそこは指摘してやろうと心に誓うが、まずはあの子が今生でも王家の近くをうろうろしている可能性があることを告げるほうが先だ。
あの夜会で見かけた後姿について説明すると、公爵の表情は厳しいものになったのだった。
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