第27話 夢と現と②
「その報告を受けたときは驚いた。てっきり君が売りさばいて国外に持ち出されていると思っていたんだ。まさか国内に、しかも聖女の養成施設にあるとは思いもしなかった」
そして、と公爵は続けた。
「俺は早速その情報を持って城へ向かった。王へ謁見を申し込み、エルネスタ嬢とヅィックラー男爵について再調査をする許しを得るためだ。しかし城に着いて謁見前に通された部屋へあの子が来たんだ」
「あの子……?」
「その時には既に王子の婚約者となっていた、マルガリータだ」
前世の未来で見た、あの白に近い銀髪をなびかせる儚げな美少女の姿が脳裏をかすめた。
淡い黄色のドレスは確かに彼女に良く似合っていたが、聖女候補生の身分で着られるような代物ではなかった。私が処刑されたときは、既に王子と彼女との間に何かがあった後だったと考えれば納得だ。
王子が彼女のために贈ったのだろう。華奢な彼女の身体と若々しい年齢に合うものを、王子自ら選んだのかもしれない。
しかし「捨てられた」と感じたあの日の絶望とは異なり、ぞくりと背筋が寒くなる。
何食わぬ顔で私と過ごしたあと、まだ若いマルガリータに甘い言葉を吐いていた、王子のその神経の異常さに怖気が立ったのだ。
腹の奥からこみ上げる何かが不快だった。口元を押さえなければ、その何かが溢れてしまいそうで私は両手で口を覆った。
「王子の側近で既に公爵位を持つ俺に、彼女はやけに馴れ馴れしく話しかけてきた。伯爵家の養女となって王子の婚約者になったとはいえ、王宮内を侍女も付けずに自由に歩き回るなんておかしいと思った。だが、それを指摘しようとしたところ、いきなり自分の着ていたドレスを引きちぎり始めたんだ」
「引きちぎるって、そんな!」
「まるで俺が乱暴をしたかのような、そんな姿になった彼女にびっくりしたよ。そして驚いて声も出せなくなった俺を尻目に、マルガリータは廊下に出て叫んだんだ」
それは――。
公爵は苦々し気な笑みを浮かべた。いや、苦笑など浮かべている場合ではないだろう。
記憶にあるマルガリータの姿と、公爵の話に出てくる彼女の行動を一致させることができない。信じられない気持ちで公爵の顔を凝視すれば、彼は私から目を逸らすように視線を床に投げた。
「すぐさま駆け付けた衛兵に俺は取り押さえられた。泣きじゃくるマルガリータと、そのドレスを見た王子が何を考えたかなんて、言うまでもないだろう。激昂した殿下に俺はその場で斬り捨てられたんだ」
「そんな……いくら王子と言えど、公爵を裁判もなしに罰するなんて……しかも斬り捨てるなんて……」
「俺も信じられなかったよ。何度も王子に話を聞いてくれと叫んだ。王に釈明させてくれと頼んだ。けど、実際は聞く耳なんて持ってもらえずに一刀両断だった」
「……なんてこと……」
「俺を斬る寸前、王子は俺に向かって吐き捨てた。もう父王は居ない。俺が王だ、と。聞き間違いかと思ったが、その言葉はやけに頭に残った。そして最期にマルガリータの泣き顔が見えた。それを見て同時に思ったよ。君――というのはおかしいが、処刑されてしまった君はただ嵌められただけだったんじゃないかと。だから、謝罪がしたいと思ったんだ。意識が途切れる寸前まで、ずっと君に謝っていた……。そして、何故か目が覚めたんだ。今から、およそ十年前に」
ゆっくり公爵が項垂れた。前髪は額から落ち表情は窺えない。そして肩を落として吐く息は今日の中でも一番細く、そして長かった。胸の中の空気を全て出し切ってしまうのでは、と思うほど長い吐息の後も彼は顔を上げなかった。
十年前と言えば、私もちょうどその時期に前世の記憶が蘇っている。聖女の証が発現したその日だ。同じような時期に、公爵も前世の記憶に目覚めたということか。
偶然か、それとも何か理由があるのか。そもそも前世の記憶を持ったままもう一度人生をやり直している人間が、私も含めて存在するということが一体どういうことなのか分からない。
テーブルに置かれた茶器からは、もう湯気は立たなくなっていた。すっかり冷えた茶を一口含み喉に流し込む。舌の両端に残る後味は、なんとも言えない渋いものだった。
やがて公爵はゆっくりと顔をあげた。
「ここまで聞いて、君はこれを信じてくれるか?」
黒い瞳がじっと私を見つめた。何回も近くで目にしたそれは、夜の室内だとさらに深い色に見える。ただ、いつものように何か企んでいるような輝きはなく、ただ静かな光を湛えていた。
ここまで話してくれた公爵の言葉に、嘘があるかと言えばおそらく無い。内容は衝撃ではあるが、あの当時の私の知らない事情について知ることが出来て良かったと言えるだろう。
しかし散財していたとか、隣国と通じていたとかの謀反の話など本当に濡れ衣であり、その罪を着せた人間が前世の未来でのうのうと生きていると思うと猛烈に腹が立った。そしてそれを知っているのか、知らなかったのか、何を考えているか今更わからなくなった王子にも腹が立つ。
貧乏な男爵家の娘が運よく聖女になって王子に見初められたなど、幸運以外の何物でもない。それゆえに、王子が一言言ってくれれば、身を引くくらいは弁えているつもりだった。それをする暇さえ与えずに私を排除したかったということか。
ふと思った。
誰が? 誰が、私を排除したかった?
記憶と、公爵から聞いたことのあらましが頭の中で交差する。
なんとしてでも私を排除したかった人がいて、成功した。そしてそれに異議を唱えそうになった公爵も排除したくなった人がいて、成功した。両方を消して、得をする人がいる。
私を排除して得をするのは――。裏を返せばもっといるかもしれない。でも今日の話を聞いたうえで得をしていると思われるのは、あの子一人だ。
「信じます」
じっとこちらを見つめていた公爵の目が見開かれた。
「頭が、おかしくなったとは思わないのか?」
「思いません。……私も、同じく十年前に記憶が蘇った一人ですから」
え、と今度は公爵が息を飲んだ。
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