第23話 熱持つ体とデリカシー②
次に目を覚ました時には、既にカーテンの隙間から見える外が暗くなっているようだった。幾分すっきりした体をベッドの上で起こすと、なにやら扉の外から物音が聞こえる。
ぐう、とお腹が鳴ったのと、私の鼻が部屋に流れ込んできた美味しい匂いをかぎ取ったのはほぼ同時だった。
ソフィさんがスープを持って来てくれるって言ってたし、それかもしれない。そう気が付くと、またお腹がぐうと鳴った。話し声もするから、ソフィさんだけでなくお屋敷の使用人さんたちがご飯を持って来てくれたのかも。
空腹は自覚すると加速する。私はベッドサイドに掛けてあった上着を羽織ると、寝室の扉を開けた。
「う、わあ……」
リビングに足を踏み入れた瞬間、声が漏れた。
テーブルには湯気をたてたスープや果物をはじめとする食べやすそうな軽食が並び、その向こうでソフィさんと若い給仕の侍女さんが食器を並べる手を止めていた。
私を見た彼女たちの口が、あ、という形のまま開いているけれどそれはいい。美味しそうな匂いからして想像はついていた。ただちょっと予想よりたくさんテーブルに並んでいるってだけ。これは嬉しいサプライズだけど予想の範囲内。
驚いたのはその周りだった。リビングの窓際、テーブルの真ん中、本棚の周りなど、いたるところに小さくまとめられたお花が飾ってある。もともと少ない私物を持ち込んだだけのリビングは、机と本棚とちょっとしたイスとテーブルは置いてあるものの殺風景とも言えるほどだった。でも随所にお花を置いただけで一気に華やいだ空間になっているではないか。
すん、と息を吸えば食べ物の匂いとは別に、甘く爽やかな花の香が鼻腔をくすぐる。植物の匂いが加わっただけなのに、すごく気分が晴れやかになった。心なしか、寝込んで鈍ってしまった身体が軽くなった感じがする。
しかしだ。
思わずテーブルに駆け寄ろうとした私の足は、部屋の一角を見て止まった。
小さな花束がいくつか入った籠を抱えて、柱にその花束の一つをぶら下げようとしている人の後姿がびくりと肩を震わせた。テーブルの近くでは、ソフィさんが額に手を当てて天井を仰いでいる。
「……何してらっしゃるんですか……?」
固まってしまった背に向かって尋ねると、その人物――公爵がゆっくりと、そしてばつが悪い表情を浮かべたまま振り返った。一瞬、じろりと上目遣いで睨まれたようだけれど気のせいか。
いや、逆にこちらが睨みつけても許されるのではないか。だってこっちは寝起きで髪もまとめていないし化粧だってしていない。着ているものだって寝間着の上に一枚羽織っただけの軽装なのだ。決して異性の、しかも雇い主の前に出ていい姿じゃない。ささっと上着の前ボタンを留めて、髪に手櫛を入れた。
まあ、普段だってそんなに着飾ってもいなければ化粧だってほとんどしていないから、この姿自体にそこまで恥ずかしさはないけれどそれはそれという話だ。
私だって男爵領の屋敷にいたときは、使用人の誰某の具合が悪いと聞けば部屋までいって世話の手伝いくらいしたけど、男女の違いというものもある。
「や、やあエルネスタ先生。お加減はいかがかな……」
「ご心配をおかけしましたが、もうすっかり……で、何してらっしゃるんですか?」
「いや、えっと、その……あまりにも君の部屋が寒々しかったのでね。ちょっと、彩りを加えたらよかろうと……」
「それは、どうも、ありがとうございます……? でもなんで公爵様が?」
「それは、皆が忙しかろうと思ったし、俺が飾りたいと思ったからで……」
そういいながらも公爵は私から目を逸らし、手に持ったままの花の籠を床に置く。一応、自分が礼儀知らずな行いをしているということ恥じているのか。デリカシーというものが決定的に欠けているわけではないけれど、配慮の仕方がちょっとズレているのかもしれない。
花籠を拾い上げたソフィさんは、だから言ったじゃないですかと呆れ顔だ。
「お申し付け下されば、使用人の誰も断るような真似をするわけございませんのに。グラッドさんの目を盗んでまでどうしてもご自身がやりたいとおっしゃるので、エルネスタ先生が起きていらっしゃるまでのお約束でお手伝い頂いていたんです」
申し訳ございませんと頭を下げるソフィさんに、公爵は慌てたように首を振った。アメリア付きのベテラン侍女さんは公爵にとってもお姉さんのような存在なのか、多少ぞんざいな口ぶりも許されているようだ。
年齢を考えればこの屋敷の当主が父君の頃から使用人として働いているのだろう。私とハンナのような関係みたい、と気の置けない仲である侍女を思い出し少し可笑しくなった。
侍従さんに叱られていたり使用人とこんな関係が築けたりする公爵について、前世の出来事のせいで私は難しく考えすぎていたのかもしれない。
あの時の公爵は今の公爵より五年も先の人物であり、あちらの世界で生きている人だ。
でも私はこちらの世界で十年間、あちらの世界とは別の人生を歩んできた。あちらの世界で一緒に学んでいた同期の聖女候補生たちは、こちらの世界では私のことなど一切知らずに過ごしているだろう。代わりにハンナをはじめとするこちらの世界でこの十年間に関わった人たちは、あちらの世界では私のことなど知らずに過ごしていたはずだ。
彼も今から十年前を起点に、あの世界とは全く違う人生を歩んでいる。つまり全く異なる性格となっていてもおかしくないのではないか。
頭に浮かんだ仮説に自分でうんうんと頷いていると、テーブルを準備し終わったソフィさんと侍女さんはおもむろに公爵の両脇に立った。
「さ、エルネスタ先生も起きていらっしゃったことですし、私たちもお食事の支度も終えましたので失礼しますよ」
「あ、いやまだ花が終わってな――」
「お約束はお約束です」
「あとは後ほどわたくしたちがやりますので」
さあさあと二人の侍女に急き立てられるまま追い払われた公爵は、最後にちょっとだけ振り返った。肩越しにこちらへ向けた顔は、眉も下がっていて情けない表情を浮かべている。何か言いたげに口を開こうとしているけれど、給仕の女の子に背を押されすぐにそれを閉じてしまった。
あー、と私は手を挙げた。
「えっと、お花。ありがとうございます。嬉しいです」
熱による体調不良と欝々した気分が、飾られた花の色彩や香りによって晴れたのは確かだった。これについては公爵のおかげと感謝するべきだし、これだけは伝えたかった。
そしてそれはしっかり公爵の耳に届いたらしい。一瞬丸く開かれた目が、二、三回の瞬きの後に細められる。はにかんだ様な笑顔を浮かべた公爵は、侍女たちに押されるまま部屋から出て行ったのだった。
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