第21話 伯爵夫人の夜会にて②
すんでのところで助けられ顔を上げると、そこにはいつの間に帰ってきたのか公爵が目を丸くしていた。
「どうした、あぶないぞ?」
能天気そうな顔に思わず苛つくが、それよりあの少女だ。確かマルガリータはそれほど身分の高くない家の出身のはずだった。こんな所にいるわけがないと思うけど、あの後ろ姿は彼女にとても良く似ていた。
しかし既に二人の姿は見えなくなっている上に、他の客たちの視線がこちらへ向けられている。何事かと思えば公爵がにっこりと微笑んだ。
「コルティス伯爵夫人、ご紹介します。先ほど話した、エルネスタ・エマ・ヅィックラー男爵令嬢です」
え、と振り返ると、そこには一人の老婦人が立っていた。彼女の顔を見た瞬間、私は跳ねる勢いで姿勢を正しその場に直立した。もうさっきの少女などどうでもいい。今の人生にはかかわりがない。それより目の前のこの女性だ。
昔、黄金色の豊かな髪を結い上げ、白い肌に良く似合う真っ黒だけれど光沢のある不思議な色の宝石を耳飾りにした彼女の肖像画を見た。
凛とした佇まいに意志の強い目が印象的で、のちにその人はこの国では珍しい女領主で実業家と聞き、私のある種の目標になった。
少し白くなってしまったけれど、高く結い上げられている髪やその下にある鋭い目つきは変わらない。そして耳はあの黒光りする宝石に飾られ、背筋をしゃんと伸ばした姿はあの肖像画のまま。
この女性こそ、私の憧れであるコルティス伯爵夫人――アリアドナ王女だ。
「ようこそおいで下さいました。ヅィックラー男爵令嬢。お楽しみいただいているかしら」
「は! はじめまして!」
挨拶の儀礼などすっかり頭から吹っ飛んだ私の口は、素っ頓狂な声をあげた。その途端、周りからは小さくないざわめきが起こった。
「お、おい……」
「……え? あ……」
公爵に肘で小突かれ、はっとするけれど既に遅い。周りを取り囲む客からくすくすという笑いが漏れているではないか。
「あ! えっと! 申し訳ございません! ご紹介に預かりましたエルネスタでございます!」
慌てて深々とお辞儀をしてみるが、あまりの羞恥に頬も耳も急激に熱を持ってくるのが止められない。顔をあげられなくなった私はそのままの状態で膝を折った。
「ご無礼いたしました。……お、お目にかかれて、その……光栄です……アリアドナ・コルティス伯爵夫人……」
かすれた語尾は果たして伯爵夫人の耳に届いたかどうか。第一印象で失敗した私は、もうこの場から消えてなくなりたいと願った。
でも、この機会を逃したくない。お話をしてみたい。一介の男爵令嬢でしかない私が伯爵夫人に会える機会などもうないかもしれない。そんな思いがなんとか両脚を踏ん張らせた。
その間、実際の時間にして僅か数秒だろう。
ふんわりとした手が、私の肩に触れた。お顔を、と告げられて目線を上げると、苦笑いをしたように唇を歪めた、でも確かに目が笑っている伯爵夫人の顔があった。その隣で公爵が呆れたように肩をすくめている。
「お顔をあげて、エルネスタ嬢。私もお会いできてうれしいわ。今年の王立大学校を首席で卒業されたこと、伺っていますよ」
「た、大変失礼をいたしました……このような場は初めてでして……」
「大叔母様、彼女はずっと大学にいたため夜会などにはあまり慣れていないのです。私からも謝罪を……」
横から私を庇うように身を乗り出した公爵に向かって、遮るように伯爵夫人は自身の扇子を振った。
「何を言っているの。そもそもユリウスがずっとお嬢さんを放っておいた挙句、段取りもなくいきなり声をかけるからでしょう」
「あ……まあ、それは、確かに……」
「まったく、あなたという子は初めて女性をエスコートしてきたと思えば……あなたがエルネスタ嬢に謝るのが先です」
それに、と伯爵夫人が扇子を広げ口元を隠した。ごく近くにいる私たちだけに聞こえるほどの小さな声で、魂胆は分かっていますと笑う。
「今日集まった他の家から縁談を持ち込まれないように、口実としてこちらのお嬢さんを連れてきたのでしょう?」
「大叔母様には敵わないな……」
「それを捌くのは貴方の仕事よ」
気にしないで、と伯爵夫人は笑いかけてくれた。その笑顔で周りも興味を失くしたのか、集まっていた視線が散開していくのが分かる。現金なものだ。明らかに場慣れしていない私の失態が、余興にちょうど良いとでも思ったんだろう。興が醒めたのか、集まりかけていた人々の輪がその輪郭を消した。
私はほっとして改めて頭を下げた。公爵が言っていた口うるさい大叔母という印象はない。肖像画で見た印象や、やり手であるという世間の噂で厳しい人かと思いきや、気さくな人のようだった。ますます好ましく、ますます憧れる。
伯爵夫人に誘われ、テーブル席につくとそこで初めて飲み物が運ばれてきた。緊張もあり喉が渇いていてついうっかりごくごくと飲んでしまったら、気配りがなさすぎるとまた公爵が伯爵夫人に叱られていた。
それから私は伯爵夫人とお話をするという、夢のような時間を過ごした。
領地経営に関する苦労や新規に事業を起こす楽しさ、女性ならではの気配りと強気な交渉術の話など、いくら聞いてもワクワクする気持ちが止められない。
しかしいつまでもこの夜会の女性主人を独り占めするわけにはいかなかった。まだまだ話したいこと、聞きたいことがあったけれど仕方ない。そこは我慢だ。
次の招待客へ挨拶があるから、と席を辞した伯爵夫人の背を見送りながら私は感嘆のため息を漏らした。
「どうだった?」
「はい、とても素敵な方でした……。お話も全部勉強になります」
「だろう?」
「はい、素晴らしい時間でした」
人の波の間を泳ぐように優雅に歩く背を眺めながらうっとりと夢見心地で応えると、隣で公爵はテーブルに肘をついた。
「それはよかった。俺としても君が喜んでいる顔をみるのは楽しい。連れてきた甲斐があったというものだ」
「……はあ」
「なんだ? 不服?」
小さな子供が拗ねているかのような言い方にカチンとくる。
「その割には、随分と放っておいてくださいましたね」
「仕方ないだろう? 夜会の女主人は忙しいし、君にも聞こえただろうけれど俺だってあちこちの貴族に呼び止められるのを躱して行かなきゃならないし、変な話を持ってくる奴に捕まる前にと思ったんだ」
「まあ、それはそうでしょうけれど……仮にも女性をエスコートするならもう少しご配慮いただけると」
「忙しい中、伯爵夫人がこれだけの時間をとってくれたのは俺がいたからなんだし、そっちこそもう少し感謝してくれてもいいと思うがね」
確かにこの機会をくれたのは公爵で感謝はしているけれど、それに対して更なる感謝の強要をされるのは納得がいかない。王子の冷静な側近という彼の印象が昨夜からどんどん崩れていき、今となってはただの子どもにしか見えなくなりそうだ。
初対面の際などは取り繕っていたというのは理解できる。しかし元からこのような人なのだろうか。それとも前世の未来で見たあの顔は、この先で何か起こった結果として出来上がったものなのだろうか。
しかしここで変に反発を示しては、解雇の恐れもある。となれば態度の選択肢は少なく、腹立たしさを押し隠して私はあいまいにほほ笑んで深く頭を下げるしかなかった。
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