第20話 伯爵夫人の夜会にて①
コルティス伯爵夫人の夜会は、王都に構えたアリアドナ王女の私邸での開催だった。
豪奢なお屋敷は王女の紋章が掲げられた門構えからして別世界だ。招き入れられた邸内はいたるところにある最新の意匠を施したランプに照らされ、夜会という場に幻想的な雰囲気を漂わせていた。
橙色の灯りによって浮かび上がる庭園の花々はどれも昼の色とは異なる魅力をたたえ、その景色はさながら夢の世界のようだ。濃厚な花の香が充満しているのは、庭園の花々か、それとも招かれた人々の香水か、はたまたその場の演出にアリアドナ王女が何かを施したのか。いずれにせよ景色と香りの相乗効果で、私の足取りは夢の中を歩くようにふわふわと軽くなっていく。
そんな私だったが、公爵に手を引かれ屋敷の扉をくぐるとさらに驚かされた。
公爵家の屋敷より高い天井、そこに描かれている大きな絵画が目に飛び込んできたのだ。描かれているモチーフは古の神とそれに祈る聖女で、背景には清浄の世界である花畑が広がっている、歴史の教科書に掲載されている絵画だ。学校で学んだことがある者なら一度は目にしたことのあるものの本物だ。
神の遣いとされる神獣が彫刻された柱と天井が、まるで額縁のように絵を取り囲んでいる。この空間全体がその絵のためにあるようで、とても美しい。その場に座り込んでじっくり拝みたくなったのは私だけではないと思いたい。
しかも、である。
夜会という時間帯、天井の絵画をしっかり見ることができるほどに室内が明るいのだ。公爵家の屋敷とてここまで明るくはない。それは柱ごとに吊るされている硝子製のランプの数のおかげだと気が付くと、コルティス伯爵、いやアリアドナ王女の財力の凄さに改めて感動した。
で、そんな場違いな夜会にやってきた私が今何をしているかと言えば、広間の片隅で一人ぼうっと立っているのを余儀なくされている。
手を引かれるまま広間にたどり着くと、私を連れてきた張本人はちょっと待っていろと言い残すが早いか来客の中に紛れてしまったのだ。
ああ、と呼び止める間もなかった。初めての豪華な夜会にびっくりしすぎて言葉が出なかったせいもあるし、履きなれない踵の高い靴を履いていたので体が動かなかったせいでもある。ここまで手を引いてもらっていたから歩いてこれたのだと思い知った。
そうなるともう私は壁の花のごとくそこに立ち尽くすしかない。しかし、ぼうっとしているうちにそれでよかったのかも、と思い直した。
屋敷の内装に圧倒されていたのが幾分落ち着き、周りを見る余裕が出てきたからだ。
広間に集まり談笑している方々には見覚えがある顔もあった。ただ今生ではなく、前世での記憶だ。聖女だったころは王家を始め公爵家、伯爵家など身分の高い貴族の方々とも会う機会があった。今はしがない男爵令嬢でしかないので、あまりに身分の高い方とは知り合う機会も少ない。
集まっている貴族の子弟であれば大学で見た顔もいるかもしれないな、とあたりを見渡してみるけれどさすがに先々王のご息女、現国王のおば君というアリアドナ王女の夜会に若い子弟程度は招かれないらしい。どの客も高位の貴族夫婦だ。
つまりここでこうして立っている私は、かなり場違いなのである。
そして、大変父母には申し訳ないが祝賀会で着た礼服で来なくてよかった、と思った。
集められた客は身分の高さを誇示するように、どの男女もきらびやかに着飾っている。ご婦人方のドレスなど艶があるのにしっとりとした色味が綺麗に表現されていて、どれをとっても高価な生地を使った一級品だ。ドレスを輝かせるために縫い付けられている宝石も、きっと私が想像できないほどの数があしらわれているんだろう。
いくら仕立てが良いとはいえ、そんな中に礼服を着てきたら地味を通り越して悪目立ちすることくらい私にもわかった。下手をすると招待客ではなく侍女やお使いだと思われただろう。
私は自分のスカートをちょっとつまんだ。
濃い青を基調とした、艶のある生地でできたドレスは公爵家お抱えの裁縫職人が急いで仕立てたものだ。夜会に行くと決まって連れていかれた公爵家の母屋で大急ぎで各所のサイズを測り、裁縫職人が持ち込んだ新品で新デザインの既存ドレスを大幅に直して出来上がったドレスである。
新品を私に合わせて仕立て直すと聞いた時は断固拒否を決めたかったけれど、こうしてみるとご厚意に甘えて正解だったと思わざるを得なかった。
「とはいえ……暇……」
ぽつりとつぶやく声は、広間に集まった人々の談笑に飲み込まれる。内容が聞き取れるほど近くにはいない人たちの声は一塊の大きな音でしかない。音のうねりに押し出された私は、僅かな疎外感を味わいながら人々の観察を続けた。
その中で、一組の男女に目がいった。男の方は白髪交じりの頭で年齢相応の貫禄があったけれど、女の方は客の中では群を抜いて若い。というよりまだ子どものようにも見える。すらりとした体つきに淡い黄色のドレス、そして背中に流れる純白に見えるほどに輝く銀髪に気が付いた私の胸がずきりと大きく痛んだ。
「……マルガリータ……?」
見間違いだろうか。私はその長い髪が波打つ背に目を凝らす。けれど男女はすぐに広間の客に紛れて姿が見えなくなってしまった。追おうと一歩踏み出すが、慣れない靴が毛足の長い絨毯に引っかかり体が倒れそうになる。
しまった、と息を飲んだ瞬間に肩を支えられた。
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