第16話 元聖女候補生の真摯な祈り②

 泣きじゃくった事も忘れ、すっかり頭が別の事で沸騰しきったころだった。コンコン、と扉を叩く音に我に返った。

「エルネスタ先生、今、ちょっとお話はできますか?」

 扉の外で公爵の声がする。堂々巡りだった思考を無理やり停止させると、またコンコンと扉が叩かれた。

「はい!」

 今行きます、と扉に駆け寄るが壁にかかった鏡を見てはっと立ち止まる。

 ――なんてひどい顔だろう。

 化粧はすっかり取れ、両瞼はぼってりと腫れている。髪もすっかりくしゃくしゃだ。

 いくら自分が見栄えを気にしないような装いを好んでいるとはいえ、さすがにこれはひどい。少なくとも世話になっている公爵に見せられる姿ではない。

 部屋自体も灯りを付けていなくてどんよりと暗いではないか。

「す、すみません。今、少し身支度ができておりませんので……!」

 言い訳がましく告げれば公爵が去っていくかと思ったら、待つと答えられてしまった。何かどうしても話したいことがあるらしい。

 私は大急ぎで剥げ散らかした化粧の上から粉を叩き、髪に櫛を通し首の後ろで一束ねにした。机に置きっぱなしにしてある眼鏡をかけて鏡を見ると、なんとか、ものすごく急ごしらえではあるがなんとか夜の灯り程度であれば誤魔化せる外見になった。ような気がする。

 さっと室内のランプを灯して、ベッドの乱れだけは整えた。

「お待たせしました……」

 手早く身支度は済ませたもののそれなりに待たせてしまった。おそるおそる扉を開けると、そこにはこれまた申し訳なさそうな顔をした公爵が立っている。

  驚いたことに屋敷内の私的な服装ではあってもいつもならば割ときっちりした姿しか見せない公爵が、今夜に限って髪も襟も少しばかり乱れている。あの、と口を開くとそれと同時に公爵が申し訳なかったと頭を下げた。

「ど、どうされたのです? お顔をあげてください、公爵様」

「君をあのような席で殿下に会わせるつもりはなかった。驚かせてすまなかった」

「いえ、驚きましたが、そんな公爵様がお気になさることでは……」

「男爵令嬢に大変失礼なことをした。扇子もなく、手袋もしていない場面では君はさぞ恥ずかしかったのではないだろうかと、今更ながら気が付いたんだ。アメリアはまだ子どもだからあの様子だったが、俺が配慮すべきだった。本当に申し訳ない」

 どうやら公爵はあの場で私が固まっているのを、羞恥のせいだと勘違いしているらしい。実際はかなり違うんだけれど、それを訂正して説明することもできない。

 私はあいまいに頷いて、公爵を部屋に招き入れた。開け放した戸口で話す内容ではない。居間に通し、侍女が用意してくれていた水差しからコップに水を注いだ。本来ならお茶を淹れたいところだけれど、生憎お湯がない。

 やや失礼かな、とは思ったけれど、椅子に腰かけた公爵は気にしていないのかコップを勧めるとそのままそれを一口飲んで顔をあげた。

「……もう、落ち着かれただろうと思って来たが、その、大丈夫でしたか?」

「お気遣い、ありがとうございます。お食事もお断りしてしまってもうしわけございませんでした」

「いや、謝るのはこちらの方だ。本当に失礼なことをした。そして、失礼が続いて大変もうしわけないのだが……」

 公爵はそう言うと語尾を濁らせた。

「何かございましたか?」

「うん……その、アルベルト殿下が……」

「王子様が、何か?」

 動揺を悟られたくなくて、努めて普通に応対したつもりだった。しかし公爵はすぐに頭を振った。

「改めて君を紹介……してほしいと言っているんだが、君の方はどうだろうか」

「……紹介? とは?」

 思いもよらぬことに一瞬頭が追い付かず、ぽかんと私の口が開いた。

「我が主が、君ともう少し詳しく知り合いたい、と。大学を首席で卒業し、そのまま公爵家の家庭教師に納まったヅィックラー男爵令嬢に、その、興味を持たれたようだ」

「……興味……。そ、それは、なんというか、身に余る光栄と申しましょうか、何と言いましょうか……」

 公爵がいう紹介の指す意味を察し、私は首を傾げた。何故公爵がそれを私に告げるのか、意味が分からない。だって自分の妹が婚約している相手に、別の女を紹介するということがどういうことか分からないわけがないだろう。

 いや待て。

 ひょっとして私の勘違いということもある。王子が純粋に、「婚約者の家庭教師」の仕事ぶりに興味を持ったとか、あるいは大学を首席で卒業したくせに何をやっているんだというような興味を持ったとか、そういう方向かもしれない。

 なら分かる。であれば兄として妹の学業への熱心さをアピールして欲しいのかもしれないし、「首席」に興味があるのであればもしかしたら官職に就ける足がかりになるかもしれない。でも個人的に会ってしまったらまた私の情緒がおかしくなるだろうし、できれば公爵に同席してもらって――。

「殿下はご自身の髪色とは異なる色の者をお側に置きたがる傾向があるんだ。それで君の見事な銀色の髪に興味を持たれたらしい」

 違った。

 私は自分の暴走しかけた思考を止めた。

「俺が殿下の側近であるのも、この黒髪のおかげと言える。他の公爵家や伯爵家の子息はこの国の王族の血が強いのか、みんな金に近い髪色でね」

「……銀も、見ようによっては金に近いと思いますが……」

 そんな好みがあったなんて、知らなかった。そういえば昼もアメリアと私を並べて太陽と月だと言っていたっけ。お世辞ではなく、単純に好みを口にしていただけだったのか。

「まあ、つまり殿下が君を一人の女性として興味をもったということだよ」

 そこまではっきりと言って吹っ切れたのか、公爵は口調を一変させた。

「で、どうしたい? ここで俺が紹介し、上手くいけば君は未来の王の妻にはなれないだろうが、結婚までの間の恋人や、公妾の立場を手にすることができるかもしれないぞ?」

「何を仰っているんですか。アメリア様の兄君が、そんな」

「もちろん、別れ際には殿下がその後の生活に困らないようには取り計らってくれるだろう。しかも未来の王の公妾ともなれば宮廷での発言力も増す。今よりずっと男爵家も大きな顔ができるだろう。悪い話ではないと思うが」

「お断りします!」

 経済的な事や身分的な旨味をチラつかせた公爵に、私は思わず怒鳴ってしまっていた。

 前世の未来で見た王子の優し気な面影が脳裏をかすめ、ぐらつかなかったかと言えばうそになる。もう一度あの笑顔をお側で見たい。甘い言葉をかけてほしい。そりゃああの時までは愛していたのだ、当たり前だ。

 しかしその後の未来は絶対に回避したい。あんなひどい仕打ちをまた受けろというのはごめん被る。そのために聖女の道を選ばずに勉学に励んできたのだ。処刑される道に繋がりそうな選択肢を今更選ぶなんて、そんなのは馬鹿のやることだ。

 しかもなんでわざわざ可愛いアメリアが傷つくことを私がやらなくてはいけないのか。そんなことを実の兄が勧めたなんて知ったら、彼女がどれだけ傷つくか分からないのか。前世の記憶を塗り替えるほど妹思いの公爵と思っていたのに、とんだ見込み違いだったということか。


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