第15話 元聖女候補生の真摯な祈り①
買い出しなど方便である。思いもよらぬ公爵の配慮に感謝しつつ、結局私はそのまま自室のある離れへ引きこもった。
屋外で着ていた衣類を脱ぎもしないままベッドに倒れ込み、子どものようにわんわんと声をあげて泣いた。
こんなに泣いたのは記憶が蘇った時以来かもしれない。あの時以降、大人になった記憶をもっていたので随分達観した子どもだった自覚はある。しかし今回はだめだった。とにかく泣いて泣いて泣きまくった。
途中、部屋の扉をノックされて食事に呼ばれたけれど、とても人前に出られる顔ではなかったので辞退させてもらった。気が利く侍女の一人が居間のほうに軽食と飲みものを置いてくれただけで、あとは放っておいてくれたのはありがたかった。
気が済むまで泣いてベッドから起き上がったころには、もう窓の外はすっかり暗くなっていて、月も随分と高いところまで昇った時分だった。
体中の水分が出て行ってしまったかのように喉が渇いた。そして頭も、体も、まるで泥を纏ったかのように重い。のろのろとベッドから抜け出て居間へ行き、侍女が用意しておいてくれた水をコップに注いで飲んだ。
いい歳をした女がわんわん泣いているところに、何も聞かずにおいて行ってくれるなど公爵家の侍女は本当に仕事ができる良い人達だ。すっかりぬるくなった水だったけれど、ほんのりと花の風味が付いていて、一口飲むごとに気持ちが落ち着いていくのが分かる。
「っはぁぁぁぁぁ……」
コップに残った水を一気に飲み干し、私は大きくため息を吐いた。
記憶が蘇って十年。処刑の未来が恐ろしくて絶対会いたくないと思っていた王子に一目会っただけでこうなってしまうとは、我ながら情けない。私の中にあった王子への恋慕が十年経った今でも残っていたことに、今更ながら驚いた。
聖女になって数年で王子に見初められ、処刑される前日までは確かに幸せだったのだから仕方ないのかもしれない。今日見た王子の笑顔はあの頃とほとんど変わらなかった。
でも今生ではあの優し気な瞳の向く先が私ではなかったというだけ。それだけだと思いきるだけなのに、なかなか自分の感情がうんと言ってくれないのが難しいところである。
だからと言って今日見たあの二人の仲に割り込むつもりはなかった。
人見知りで大人しいアメリアが、王子の前ではとても楽しそうに笑っていた。実の兄に対するより懐いているようにも見えたし、よほど王子に対して信頼と愛情があるのだろう。
あの笑顔を曇らせるなんてことはあってはならない。私の、前世の未来に捨ててきた気持ちを、今更この世に持ち込むことはできないのだ。
しかも、と腫れて重い瞼を引き上げながら窓の外を見る。
前世の世界でも、おそらくあの二人は婚約をしていたのだろう。でも二十五歳の頃の記憶では、王子と私が婚約していた。ということはアメリアと王子の仲を聖女になった私が引き裂いたということになる。
それはだめだ。公爵が怒って私を憎むのも、十分理解できてしまう。今日の彼らを見れば、やはり聖女の証を秘密にしておいてよかったと思った。その位には私はアメリアの事も好ましく思っているのだ。
「でもなぁ……聖女の任期が伸びたとして、その次の候補者って……」
私は記憶の中で特に鮮明に残る風景を思い出した。透き通るほどに白い髪をたなびかせ、淡い黄色のドレスをきて王子に寄り添っていた、次期聖女候補生。
「……マルガリータ、なんだよなぁ」
あの時十五だから、今は十歳か。特に早く聖女の証が発現し、修行に入ったのも早かったはずだから今頃は候補生になっているだろうか。あの儚げな少女が、あの後どうなったのかは知らない。
処刑場からの去り際、王子の手が彼女の腰に回されていたということはおそらく、というところまで考えて止めた。
あの世界と、今では「私」があの場にいないことが決定しているので異なる世界なのだから、王子がマルガリータとこの世界でどうこうとは限らない。いやいやいや、と私は首を振って脳からその妄想を追い払う。
しかし、だ。あの時は王子とマルガリータが十歳以上離れていることから二人の関係を信じられない気持ちもあったけれど、現在十一歳であるアメリアと十歳以上年が離れた王子が婚約しているという事実を知ると、まさかという気持ちも蘇る。
マルガリータを王子と会わせてしまうのは、マズイのではないだろうか。
「いや、それこそ私の出る幕じゃないし……」
でもアメリアの傷つく顔は見たくないし、婚約破棄を繰り返す王子の国内外からの信頼はどうなるのだろうという心配もある。
「ないよね、アメリアと、仲良さそうだったもんね……。しかも、公爵と王子、乳兄弟って言ってたし、そんな親戚づきあいを疎かにするほど政治感覚ない人じゃないよね……」
なんだか急に心配になってしまった。私の知る王子は愛情深く、そして聡明な方だ。大丈夫と信じたいけれど、あの風景が脳裏をチラついて離れない。
どうしよう、聖女候補生の中にマルガリータがいたら。なんとか彼女を除外してもらうことはできないか、と思うけれど今期の候補生が不作というのであればその次の代から早々と育成をするという案が浮上するかもしれない。
そうすると次世代でとびぬけて優秀だった彼女のことだ。諸先輩を追い抜き早々と聖女に選ばれる可能性がある。彼女を除外した場合、またふさわしいものが居ないとなれば今の聖女の任期が伸びるか、聖女不在の期間が発生するかであまり国としても体裁が良くない。
そして聖女に選ばれなかった場合、それほど裕福な家の出ではないマルガリータの将来がどうなるかという心配もある。
うーん、と私は腕組みをして唸った。私が考えることではないけれど、それでもなるべくみんなが幸せなままでいられるほうがいい。
うーん、うーんと私は唸り続け、そして聖女の頃に覚えた神への祈りの言葉を何度も唱えた。繰り返し、繰り返し、何度も唱えるうちにあの頃の修行の日々が思い起こされる。今にして思う。聖女とはいったい何だったんだろう。
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