第11話 五年先の前世の婚約者①

 公爵令嬢の家庭教師となって早半月。昨日から続く良いお天気だったので、午後の授業を繰り上げてお屋敷の庭園で草花や虫の観察をしてみようということになった。

 アメリアはそれを聞いて大喜びだった。簡単な昼食をとるとすぐに日常用のドレスからさらに動きやすい服に着替えるといって、侍女を伴い部屋に帰っていった。

 戻ってきたときには少年のようなズボン姿だったのにはこちらが驚かされた。隣に立つ侍女の一人がいうには、公爵の少年時代の服らしい。少し困り顔をしていたけれど、令嬢がそんな恰好をすることを諫めて止めさせるわけでもないあたり、この屋敷の方々は極めて柔軟な思考をしているのだろう。

 授業は庭に設えられた東屋に簡単なお茶の支度をしてもらい、私はそこで待機しながらアメリアの質問に答える形式にした。

「エルネスタ先生、この木の葉と、こちらの草の葉は模様が違います」

「そうですね。その模様のことを何と言ったか覚えていますか?」

「はい、葉脈です。水とか、栄養を通す管です」

「よく覚えていましたね。植物の種類によって網目のような葉脈を持つものと、葉の向きに平行な葉脈を持つものに分かれているんですよ」

 興味深げにまじまじと二枚の葉の観察を続けるアメリアに、私の頬は緩みっぱなしである。キラキラした目でじっと葉の表面を見ていたかと思えば、裏に返して表面を触ってみたり葉の根元の断面を見てみたり、と非常に熱心に観察をしている。

 本当に生き物が好きなのだろう。手や膝が土で汚れるのも気にせず地面に顔を近づけて葉の生え方を観察しているかと思えば、葉に小さな虫食いの跡を見つけると悲鳴一つ上げず木まで虫を探しに行ってしまう。そして疑問が浮かぶとすぐさま質問に戻って来て、疑問が解ければまた木まで走って行ってしまう様は、まるで令嬢らしくない。

 しかしそれが彼女のかわいらしく、素直で良いところだった。

 そんなアメリアをほほえましく眺めていると、妹の歓声が聞こえたのか屋敷の中から公爵が姿を現した。

 東屋までやってくると、失礼といって椅子に腰かける。そして遠くではしゃぐ妹を眺めて公爵は目を細めた。

「今日は屋外実習かい?」

「お天気も良く、お庭の芝も乾いていましたので良い機会と思いまして」

「なるほど、これならアメリアの手足もそれほど汚さないという配慮かな?」

 よくわかっていらっしゃる。

 どれほど使用人の方々の理解があってアメリアが望んだとしても、やはり汚れ物の洗濯や令嬢の身だしなみを考えれば汚くならないほうがいいわけで。晴れた日が続いて乾燥していれば、泥汚れも付きにくかろうと侍女のソフィさんと相談した結果である。

「アメリア様は本当に生き物がお好きのようですね。生き生きとしていらっしゃいます」

「小さなころから、小鳥や猫などとは触れ合っていて好きなのだろうとは思っていたが、それ以外にもそんなに興味を持っていたとは知らなかった」

「小さな虫にも驚かれず、むしろ手に取って観察していましたよ」

「む、虫?!」

 何気なくさっきの虫の話をすると、公爵は顔をしかめて身を仰け反らせた。

「あ、あの子は虫も平気で触るのか? 噛まれたり、刺されたり危なくは……?」

「はい。あまり苦手意識もないようですよ? あ、ご心配には及びません。毒虫などであればすぐに捨てるようにお知らせしますから」

「いや、そういうことでは……」

 公爵は虫があまりお好きではないのかも知れない。これは黙っといたほうが良かったかな、と思った途端に視界の端を何かが横切った。同時にぷぅんと高めの羽音が聞こえる。

 あ、蜜蜂。

 と思って口に出そうとしたときには既に遅かったらしい。

「うわああああ!」

 仰け反った体勢のまま固まっていた公爵が大きな声をあげた。

 私の顔の近くを飛んでいた蜜蜂が、すっとテーブルの上に並べられた茶器の間に添えられた花に止まったのだ。飾られた花とはいえ公爵家の庭園でつい先ほど摘まれたもので、蜜のかおりに誘われて飛んできてしまったのだろう。

 悪いことに花は公爵の側を向いており、蜜蜂は公爵の鼻先をかすめて花びらの中に飛び込んだのだ。

「は、……は、蜂……!」

「蜜を取りに来たんでしょうね。ちょっとお待ちください。すぐ片付けますから」

 花の中心を凝視したまま動けなくなった公爵の目の前から、私はそう言ってすぐに花器を遠ざけた。そのまま花壇の方へ向かい、蜜蜂が入った花をその植栽の一部へ差し込む。蜜蜂も気が済んだら勝手に巣へ帰るだろう。

 そういえば養蜂場って近くにあるのかしら。あるのだとすれば、一度アメリアを連れて見学に行ってみたいかもしれない。

「もう大丈夫ですよ、公爵様」

 くるりと振り返ると、そこには未だ半放心状態の公爵が固まったままこちらを凝視していた。

「公爵様? もう、お花はあっちに置いてきましたよ?」

「あ、ああ……蜂は……?」

「花壇の花と勘違いしたのでしょう。日が暮れる前にそのうち巣に戻ると思います」

 ほら、と空の花器を見せると公爵は細いため息をついて椅子にへたり込んでしまった。よほど苦手なのかもしれない。アメリアとは正反対の様子になんだか可笑しくなってしまって、私はそれを誤魔化すために手元の茶器からカップに茶を注いだ。

「……君は、蜂も平気なのか?」

 公爵にそっとお茶をすすめると、それを一口飲んだ公爵はやっと少し落ち着いたのか口を開いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る