第10話 三食昼寝、賞与付き②

「これはアメリアの字ですね。試験?」

「は、はい。一日おきに、前回の内容の確認のために行っています」

「ごく簡単に見えますが、これで、妹の何かが分かりますか?」

「アメリア様は聡明でいらっしゃるので、授業の内容はすっと飲み込んでくださいます。しかしそういったお子様は忘れてしまうのも早いのです。知識を定着させるためには、繰り返し思い出すことが重要です。そのため、授業内容を思い出すことを中心にした試験にしています。初等学校内容が一通り終わりましたら、今度は応用や考察が必要な試験を行う予定にしています」

 応用編はおいおいやっていくつもりである。十一歳という幼さの少女には、まずは初等学校の一年次で行う内容の学習をしっかり身に着けてもらう必要があるからだ。

 ざっと説明をすると、公爵は満足げに頷いた。

「よく見てくださっている。感謝します。あの子の希望を叶えることができて、俺としても安心だ」

 本当にこの公爵は妹君がかわいくて仕方ないのだろう。アメリアは公爵家の令嬢だから、無理をして学校へ行って学識を得なくても不都合はないといえば確かにそうだ。ただこの先、何かしらの形で国政に関わる立場にならないとも限らないからというのも嘘ではなく、彼女の立場を考えれば中等学校程度のことまでは学んでおいて損はないのだ。

 その学びのために家庭教師を、しかも「大学を出た女性」という稀な人材をわざわざ確保して囲っておくというのは、公爵家の財力があってのことであるが妹君への深い愛情故と言っても過言ではないだろう。

 実際にアメリアの事を話すときの公爵は、落ち着いてみえる端正な顔をややほころばせることが多い。今もアメリアの学習内容を眺めて目を細めている。公爵から見てもなかなかに満足いく成績であることは間違いない。なにせ全ての問題に二重丸がついているのだ。


 ――優秀な妹がいて、さぞかし鼻が高いんだろうな。


 学校に行けないという部分を差し引いても、アメリアは十分優秀でどこに出しても恥ずかしくない生徒だ。

 私は試験や教材の紙の束を机へと戻した。明日、彼女には兄君が褒めていたと伝えてやらなくてはいけないだろう。

 テーブルを片付けているとじきに食事が運ばれてきた。給仕の侍女が並べて行ってくれるため、私は早々に椅子へ座らされ公爵の質問に答えることとなった。

 主な質問はやはりアメリアの興味や成績に関することだ。私はこの数日間で感じたことをそのまま公爵へとお伝えした。

 アメリアは幼いとも言える少女だったが、思いもかけず数学や科学といった自然にまつわることに強い興味を持っていた。半面、刺繍や詩の朗読のようなものは不得意とまではいかなくともあまり好きな分野とは言い難いらしい。

 部屋の窓を開けていたら入ってきたという蜻蛉を素手で持ち、その顔を観察していたのには驚いた。馬や牛、山羊といった、農業に関わる動物たちにも興味を示したので、生き物全般が好きなのかもしれない。

 そんな話をしながら、時折自分の学生生活の話を織り交ぜつつ和やかに夕食が終わると、公爵はテーブルを立った。

「とても有意義な時間だった。ありがとう、エルネスタ先生」

「いえ、こちらこそご配慮ありがとうございます」

 そう頭を下げると、耳元でじゃらっという音がする。

「引き続き妹のことをお願いする。こちらは先日お支払いした手付の残金だ。受け取ってくれたまえ」

 目を上げると、形の崩れた小袋がテーブルの上に乗せられているではないか。ただの小袋でないことは、表面に施された刺繍を見れば一目瞭然だった。公爵家の紋様だ。ということは、これは公爵家からの正式な「報酬」である。

「こんなにいただけません!」

「こちらが感謝をして正当な報酬を支払っているんだ。遠慮はいらない」

「だめです、公爵様。もう先日いただいた分でいっぱいです。貴族のご子息の家庭教師の相場を学友の一人に尋ねたら、頂いた銀貨の十分の一にも満たない額でした」

「それが何か?」

「ついこの間、新生活の支度のためと百枚もいただいております。あれでもう十分です。向こう三ヶ月は暮らせます」

「それは街で宿に寝泊まりするだけの金額だろう。仕事をしているんだ、報酬を受け取る権利があるし妹が世話になっている俺からの礼もある。こんな金額じゃ足りないくらいだと思っている」

「住むところも食事もお世話になっている以上、本当にこれ以上いただけません!」

 強引に銀貨が入った袋を押し付けられ、私は思わず怒鳴りながらそれを突き返していた。なんでこんなにお金を渡したがるのだろう。のらりくらりと理由を付けても引き下がってくれない以上仕方がない。怒らせてしまったらどうしよう、と恐る恐る顔を上げると、公爵とばっちり目が合った。

 驚いたように目を見開いている公爵は、私と視線が合うと一瞬呆けたように口を開き、そしてすぐにばっと顔を背けてしまった。

 しまった、怒らせたかもしれない。急に心配になってきたが、対する公爵は声を荒げることもなく押し戻された袋をテーブルの上に置き直した。

「……こ、公爵様!」

「……君は……金が欲しかったのではないのか?」

「は? え? いや……なければ暮らせないので、欲しくないわけではないですが……」

「……暮らせれば、いいと? そんなこと、しかし」

 狼狽えたように公爵は首を振った。きっちり整えられていた前髪がはらりと額に落ち、自信に満ちた表情に翳がかかる。私から外された視線は、あてもなく宙を彷徨っているように見えた。

「いや、いい。今の事は忘れてくれ。詮無い事……」

「公爵様?」

「いいんだ。こっちの話だ。気にしないで欲しい、そう、こっちの話……」

 こっちの話?

 耳にひっかかった言葉に首をかしげる。しかし公爵はその後も何事かを呟きながら、額に手を当てふらふらとした足取りで部屋から出て行ってしまった。もちろん、銀貨の入った袋はテーブルに置きっぱなしである。

 私はその袋に手を伸ばすこともできず、ただひたすら公爵の背を見送ったのだった。


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