第9話 三食昼寝、賞与付き①
住み込み、三食付き、午前二時間、午後二時間の座学以外も生徒の望むままに授業を継続すること。
これでお給料が月に銀貨五百枚。拘束時間は確かに長いが、たかが家庭教師の身分で貰いすぎであるとはっきり断言できる。
朝晩の二食が付く街の宿に泊まったら、一泊あたり銀貨一枚に満たないというこのご時世。あまりの破格待遇に私は勢いよく首を横に振った。
「こんなにいただけません!」
「遠慮はいらない。拘束時間の長さと君の能力を考えればこれでもまだ足りないのではと思っているくらいだ」
「街で宿をとっても一晩で銀貨一枚もあれば十分なんです。寮を出てすぐに行くあてもない私に、住むところも、食事も提供してもらって、その上で銀貨何百枚もなんて受け取れませんっ!」
「我が家からの感謝の証しだ。大人しく受け取りたまえ」
初日に待遇について公爵と打ち合わせをした時に断固反対したのだが、結局押し切られた私の手元には前金の銀貨百枚がある。公爵曰く、取り急ぎの手付金として払うから衣類や生活に必要なものを用意せよとのことだ。
ありがたいことである。しかし決して裕福とは言い難い男爵家に育ったため、一度にこんな額の銀貨など持たせてもらったことがない。
だからこそ身の置き場所が見つからない。生活に必要なものといっても、寮から運んだもので十分事足りるのだ。しかも私の分だけなのだから寮にいたときよりも物は少ない。それなのに、与えられた部屋は寝室だけでなく書斎やリビング、ダイニングといったものがすべて揃う、屋敷の離れ丸ごと一棟だ。
これで身の置き所が「ある」ならどんな豪胆な人間だろう。初めてここへ案内された日、小市民である私はベッドのある寝室の隅で膝を抱えて震えてしまった。
ここに住み込みをするのは私だけで、身の回りのことは公爵家の侍女達が請け負ってくれるというのでハンナは泣く泣く男爵領に戻っていった。ハンナがこんな建物や銀貨を見たらまた結婚だなんだと大騒ぎになるだろう。
いや、実際「住み込み」と聞いただけで有頂天になっていたので後から父母に説明の手紙を書かなければ誤解が生じかねない。これは決して嫁入りなどではなく、公爵と私は契約書を交わした雇用主と被雇用者の関係なのだ。
しかし、と私はベッドの隅に腰を下ろしながら窓の外を眺めた。午後の座学が一段落した休憩時間である。今夜は公爵本人と食事をする約束をしているので、この後アメリアが質問に来る予定はない。上品な庭を眺めてぼうっとするにはもってこいの夕方だ。
「まったく、あの冷徹公爵と同一人物とは思えないわ……」
出会い方が異なるため同じような態度をされないだろうということは、頭では理解しているつもりだけれどどうにも勘が狂うのだ。私にとって、ヴォルフザイン公爵の記憶は憎々し気にこちらを見ている目つきがすべてである。
当時は何故彼にあのような目で睨まれていたのかさっぱり分からなかったが、今になって思えば最側近を差し置いて身分の低いぽっと出の聖女が王子のそばをうろついていたのが気に入らなかったのかもしれない。
それにしたってほとんど話したこともないというのに、酷い嫌われようだった。小さい男だ、と思ったのも一度や二度ではない。
しかし今の公爵は、妹君に優しく使用人たちにも気が利く良い主人と評判だ。もちろん妹君の家庭教師となった私にも、過剰なほど好待遇を示してくれる器の広さを持っている。本来の公爵の人となりはこちらが正解なのだろうか。
分からないけれど、雇い主としてはアタリなのだろう。ここは割り切るしかないのかも。
そう思っていると、扉の外を叩く音がした。
「俺です。ユリウスです。もうそろそろ食事を運ばせても良いだろうか」
「は! はい!」
私は慌てて扉を開けた。いつもの夕食の時間にはやや早い。そして常ならば食事は母屋の食堂でとるはずなのに、運ばせるとかいうのはどういうことか。
扉の外には普段着に身を包んだヴォルフザイン公爵が立っていて、私を見ると相好を崩した。
「やあ、エルネスタ先生」
ここはごきげんよう、とでも言わねばならないところだろう。しかし私は挨拶もそこそこに廊下に首を伸ばし左右を見渡した。
「公爵様、あのっ、食事を運ばせるとはいったいっ」
「ああ。慣れない屋敷で我々に合わせっぱなしで、君も相当お疲れじゃないかと思ったのでね。俺の分と君の分、こちらに運ばせることにしたんだ」
「いえ、そんなお気遣いいただかなくても結構で」
「我が妹が嬉々として君の授業の話をしてくる。よほど学べることが楽しいのだろう。妹の大切な家庭教師殿に対するわずかばかりの礼と受け取って頂きたい」
なるほど、と一瞬納得しかけるがやはり一介の家庭教師に対する待遇ではない。しかし今更こちらから食堂へ伺うといっても、関わる給仕の方々に迷惑になってしまうかもしれない。戸惑っているうちに公爵はずかずかと部屋へ入ってきて、机に並べていた今日の教材を興味深げに眺め始めてしまった。
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