第8話 公爵家の華たる姫君②

 一言も発しない妹の背をさすりながら、公爵は着席を促した。顔をあげずこちらをみることもしないまま、アメリアはソファに座り込む。両の拳をぎゅっと握り締めて膝の上に置いた様は、まるで先程の私のようだ。つまり……?

「礼儀がなってなくて申し訳ない。見ての通り、妹は極度の人見知りなのですよ。そのおかげで、十一を過ぎたのですが王立学校に通えなくて困っているのです」

 え、と私は目を瞬かせた。

 十一歳から学校に行くのか、ということと、アメリアというこの少女がまだ十一歳だということに驚いた。背が高いからもう十四、五歳くらいかと思ったのだ。私が王立大学に入ったのが十六歳だったし、家庭教師が必要と聞いたのでてっきり妹君もその位かと思い込んでいた。

「王都の皆様はそのようなお歳から学校へ行くものなのですか?」

「早いものは十歳くらいからでしょうか。私もその位に入学しています。他の公爵家や伯爵家なども同じようなものでしょう。特に男子は皆、大学に行く前の基礎教育を受けるために初等学校や中等学校へ入るのですよ」

「そ、そうなのですね。申し訳ございません、浅学なもので……」

「お気になさらず。貴女は大学から入学したというのに、並みいる貴族の子息たちを退けて首席となった。素晴らしいことです」

 公爵という人物は、人心掌握に長けているのだろうか。卒業の祝賀会で向けられた妬みの記憶もまだ新しいが、彼が発する誉め言葉には嫌味な感じがなくて照れてしまう。兄君の隣では可憐な妹君がこくこくと頷き続けている。

 いやあ、と上手く笑顔を作れないまま、私は頬を掻いた。しかし話はそこで終わるはずもない。公爵は微笑みながら隣に座る妹の肩に手を添えた。

「まあそういった貴族家の例に漏れず妹もまずは初等学校への入学手続きをしたのです。人見知りといえども初等学校の一クラスは少人数だから何とかなるのでは、と。しかしそこで一つ問題が発生してしまいまして」

「問題、とは?」

 それがですね、と公爵が前置きをすると、妹君がますます顔を赤くしてうつむいてしまう。何となく予想はついた。

「我が家の血筋なのか学問は好きなようなのですが、学校の教師陣はみな男性の学者ですし、同級生になる者も良家の子息ばかり。勉強したい意欲はあっても、教室に入れなかったのです」

「……そう、でございましたか……」

 やっぱり、という言葉は飲み込んだ。

 教育を受ける必要があるのは男だけだ、というのはこの国に根強く残る考えだ。田舎に比べれば王都はまだ先進的な考えを持つ者も少なくないだろうけれど、それでもわざわざ女が勉強しなくても良いという風潮はある。その風潮がある故、学校というところ自体はいくら女にも解放されていると言われていても女子生徒の姿は少なく女性教員の数などゼロに等しい。

 教室に行けば周りはすべて男という環境も珍しくないのである。

 男爵領で農繁期に領民の手伝いをしていた私でさえ、同年代の男の子との距離が近すぎて戸惑ったときもあったくらいだ。もちろん、田舎娘だからといって排除されかけたこともある。公爵家の姫という深窓の令嬢には、その環境は耐えられないものかもしれない。

「それは、さぞお心残りでしょう……」

 入学当初のことを思い出し、ついしみじみと呟いてしまう。気持ちは分かる。勉強したいだけなのに、その環境に入れないというのは辛いだろうし、悔しいだろう。その声がアメリアの耳にも届いたのか、ぴょこんっと跳ねるように顔をあげた。

 伏せられていた目がこちらに向けられると、それがきらきらと澄んだ青色と分かった。共感が得られたと思って安心したのか、顔の赤みがやや引いたように見える。落ち着いてよく見て見れば、理知的な光を帯びた瞳はただの人見知りで奥手な少女というだけではないと感じられた。

「妹は公爵家の令嬢として、この先は国の政などにも関わっていくでしょう。その際に教養は絶対に必要となります。そこで学校に行くことは難しくとも、王家のように家庭教師をお願いすることを検討しました」

「それで私に……」

「先日、学長にご相談に上がった際、貴女を推薦されました。大変熱心で優秀。集中すると寝食も忘れて机に向かいすぎるほどだと……」

「え!」

 まさかそんなことを学長がご存知とは。今度は私がうつむく番だ。かあっと頬が熱くなり、耳までその熱が伝わってくる。

「妹はこのように内気ではありますし、兄の欲目もありますがよそのご子息と比べても十分優秀でやる気もあります。初等学校で学ぶ内容を教えてやってはいただけませんか?」

「……お……おねがいします……!」

 ここでついにアメリアが口を開いた。まだ十一と言われれば確かにと感じる幼さを残す声音で、緊張が手に取るようにわかる口調だ。しかし顔を真っ赤にしながらも、彼女は両拳を胸の前で握り締めて立ち上がった。

「わたくしも勉強を続けたいのですが、情けないことに、どうしても……どうしても学校には行けないのです……。教室に入ろうとすると足が竦んでしまって……」

「お気持ち、わかります。私も初めはそうでした。公爵家のご令嬢であれば、無理もございません」

「兄に教わるにも公務に差し支えてしまいますし、それでは国王陛下にもご迷惑になってしまいます。先生のお噂を伺い、わたくしから是非お願いしたいと兄に我儘をいったのです」

「我儘ではございません。学びたいと思うお気持ちこそご立派です。私で良ければ、ぜひお手伝いをさせてくださいませ」

「本当ですか! ありがとうございます! お兄様、ありがとう!」

 少女の顔がぱっと輝いた。いやもう、比喩でもなんでもなく、ぱあっとお日様が差し込んだように彼女の周りだけが明るくなっているようだ。必要以上に固くなっていたのは、断られるかもという恐怖もあったのかもしれない。

 もともと受けるつもりでいたが、アメリアの熱意に圧された。条件を聞く前に承知した私に対し、公爵は驚いたような、それでいて不敵な笑顔で頷いたのだった。

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