第3話 十五年先の悪夢の記憶①

「ヅィックラー男爵令嬢、エルネスタ・エマ・ヅィックラーを反逆と密通の罪で斬首とする」


 夜が明けきらぬうちに連れてこられた刑場で、声も高らかにそれを告げたのは信じられないことについ昨日まで愛を囁いていた人の唇だった。いや、昨日どころではない。昨夜も甘く蕩けそうな言葉を浴びせながら、私に誕生日の首飾りを付けてくれたではないか。

 しかしゆるく波打つ艶やかなはちみつ色の髪の下で私を見る青い瞳は、まるで知らない人のもののようだ。

 ――アルベルト・レンバー。この国の第一王子にして近い将来王位を継承する方は冷たい目で私を一瞥すると、くるりと背を向けた。

「で、殿下! これは一体どういうことでしょうか!」

「この国の聖女ともあろう君が、まさか国の転覆を謀っていようとは。とても、残念だよ。ユリウスの言う通り、相当な悪女だったというわけだ」

「反逆など、私はなにも……濡れ衣です、殿下!」

「聖女の身分ははく奪。もちろん君との婚約は破棄する」

「待ってください! 理由を! 理由をお聞かせください! 私は反逆など企んではおりません!」

「理由など、君自身の胸にでも聞きたまえ。既に隣国の密偵と通じていた証拠はこちらがつかんでいる。晒し者にされないだけありがたく思ってもらおう」

「そんな事実はありません! 殿下!」

「全く、国を挙げて育てあげた聖女もどきに裏切られたなど、王家の恥もいいところだ」

「待って! アルベルト様!」

 裁判もなく、観衆もいない刑場で告げられた、身に覚えのない「反逆」、そして「密通」。日頃は丁寧に接してくれていた衛兵に肩を掴まれ、地に押さえつけられながら私は必死に叫んだ。自分の銀色の前髪が邪魔をして彼の姿が見えなくなっていく。

 昨夜の優しい面影はなんだったのだ。これは悪い夢なのか。両目からぼろぼろと涙がこぼれ止まらない。頬を伝うしずくは、刑場の砂に黒い染みを作っていた。

 けれど王子は振り返ることはなく、そのまま私からどんどん遠ざかっていく。その向こうに、いるのは二人の男女だった。

 一人は背が高く、短く黒い髪の下に見える漆黒の瞳で私を睨みつけている男性。王子と同じく、いやそれ以上に氷のような視線を投げつけてくる。そしてもう一人は小柄な少女だ。少女は透けんばかりに白く輝く髪を揺らし、淡い黄色ドレスを着て不安そうな面持ちで立っていた。

「マルガリータ! どういうことなの? お願い、教えて!」

 お姉さま、と彼女の唇が動いたように見えたけれど、それはすぐに王子の肩で隠されてしまった。王子がマルガリータの細い腰に手を回していると気が付いた瞬間、全てがつながる。


 ――捨てられた。


 この国では代々、聖女は五年の任期を全うすると交代する。二十五歳の誕生日を迎えて引退をすることになった私の後継にと育てられたマルガリータは、とても優秀だった。聖女候補生としての証しも早く発現したせいかまだ十五歳だ。つい先日、候補生が王家の方々に謁見したとき、マルガリータの緊張した面持ちが特に初々しいと話題になっていた。

 その若く、美しい聖女候補生を王子が見初めたのだ。

 ああ、と私の全身から力が抜ける。なんと儚いことだろう。幼いころから十年も聖女としての教育を受け、この国のためになるのであればと五年の任期を全うしたというのに。王子と出会い、ゆくゆくは王妃にと望まれていたというのにこれほど簡単に捨てられてしまうとは。

 抵抗を止めた私の肩を抑えつけていた衛兵が、斧を振り上げた――。




「うわああああ!」

 どすん、と体が揺れた瞬間、私は絶叫して跳び起きた。

「お嬢様? エルネスタ様、どうされました?」

「……え?」

 私は自分の頭を押さえた。

 つながっている、身体と、首が。はらりと顔にかかった銀色の長い髪がくすぐったい。ということは感覚があるということだ。

 斧で落とされたはずなのに、とあたりを見渡せばそこは見慣れた自室だった。でも、王宮の一角にいただいた聖女としての豪華な部屋ではない。そして実家の古めかしい調度品が置かれた部屋でもない。

 座っているのはベッドの上だけれど絹ではなく麻のシーツの上だし、天蓋から何層も垂らされたベールがない。窓に面した木製の机の上には何冊も本が積まれているし、壁にもぎっしり本が詰め込まれている。

 レンバルト王国の城下にある、王立大学校寮の自室だと気が付くのに時間はかからなかった。

 またあの悪夢だ。

 盛大にため息を吐くと、お嬢様とまた声をかけられた。見上げればそこには中年というにはやや若い、よく知ったハンナという侍女の顔があった。

「寝ぼけてるんですか? 嫌な夢でも見ました?」

「……まあ、例のやつよ」

「ああ、あの、聖女になったお嬢様が王子殿下の婚約者になって捨てられるってやつですか?」

「そ。斬首の瞬間に目が覚めるのって、いやな気分だわ」

 それは嫌ですねぇ、とハンナはあまり興味なさげにテーブルのコップへ水を注いだ。小さなころから世話をしてくれる侍女だから、もう私がこの夢を幾度となくみて飛び起きていることを知っている。聞き飽きた、ということだろう。

 十歳のころにこの夢を見てわんわんと泣いた時から数えてもう十年。人生の節目ごとに蘇る悪夢の話など、耳にタコができると言われてもしかたない。私も毎回、起きる度に嫌な夢だったと言って話を終わらせる。

 そもそも、父は貴族とはいえその位階でいえば男爵でしかない。貴族の中でも身分が低い男爵家の娘が王子殿下の婚約者になるなど、たとえ聖女試験に受かったとしてもありえない。そして現在の私は、聖女ではなくただの大学生だ。

 でも――実はハンナにも、もちろん両親にも告げていないことがあった。

 この夢が、私の前世の最期だったということを。

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