第4話 十五年先の悪夢の記憶②
初めてこの夢を見た翌日、私はベッドの中で震えながら前世の全ての記憶を思い出していた。
ヅィックラー男爵令嬢、エルネスタ・エマ・ヅィックラーは十歳の誕生日に聖女の条件であるあざが発現し、聖女候補生となって試験に受かった。修道院で候補生たちと一緒に修行をすること十年。そして二十歳でこの国の聖女に任命された。
日常的な祈祷や占い、そしてこの国を守るための儀式を執り行い五年の任期を終える間際に王子に見初められ、そして婚約をしたのだ。
しかし甘い日々は続かなかった。聖女とはいえもともとは身分の低い男爵家の娘である私に、王家の方々も他の貴族の方々も良い顔をしなかった。そんな中でも王子は私を守ってくれていたが、裏切られ、二十五歳の誕生日の翌日に反逆罪で処刑された。
これが前世の記憶。
これがただの悪夢ではない証拠はすぐに見つかった。震えながら自分の右の内ももを確認すると、そこには前日までは影も形もなかったのに、聖女候補生となる少女たちに発現する特徴的な花の形をしたあざが浮かび上がっていたからだ。夢で見た、大人の身体になった自分のももにあったあざと全く同じものが。
つまり、信じられないことだけれど二十五歳で殺されたはずの私は、十歳のころに戻って生き返っていたのだ。
もう一度、人生をやり直せると思ったのもつかの間だ。私の体は恐怖に震えた。あざが見つかったら聖女候補生にさせられてしまう。そして聖女となり、また二十五歳で処刑されてしまうかもしれない。
そんなことはもう嫌だ。私はきちんと生きたい。
そう思った私は、すぐさまそのあざを隠した。幸いなことに内ももの付け根に近いところにあるあざだったから、服や下着をかなり上まで捲り上げられなければ見つかることはない。その日から私が一人で着替えるようになり、それまですべての着替えを手伝ってくれていたハンナは驚いて褒めてくれたっけ。
私はそうっと下着の上から内もものあざに触れた。結局これは消えてはくれなかったけれど、私は今こうやって聖女候補生になることもなく生きている。
「お嬢様、今日は昼から卒業式と祝賀会ですよ。これでようやく、お嫁入り先をきめることができますわね」
「ようやくって、私、男の人と結婚する気はないっていってるじゃない」
「そういうわけにはまいりませんでしょう。男爵家のお嬢様が、いつまでもおひとりでふらふらとしているなど、妙な噂話の元になりますよ」
「私、まだ二十歳なんだけど?」
「もう二十歳、でございますよ。全く。ただでさえ勉強好きの変なお嬢様と言われているのに」
「そんなこと言うの、ハンナだけよ?」
「いいえお嬢様。領地の者はみんな噂しておりますよ。頭がいいばっかりの女は男の方に生意気だと思われ避けられるんですから、帰ったら本など読めないふりをなさいませ」
ハンナはぶつくさ言いながら私にコップを差し出した。自分が十五、六で結婚し子どもを五人育てたという彼女にとって、好き好んで大学で勉強している私は理解しがたいのだろう。男爵領のある地方では、これが当たり前の価値観なのだから分かってもらえなくても仕方ない。
聖女にならないのであれば、あまり裕福とは言えない男爵家の娘である私には将来の選択肢が少なかった。どこかの家柄が釣り合う貴族のご子息と結婚し家に入るか、あるいは夫を迎えて父の領地経営の手伝いをするか、というのが一般的だろう。どちらにせよ、男の人の妻となって家にいる生活になる。
それはたまらなく嫌だった。
家に入ってしまえば何をするにしても父や夫の言うことを聞かなくてはいけない、家を切り盛りしなければいけない。前世において最期は悲惨なものだったとはいえ、それまでの修行の日々や聖女としての仕事をしている日々が充実していたことを知っている私にとって、家の中に籠るというのはたまらなく退屈に見えたのだ。
だから私は必死に勉強をし、父に無理を言って十六歳のときに王立大学校に入学を果たした。
勉強をして大学を出れば、女であっても国の公務を担う官職に就ける。良い成績で卒業できれば、希望の部署に就けるかもしれない。
そう思ってがむしゃらに勉強をした。それこそハンナが変人を見るような目で私を見ていても必死に勉強をした結果、私は王立大学校の首席として今日、いよいよ卒業できることになったのだ。
前世の頃の記憶が蘇ったおかげで、読み書きも計算も、歴史も科学的な知識も蓄えがあったのが幸いしたのは確かだけれど、それでも今生でもたくさん勉強はしたから良いのだ。
私はハンナのくれた水を飲み干すとベッドから立ち上がった。
「卒業式に着ていく礼服は準備できてるかしら」
「お父上様から、数日前に届いていますよ。奥様がお召しになったものを直したものだそうです」
「分かったわ。それに着替えます」
「では私は朝食をお持ちしますね」
そう言うとハンナは部屋から下がった。とはいえ、大学寮の食堂からちょっとした軽食を持ってくるだけだろう。今日で食べ納めと思うと感慨深いものがある。好物の卵料理があるといいなぁと思いながら、私はその間に寝間着から礼服の下にきる下着に着替えた。
礼服は母のものを直したというだけあって、デザインがやや古いが長く着られるようにという祖父母の思いもあって上品な誂えだ。コルセットをずり落ちない程度の緩さで絞め、控えめなパニエの上にスカートを重ねる。ぎゅうぎゅうに絞めたり、パニエでスカートを広げたりしてスタイルを良く見せるのは苦手だから、本当に簡単なものだけを重ねて上に礼服を羽織った。
そして鏡を取り出し、顔にもほんの少しだけ化粧をする。薄く、薄く眉を描き、ほんのちょっとだけ頬に紅をさした。連日遅くまで勉強を続けていたおかげで目の下の肌にはうっすらとクマが浮かんでいた。もちろんそれを隠――さない。むしろもっとどんよりした顔色に見せたいくらいだ。
ただでさえ銀色という珍しい髪色なので、体型も、顔の造形もあまり目立たせたくないのだ。
自分で言うのもなんだけれど、未来の私は聖女になって王子に求婚されただけあって二十歳の現在もそれなりに美しく育ってしまっていた。だからこそ、ひっそりと生きていきたい。ハンナなんかはいつも勿体ない勿体ないというけれど、下手に目立って高貴な人に見初められたらと思うと恐ろしい気持ちの方が勝る。
私が鏡に映る自分の顔の出来栄えに満足していると、ドアが開いてハンナが朝食を運び入れてくれた。案の定、彼女は私の顔を見るとがっかりしたような表情を浮かべていた。
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