第6話 逃げ足の速いお化け

 俺が与えられた部屋は、ベットと机だけの簡素な部屋だったが、洗面所と手洗いがある待遇の良さだ。

 これが発情期中は大変便利で、何度も雇用主に感謝するぼどだった。


 日中は抑制剤のおかげで自制できているが、夜中になれば自慰を繰り返してしまう。

 発情したオメガはアルファの精を求めて、何もしなくとも勝手に性器が勃ち上がり、後孔が濡れ始めるからだ。


 俺はオメガの本能を憎んでいる。 

 やはり、カスパーが成長したら、番がいない俺が護衛を続けるのは、難しいのかもしれない。

 抑制剤を飲んでも、かすかに匂いはするらしいから。

 

 アルファと番契約すれば、オメガのフェロモンは番にのみ認識できるようになる。

 番さえできれば、カスパーに俺のフェロモンはわからなくなるということだ。


 できれば、六年後もカスパーとマイネの側にいたいが、恋愛に関しては自信がない。


 すっと熱が冷めて四日間の発情期が終わる。

 発情期が終わると、俺は決まって嫌悪感でいっぱいになるのだか、これも番がいれば解消されるのだろうか。


 




 


 夜間の警護は近衛騎士が交代で見張るため、俺は緊急時以外は必要ない。

 俺の勤務時間は、夕食前までだった。


 勤務が終わって、調理場に夕食を取りに行くと、侍従長のジョイに呼び止められる。

「急なんだか、今日は夜勤もしてくれないか?その代わり、明日は休んでくれていい」


「どうかしましたか?」

 俺が訊くと、兎獣人のジョイの耳が忙しなく動いた。


「ルシャード殿下が、珍しく早く帰宅されて、今夜はマイネ様と二人で過ごされたいと……カスパー様を預かってくれないか?」


「あぁ、なるほど」

 俺は曖昧に頷いた。


「明日は、ルシャード殿下が休日らしいから、カスパー様を連れて遊びに行くそうだ。近衛騎士がつくそうだから、明日は休んでくれてかまわない」

「わかりました」


 今日の夕食は、魚のフライと具沢山スープとチーズパンだった。

 俺はカトラリーとコップもトレイに乗せて、自室まで運ぶ。

 

 夕食を一人で食べてから、カスパーの部屋に向かうと、まだ食事中らしく誰もいなかった。

 しばらく待っていると、廊下を走る小さな足音がする。


「ゲリン!フクロウ、見たい!」

 カスパーが扉を開けて入ってくるなり言い募った。


「梟?」

「王宮、住んでるって。父上、教えてくれた。ゲリンと、探して、いいって、言われた」 


 マイネと二人だけで過ごしたいという罪滅ぼしのつもりなのか、ルシャードは王宮に住む白い梟の話をカスパーに教えたらしい。


「今からか?」

「そう!フクロウ、夜しか、動かない。父上、言ってた」


 ジョイにフクロウがいる詳細な位置を尋ねてから、ランタンを手にして敷地を出る。

 白い梟は、王宮の西にある森に面した小道に巣を作ったらしい。


 外はすでに暗くなっていた。

 政務宮の方だけ仄かに明るく、人影がまばらに見える。


 そちらとは逆の方向に進むと、暗くて人影もなかった。

 ランタンの灯りで足元を照らしながら歩いて行くと、俺の右足にカスパーがしがみつき歩きにくくなる。


 恐々と歩くカスパー。

 カスパーの足がぴたりと止まった。


 うす暗い小道に、ぼんやりと髪の長いすらりとした立ち姿が見える。

 胸に届くほどの長い髪で顔を隠し、女か男かもわからない。


「おばけ!」

 カスパーが恐怖で肩を震わせて叫ぶと、俺に飛びついて顔を隠した。


 確かに気味が悪い格好をしているが、あれは幽霊ではないはず。


 お化けから「あっ」と、小さな呟きが聞こえる。

 男の声だ。


 お化けは両手と首を必死に振って否定した。

「ち、違う」


「喋った!」

「カスパー。あの子は生きてるよ」

 

 俺とカスパーが足を進めると、お化けは後退り距離をとる。


「どうして、逃げるの?」

 カスパーが訊く。


「……君は誰?」

 辛うじて聞き取れる、か細い声だ。


「僕、カスパー。フクロウ、探してるの」

「それなら、あっち……大きな木」


 お化けが幹が太く枝を広げた大木を指差した。

 すると、葉っぱが揺れる音と羽ばたく音が重なる。

 太陽が沈んだ夜の暗闇の空に、翼を広げた白い鳥のシルエットが浮かんだ。

 今のが梟か。


「逃げちゃった?」

「夜行性だから、この時間は餌を求めて狩りにいくんだろう」

 

 飛び立った梟が消えるまで夜空を見上げ、視線を地上に戻すと、お化けのいた場所には忽然と誰もいなくなっていた。


「おばけも、逃げた?」


 逃げ足が速いお化けだ。

 まったく音もしなかったのも驚く。

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