第2話 宰相補佐官レイ
ルシャードの執務室を出て、いくつもの扉が並ぶ廊下の前方に秘書官ハンの姿があった。
四十過ぎの人間で、十年以上もルシャードの公務を側で支えるベータの男だ。
不意にハンの隣にいる黒髪の男と目が合う。
その男は、オリーブ色の瞳に眼鏡をかけた文官だった。
政治を行う場所である政務宮は、制服の色で文官か武官か見分けがつき、俺は武官のダークグリーンの制服で、ハンと眼鏡の男がダークグレーの文官の制服を着用していた。
この男はアルファだ。知りたくもないのに、フェロモンでわかってしまう。
難関試験に合格した者のみに許される狭き門の政務宮文官は、地位のある役職になればなるほどアルファが多くなる。
「こんにちは。新しく入った護衛の方ですよね?はじめまして、私は宰相補佐官のレイ・キルヒアイスといいます」
男は耳障りの良い、低音のしっとりとした声だった。
口角を上げて笑ったつもりのようだが、眼鏡の奥の目は全然笑ってない。
どことなく近寄り難い印象だ。言葉も表情も優しげなのに。
実直そうな容姿と文官らしくないしっかりとした身体で、物腰の柔らかさを備えている。
見た目は三十歳前後だろうか。
「金ノ宮の護衛の任務をしております、ゲリンです。よろしくお願いします」
俺は丁寧に挨拶を返した。
「ルシャード殿下のご子息と一緒にいるところを何度か遠くから見てました。以前からご挨拶したいと思っていたのです」
「……そうでしたか」
王宮で働くオメガは極端に少なく、文官にも武官にも存在しない。
好奇な目で見られても仕方がないとはわかっているが、まだ慣れなかった。
レイも悪気はなく、珍しいオメガに目を向けただけだろう。
ハンが俺達の間に入り、補足で言い添える。
「レイ様は補佐官と兼務でマイネの妃教育をしてもらうことになったんだ」
「妃教育ですか…」
初めて聞く馴染みのない言葉に、俺は瞬きをした。
「マイネも王族の仲間入りだからね。徐々に公務をしてもらうことになる」
「金ノ宮で教えるのですか?」
王宮の奥には、王族の住まいとなる宮がいくつか点在し、金ノ宮もその中の一つだ。
金ノ宮は、王弟ルシャードが所有する宮で、政務宮とは渡り廊下で繋がった比較的近い位置にある。
住み込みという形で雇用されている俺も、金ノ宮の部屋を宛てがわれていた。
「そのつもりです。何かとゲリンさんともお会いする機会がありそうですね」
そのようだ。
番を探せと横柄に言ったルシャードが、マイネの妃教育に選んだアルファ。
ルシャードのお墨付きってことだ。
俺の番にもぴったりなんじゃないのか、と勝手に考える。
しかし、あのルシャードが、番のいないアルファをマイネに近づけるとも思えない。
レイには、すでに番がいるのかもしれない。
オメガならば、うなじに歯形があれば番がいるとわかるが、アルファは身体的には番がいるかどうかわからない。
「来週から金ノ宮に行きます。どうぞよろしく」
レイはそう言うと、ハンとゲリンに頭を下げ「それでは失礼」と背中を向けて去っていく。
姿勢のよい後ろ姿を見送りながら、俺は何気なくハンに訊いた。
「あの人、アルファですよね?既婚者ですか?」
「あぁ、違うよ。ルシャード殿下の許しがでたのが不思議?」
「はい」
ルシャードは、オメガの俺に敵意を向けるほど番に執着している。
「まぁね、殿下は既婚者の私にだって嫌な顔をするからね。レイ様は来月に結婚が決まってるし、マイネのためになりそうな能力の高さで選んだんだと思うよ」
なんだ婚約しているのか。
「なるほど」
「授業の間は部屋の中に侍従を控えさせて、二人きりにはならないようにするから、もしマイネを虐めるような性格だったら、すぐにわかるし」
面白みはなさそうだが、人柄は良さそうだった。
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