狼オメガはアルファに溺れたい

第1話 王弟の命令

 珍しく王弟ルシャードの執務室に呼ばれた日だった。

 眼前の黄金の人と評される麗しの王弟の獣の耳が、ぴくっ動くのを俺はなんとなく眺める。


 俺もルシャードも、三角の耳と尻尾が尻に生えている獣人。

 俺は狼獣人で、ルシャードは王家にしか現れない貴重な翼を持つ聖獣人だ。

 聖獣の王が統治するアンゼル王国では、獣人と人間の二種の種族が存在する。


「六年後、お前に番がいなければ、カスパーの護衛役を辞めてもらう」


 挨拶もぬきに告げられた雇い主の言葉は無情なものだった。 


「はあ」

 俺は気の抜けた返事をするしかなかった。

 またか、と思いながら。


 カスパーとは俺が護衛をしている四歳になる男子で、王弟ルシャードの一人息子だ。

 訳あって一ヶ月前にルシャードの実子と認められ、王族に加わったカスパーは、王宮で豪華な生活を開始したばかりだった。


 男女の性別の他に、アルファとベータとオメガというバース性があり、十歳になった全ての男女が血液検査を行い、自身のバース性を知ることになる。

 秀でた知力体力に恵まれたアルファ、凡庸で一番多いベータ、希少なオメガ。 


 三ヶ月周期で発情期が起こるオメガは、媚薬のようなフェロモンでアルファを誘惑する厄介な体質で、男でも直腸の奥に子宮があり出産が可能だ。

 

 俺は、そんなオメガだ。

 男オメガであることが判明してから、何度、自身に失望したかわからない。


 だから、ルシャードの言葉を受けて、またかと思ったのだ。

 

「それが嫌なら、誰かと番契約をしろ。カスパーが十歳になった時、未熟なアルファの近くに発情するオメガが、いることがどんなに危険かわかるだろ。間違いがあっては困る」


 番契約とは、アルファとオメガのみの関係で、うなじを噛むことによって成立する。

 番になったオメガは、そのアルファのみに発情し、唯一無二の存在となるのだ。


 確かに、ルシャードの発言は正しく、十歳を過ぎた獣人は程なく獣型に変化できるようになり、本能が目覚める。

 俺も経験上、知っている。


 俺が黙っていると、ルシャードは無表情で続けて言った。


「幸い王宮には、アルファが多いことだし、六年もあればなんとかなるんじゃないのか?」

 

 六年が短いのか長いのかわからない。

 だが、三十年間生きてきて、未だに番どころか恋人もいない俺にとっては、多分、短いんじゃないのだろうか。


 しかし、アルファに出会う機会が少なかったからだとも言えなくもない。

 アルファは優れた才能の持ち主である故、高貴な身分に多い。


 ルシャードが返事を待つように口を閉じたため、俺は無駄な抵抗をしてみる。

 

「薬剤師のリサはアルファですが、ベータと結婚したため番はいません。俺がアルファ以外と結婚した場合、番になることは不可能ですが、その場合はどうしますか?」


 オメガとベータが愛し合っても番にはなれない。

 

「……狼はアルファが嫌いか?」

「好きでも嫌いでもないです。可能性の話をしてるだけです」


「それなら、アルファから選べばいい。あぁ適当に選ぶなよ。マイネが悲しむことはするな」


 ルシャードは俺が考えたことを読んだように忠告した。


「はあ」


 どうしたものかな。

 ルシャードの妃である男オメガのマイネと俺は旧知の仲で、カスパーが産まれて間もない頃から知っていた。


 カスパーの護衛を頼もれたのもマイネからだ。

 一度は断ったものの、自身の意思でカスパーの護衛を望んだ。


 六年後、俺に番がいなければ、一番多感な時期のカスパーを誘惑するかもしれないと考えれば、自身のオメガのフェロモンに嫌悪する。

 ルシャードに言われなくても、わかってるさ。


「話はそれだけだ。下がっていい」


 ルシャードが顔を机上に向けたところで、俺は退出する。

 番であるマイネを愛でる時とは、別人のような傲慢で冷淡なルシャードだった。


 扉を開けたところで、呼び止められた。


「ゲリン、待て。この話はカスパーとマイネには知られるな。良いな?」

 ルシャードは、少しばつが悪そうに言い放った。


「はい」

 俺は、素直に頷いて執務室を後にする。


 マイネが聞いたら、どんな反応をするのか、ルシャードにはわかっているのだろう。

 マイネは怒るのか、悲しむかどちらかだろうな。


 六年後に、俺に番がいる想像ができないけど、大丈夫だろうか。 

 誰でもいいかと、思ったが、試しにルシャードで想像してみたら、ぞっとして虫唾が走る。

 やはり、誰でもいいわけじゃなさそうだ。


 俺に番を作れと簡単そうに命じたルシャードは当然アルファだ。いい気なものだ。


 俺の外見は、身長が高いものの、女のような容姿で美しい部類に入るらしい。

 そして、陶器のような肌の下には、日々の鍛錬によって引き締まった筋肉が隠され、男女問わず褒められる見た目をしているらしい。


 だから、アルファの一人や二人なんとかなるだろって誤解されては困る。

 本当に困る。


 俺は、未だかつて、それほどまに深く求め合う関係になったアルファがいない。

 ただ、唯一、好きになったアルファならいた。


 発情期ごとに寝るだけの恋人になることもなく、始まることもなく終わった彼に、俺は再会したばかりだった。

 王宮で暮らすと決めた時に、王族の彼と再会するのは必然だった。

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