第37話 ルシャードの溺愛②

 ルシャードの部屋に食事用の丸いテーブルと椅子を三脚、運んでもらっているところに、扉をそっと開けるカスパーが現れた。


 マイネの姿を探しているようだが、まだ着替え中で部屋にはいない。

 ルシャードと目が合うと、はっとした顔をして「おはよう、ございます」と朝の挨拶を口にした。


「おはよう。入っていいぞ」

 ルシャードは、できる限り怖がらせないように柔和な表情を作った。


 逡巡しながらカスパーが、部屋の中に入る。

 距離を計りかねるように、おずおずと近寄るカスパーにルシャードは話かけた。


「昨日は、マイネがいなくても眠れたか?」

「うん。僕の部屋で、ゲリンと、寝た。でも、お父さんと、一緒が、いい」


 カスパーの寝室はマイネの部屋の真下に位置し、階段で繋がっている。

 だが、昨日の夜は、マイネと二人だけで過ごしたいと願ってしまった。


「そうか。俺も一緒でもいいか?」


「ルシャード様も、一緒?」

 カスパーが小首を傾げる。


「俺もマイネと一緒がいい。だから今日から三人で一緒に寝よう」

 ルシャードが、そう言った時、マイネが寝室側の扉を開けた。


 会話が聞こえていたようで、照れたような笑みをこぼしている。


 カスパーが駆け寄り、マイネの膝に抱きつく。

「お父さん、おはよう!」


 マイネは「おはよう」と返すと、用意させた椅子にぎこちない様子で座った。


 昨日の夜は、久しぶりの行為に夢中になりすぎた。

 ルシャードは反省しながら、マイネの右隣の席に座る。

 

「お父さん。ルシャード様と、三人、一緒だって」

 無邪気なカスパーに、マイネは笑った。


「そうだな、これからは三人だな」


 カスパーもマイネの左隣、ルシャードの正面に着席すると、不審げな顔をする。

「あれ?お父さん、匂いが、変わった?」


「本当?ルシャード様と番になったから、アルファのカスパーからもオメガの匂いが消えたんじゃないかな」

 マイネはうなじに手を伸ばし、確認するように印を撫でた。


 マイネのフェロモンの匂いがわかるのは、番のルシャードだけだ。

 その事実にルシャードは、独占欲が満たされた微笑みと安堵の息を吐く。


 ワゴンを押すメイドが、朝食を並べて部屋を出ると、食事を開始した。

 三人だけで食事をするのも会話をするのも、初めてだとルシャードは気づく。


 昨日の夕食は、お祝いと称した食事会で、ハンやダイタやゲリンや騎士団を招いた賑やかなものだった。


 カスパーの皿だけ食べやすい大きさにカットされた盛り付けに、料理人の配慮に感心する。

 幼い子供と生活をしたことがないルシャードには、わからない気配りだ。


 カスパーは、マイネのように美味しそうに大きな口を開けて食べる。

 ハムを食べて嬉しそうに目を細めるところとか、そっくりだ。


「美味しいか?」

「うん」

「カスパーの好きな食べ物はなんだ?」

「フワフワのパンと、カチカチのパン。お父さんの、サンドイッチも、好き」


 マイネのサンドイッチか。

 いいな、食べてみたい。


「あと、このハム、好き!」

「そうか」


 マイネも言い募る。

「相変わらず美味しいですね。俺もこのハム好きです。ハム食べたら、王宮に帰ってきたって懐かしく思いました」


 そうか。ハムを食べて思ったのか。

 ハムに負けたような気がして、思わず笑った。


 カスパーもマイネも、頬を膨らませて食べている。

 可愛さが二倍増しだ。


 マイネに似た子もほしいな、と不意に思った自身の思考に驚く。

 子供は苦手だったはずなのに。


 ルシャードが思い描いたこともない、幸せな朝の風景があった。


「カスパーの部屋に足りない物があったら、言ってくれ」

 紅茶を飲みながら、ルシャードは訊く。


「いろいろ用意してくれてありがとうございます。俺、聖獣のことを知りたいんですが、本とかありますか?」

 マイネが答えると、カスパーの瞳も輝かせている。


「何が知りたい?王家の血を引く獣人が聖獣になることは知ってるだろ」

「いつ、なれる?」

 カスパーは早くなりたいようだ。


「一般的な獣人と一緒で十歳ぐらいで獣型に変化できるようになる」

「すぐ、飛べる?」


「これには個人差がある。あまり知られていないが翼があるのに飛べない聖獣もいる」


 末の弟は、聖獣なのに飛べない。

 引きこもりで、式典も出てこなくなって六年ぐらい経つ。


「え!」

 マイネもカスパーも驚いている。


「だから飛べるようになる年齢はわからない」

「ルシャード様は、いつ、飛べた?」

「わりとすぐ飛べた」


 飛んだ日の記憶は、よく覚えている。

 急に、背中がぶわっと浮き、空高く舞い上がっていた。


 それよりも。

「カスパー、これからは俺のことを父上と呼んでほしい」

 

 父親なのだがら父上と呼んでほしい。

 何も間違ったことは言っていないはずなのに、緊張して、じわりと背中に汗を感じる。


「父上?」

 カスパーが初めて覚える言葉だった。


「あ…あぁ、それでいい。そのうち慣れるだろう」

 

 ルシャード自身も、何度も呼ばれるうちに父親になったと実感するはずだ。


 マイネが袖で目元を拭き、どきりとする。


 涙目になったマイネの顔を、カスパーが覗き込んだ。

「お父さん、泣いてる?」


「なんだろな……嬉しすぎたかも」

 マイネは笑いながら、涙を滲ませた。

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