第15話 隣国の王女
マイネが事務官になり四ヶ月が過ぎた。
ルシャードが選んだ花瓶は、寄宿舎の窓際に置くと、殺風景だったマイネの部屋は居心地が良くなった。
花瓶にはルシャードから貰った枝いっぱいに咲いた白い花とオティリオから貰った鈴のような青色の花が飾られている。
聖獣が羽ばたきそうなオブジェはチェストの上にあった。
聖獣はマイネの独り言を聞いてくれる。
今日も「行ってきます」とオブジェに言って、寄宿舎の部屋を出て仕事に向かった。
相変わらず、ルシャードが執務室にいる時間は少なく、顔を合わせない日も多いが、王都に遊びに行って以来、ルシャードに声をかけられることが増えた。
二日前も鍛錬場で近衛騎士ともに汗を流すルシャードの姿を遠くから眺めていると、不意に目が合い「マイネ!」と呼ばれたかと思えば、「もっと近くで見ていけ」と言われ驚いた。
マイネも緊張が溶け、ルシャードとの会話を楽しんでいる。
金ノ宮の会食はルシャードの多忙により、まだ実現できてないが、金ノ宮の侍従が焼き立てのアップルパイを執務室に持参したことがあった。
とてもいい香りの林檎とサツマイモのパイは、ほのかに甘くルシャードも好きだと侍従から教えてもらった。
オティリオからは「また王都に行こう」と何度か誘われることがあったが、都合が合わず行けていなかった。
朝日を浴びる政務宮に出勤し、いつもの扉を開けると、部屋の中に珍しくハンの姿があった。
寄宿舎に住むマイネより、ハンが早く到着していることはあまりない。
「おはようございます。今日は早いですね」
「おはよう。朝早くにルシャード殿下がガッタに出かけられたから見送りをしたんだ」
ガッタは南に隣接する小国だ。
「外交ですか?」
「いいや、私用だよ。人に会いに行ってる」
「誰に会われてるんですか?」
ハンが苦渋の表情をする。
「それは極秘なんだよね。私からは伝えられない」
ちくっと胸に針が刺さったような痛みを感じた。
「よく行かれるんですか?」
「半年に一度は行ってるかな。時期がきたら公表するから、それまではごめんね」
公表するような相手ということか。
誰だろうか。
考えられるのは、ルシャードの婚姻だ。
マイネは急に息苦しくなって、握りしめた手を胸に当てた。
昼過ぎ。
マイネは盗み聞きをするつもりはまったくなかった。
ただ、前室の扉の向こうで話し声が聞こえたため、ダイタに書類を渡して戻った時に、物音を立てないように入室しただけだ。
「ルシャード殿下は王女殿下のところに行ったそうだな」
前室から知らない女性の声がする。
「はい。今日朝早くに」
これはハンの声だ。
「陛下から結婚のお許しも出たことだし、王女殿下も喜ばれるだろうな」
「そうですね。ルシャード殿下の説得がようやく実りました」
「十年かかったな」
結婚とは?
王女殿下とルシャード殿下の話か?
「王女殿下のこと公表したら、国民は歓喜に沸きますね」
「公にできなかったからね」
「ミラ様もお二人のために尽力したかいがありましたね。これでルシャード殿下も安心して結婚できます」
ハンの言葉にマイネはそっと退室した。
どうして、これほど心を痛めているのかマイネにはわからない。
ルシャードが結婚することを聞き、驚くほど傷心していた。
明らかに幼馴染みから結婚の報告を受けた時よりも動揺している。
マイネは中庭を当てもなく徘徊した後、ガッタの記載がありそうな本はないかと図書室を訪れた。
探し出した本によると情報が古いが、ガッタには現在二十五歳の王女がいることがわかった。
なぜガッタの王女のことを知りたいと思ったのか、マイネは項垂れて考える。
オティリオが隣に座ったことにも、まったく気付かずに。
オティリオの声にようやく顔を上げた。
「どうしたの?全然気づかないんだもん。僕そんなに存在感ない?」
「考え事をしてました」
マイネは目を伏せた。
その悲壮な表情にオティリオが息を呑む。
「もしかして兄上と何かあった?」
「何もないです。今日のルシャード殿下はガッタに行かれてるので会ってません。ルシャード殿下が極秘にガッタで会われてる方をご存知ですか?」
「わかるよ」
オティリオが逡巡しながら頷く。
「その方とルシャード殿下が結婚するという話を聞いてしまったのですが、本当でしょうか?」
マイネは思わず、口にしてしまった。
勘違いかもしれない。聞き違いだったかもしれない。
オティリオならば知っているはずだ。
オティリオは押し黙ると、探るように言った。
「誰が言ってたの?」
「宰相のミラ様とハンさんです」
「でも、その話が本当だとして、兄上が結婚することがマイネに関係ある?」
「……関係はありません」
「でしょ。そういうこと言うのは僕だけにした方がいいよ。まだ公表してないから、マイネも誰かに言ったら駄目だし、兄上にも知らないフリしてね」
「本当に結婚されるんですか?」
「あぁ、本当だよ」
マイネは胸の中がきゅっとひっぱられたような痛みを感じ、制服の鳩尾を掴んだ。
浅はかな自分を呪いたい。ありえない。
マイネはルシャードを好きになっていたことに、初めて気づいた。
好きだから、これほどに心が痛いのだ。
自覚をしたマイネは、ルシャードの「マイネ」と名を呼ぶ声が好きだと思った。
笑顔を向けられると、鼓動が高鳴るのは好きだからだ。
人を寄せつけない冷淡で厳しいだけの人ならよかったのに。
マイネの視界が揺れた。
感情が溢れ出し、止めることができなかった。両手で顔を覆う。
「ごめん。マイネ、泣いてるの?」
オティリオがマイネの頭をそっと自身の胸に寄せる。
マイネは首を横に振る。
魅入ってしまう黄金の瞳が好きだ。
そっとマイネを助けてくれる優しさが好きだ。
でも空の上を飛行する美しい聖獣は、マイネには手が届かない存在だった。
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