第8話 過去

 五年前。

 ルシャードが王弟と呼ばれる前、第二王子だった頃に遡る。

 ルシャードの兄ディアークがまだ即位する前の話だ。


 王都の外れで家族とのんびり暮らしていたマイネは、二十三歳になっても発情期が来る気配がなく、ベータとして宮廷で働くことを選んだ。


 王族付き事務官の試験に見事合格し、今日初めて王宮の中に足を踏み入れる。


 オメガの特徴ともいえる可憐な容姿でもないマイネは、ベータにしか見えなかった。

 十歳の検査でオメガだという判定に一番驚いたのは、マイネ自身だ。


 容姿もそうだが発情期がこないマイネは、オメガであってオメガでない、と思うようになっていた。

 だから、ベータと偽り事務官として働いても誰にも疑われないと考えたのだ。


 でも、用心しなくては。

 ここはアルファだらけだから。

 誰にもさとられてはいけない。


 護衛兵の案内に従って、宮廷内部に入る。

 マイネが天井の高さに圧倒されながら、落ち着いた青い絨毯の長い回廊を歩いていると、一つの扉の前に誘われた。


 とりたてて特徴のない扉を控えめにノックすると扉が開き「どうぞ」と男が迎え入れる。

 部屋にはその男一人だった。


「第二王子殿下の秘書官をしてるハンです。君には今日から第二王子ルシャード殿下の事務官をしてもらう。よろしく」


 ハンと名乗った男は、マイネとおなじ人間だった。

 四角い顔に赤茶色の髪で、歳はマイネよりも十歳は上だろう。


「マイネ・オズヴァルドです。今日から、よろしくお願いします」


 簡素な机が中央に並び、片側の壁に天井まで届く棚がある部屋だ。


「君の机はこっちね」とハンに示された机の前に座ると、入って来た扉とは別の扉が右側にあるのを見つけた。


「その扉はね。ルシャード殿下の執務室の前室と繋がってる。でも、殿下がこの扉を開けることはあまりないから、気楽にして。緊張してる?」


「は、はい」

「じゃあ、とりあえず、いろいろ案内しようか」


 そう言って渡された紙は、宮廷の地図だった。


「この部屋は、ここ」

 第二王子執務室と記入された箇所をハンが指す。

 マイネがいる建物は政務宮と呼ばれるらしい。


 ハンに連れ回されて食堂や図書室や倉庫を案内される。

 どの部屋も、マイネが驚くほどの広さだ。

 地図がないと迷子になるな、とマイネは思った。


「次は私のお気に入りの場所」と言ってハンが政務宮から外に出ると、噴水がある中庭が現れる。


 生い茂った草木の匂いが、マイネの緊張をほぐした。


「いいところですね」とマイネが言う。


「歩き疲れたから、ちょっと休憩しようか」

 ハンが白いベンチに座り、マイネは隣に腰を下ろした。

 

 植物に詳しくないマイネだが、奥まで続く綺麗に整えられた中庭を美しいと思った。

 噴水の水の音と鳥の鳴き声が聞こえる。


 鳥の姿を探して、視線を彷徨わせていると、通りすぎる男と目が合ってしまった。


 肩に届きそうな銀色の髪で、優しげな笑みを覗かせている。

 細めた目の色は濃い青だった。

 簡素だが一目で高級だとわかる装いが、身分の高い男だとわかる。


 ハンやマイネのような文官は、ダークグレーの制服を着用し、武官はダークグリーンの制服を着用する。

 制服を着ていない男は、王族に違いない。


 立ち上がって挨拶をするハンにマイネも倣った。


「見かけない顔だね。誰?」

 男に問われ、マイネは名乗る。


「兄上の新しく入った事務官か?」

 その言葉で、男が第三王子のオティリオだとわかった。


 確かマイネと同じ年齢だったはずだ。

 

「今度は長く続くといいね」

 オティリオが意味ありげに言うと「またね」と去っていく。

 

 事務官のことだろう。

 十一月と半端な時期に採用されたのは、前任がすぐに辞めたからに違いない。


 ベンチに座り直すと、ハンが説明する。


「ルシャード殿下には兄の王太子殿下と弟の第三王子殿下と第四王子殿下がいらっしゃる。唯一の人間が、先ほどの第三王子オティリオ殿下だよ。今みたいに気軽に声をかけてくださる」


「四人ともアルファなんですよね?」

「そうだよ」


 生まれつき才能に恵まれたアルファの四人の王子。

 王太子はすでに結婚し子もいるが、他の王子はまだ未婚だったはずだ。


 もし、万が一、マイネに発情期がきたら、王子四人にだけは接近しないようにしよう、と誓った。

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