第6話 約束してくれ
遠くの方から、車輪の音が聞こえた。
近衛騎士の制服を着た三人の獣人が、王室専用の四つの大きな車輪を引く姿は脅威の速さで近づいてくる。
獣人車がルシャードとマイネの手前で止まり、箱型の車内から男が一人降り立った。
ルシャードの秘書官を務める四十過ぎの人間の男。ハンだ。
やはり、今朝見かけたのは、見間違いではなく本人だったようだ。
「殿下、勝手に行かないでください!ひどいじゃないですか」
現れるなり、小言を言ったハンは、マイネを発見すると、駆け寄って両手を握った。
「マイネ!本当に生きてたんだね!」
ハンの目に涙が浮かび、マイネはたじろぐ。
「はい。この通り生きています」
ルシャードがハンの手をマイネから引き剥がすと、ぼそっと何か呟いた。
「元気だった?」
「はい。ハンさんも元気そうですね」
「元気じゃないよ!今日だって血吐きそうだったよ」
マイネは笑った。
ルシャードが護衛もつけず一人で行動するのは、今に始まったことではない。
「よかった。また会えるのを、ずっと願ってたよ。ずっと探してたんだ。まさかアプト領にいたなんて。攫われたとかじゃないよね?」
「違います。自分で逃げ出したんです」
逃げた理由を告げられないマイネは言葉に詰まる。
しかし、ハンは安心したように息を吐いた。
「危ない目にあったわけじゃないならいいんだ。言いたくなかったら、無理に言わなくてもいいよ。無事に会えただけで、嬉しいよ」
ハンはルシャードに視線を向けると、目を潤ませて「本当によかった」と呟く。
ルシャードが鼻を鳴らす。
「帰るぞ」
ハンが乗ってきた獣人車に三人で乗り込んだ。
獣人が引く車の中は、くつろげるほど広く、座り心地の良いベンチシートが左右にある。
ルシャードが左に座り、次にマイネが右に座ると、ルシャードに睨まれたハンが左に座った。
そして、なぜかルシャードがマイネの隣に移動する。
ハンは「寝ます」と宣言をして、目を閉じた。
ルシャードが近衛騎士に合図をすると、車輪が動き出し、なめらかに進み加速する。
「マイネ、甘いものが好きだっただろう。どこか途中で食べるか?」
ルシャードの顔が近い。尻尾も近い。
尻を動かせば尻尾を踏んでしまいそうだった。
「ありがとうございます。でも遅くなると、院長に心配かけてしまうので」
カスパーが待っている。
「そうか。病院に送ればいいのか?」
「はい。お願いします」
「では、次に来る時に土産を持ってこよう」
「次ですか?」
次があるのかと呆気に取られた。
探していたのは無事を確認したいがためだと考えていた。
「そうだ。また会いに来るからな」
ルシャードはマイネの頬に手のひらで触れた。
ルシャードは、罪悪感から言ったのかもしれない。
それでも心が弾んだ。
「少し痩せたか?」
あの人が目の前にいる。
手の届くところに存在する。
無意識に手を伸ばした。
マイネもルシャードの頬に指先で遠慮がちに触れた。
幻ではないと実感する。
ルシャードがその指を捕らえた。
引っこめようとするがルシャードは離さない。
どうして手を離してくれないのだろうかと心を乱して考えたが、わからないまま時が経ち、病院に到着した。
車輪がゆっくりと止まる。
小窓のカーテンの隙間から覗くと、病院の裏だった。
「ハン。少し外に出てろ。マイネに話がある」
ハンは「少しだけですよ」と言って、不承不承で一人だけ降りた。
座ったままの姿勢で、背中に腕を回しルシャードに抱きしめられた。
温もりに包まれる。
「もう何も言わずにいなくなるのだけはやめてくれ。消息のわかないお前を、どれだけ心配したか。約束してくれるか」
「あ、はい」
マイネが返事をすると、ルシャードの腕の力がぎゅっと強くなる。
外が騒がしい。
ハンの悲鳴が聞こえたような。
「あぁ甘い匂いが濃くなってる」
マイネもルシャードの匂いを嗅ぎ、身体が熱くなったからだろう。
「マイネ、次に俺が来た時は、一緒に王都に帰らないか?」
ルシャードは言いおえると、腕をといた。
「考えておいてくれ」
そこで、獣人車の扉が勢いよく開いた。
ハンが息を切らし、血相を変えて乗り込む。
「不審者扱いされました。邪魔してすいません。マイネ、君のとこの護衛は優秀だね」
ゲリンのことだろう。
その夜。
「お父さん、あの匂い、するよ」とカスパーに言われた。
カスパーはアルファなのだろう。
毎回、マイネの発情期を、いち早く嗅ぎ取って教えてくれる。
一カ月前に発情期が済んでいたマイネは、ルシャードに会ったことにより三カ月に一度の周期が早まったのかもしれない。
抑制剤を飲み就寝した。
マイネは抑制剤がよく効く体質なのだが、今回は例外のようだった。
翌朝起床しても、身体が重く火照りが消えてなかったからだ。
朝食にバナナとパンとチーズを用意して、カスパーの頭を撫でた。
獣の耳は柔らかい。
「ごめん。今日はお父さん寝てるよ。カスパーいい子にしててくれるか?」
再びベッドに入ったマイネが目を閉じていると、食べ終わったカスパーが、自身の尻尾を触りながら近寄って顔を覗き込む。
「遊びに、行っても、いい?」
「家の前をコニーが通るはずだから、双子と遊びたいならコニーを待ってろ」
「わかった」
外が見える窓から通りを見ていたカスパーは、しばらくすると、「いってきます」とコニーに連れられて出て行った。
……………………
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