第5話 王弟ルシャード

 ルシャード・フォン・ヴァイツゼッカー。

 アンゼル王国ディアーク王の十歳年下の弟君だ。


 冷徹で残忍で兄のディアークを傀儡のように操っているという悪い噂の持ち主である。

 しかし、そんな事実はない。


 また黄金の人と呼ばれ、聖獣に変化する様は神々しく美しく、人型の姿形も見惚れるほどの美丈夫だった。


 三十五歳にして未だ未婚であるが、隣国の王女と結婚するという話をマイネは知っている。


 四年半ぶりに見るルシャードは、記憶の中と何ら変わっていなかった。


 宝石のように輝く金色の瞳でマイネの顔を覗き込む。

 その仕草も以前のままだ。


「怪我はないか?」

 

 座り込むマイネの手を取って、ルシャードは軽く引っ張った。

 

 そのまま、マイネはルシャードの逞しい胸の中におさまる。

 ルシャードの闇のような黒衣がマイネの視界を塞ぐと、その下の引き締まった身体を感じた。


「マイネ会いたかった。四年半ぶりか?変わりはないか?」


 マイネは混乱していた。

 

 すべての山賊は、屍のように蹲って、生きているのかわからない。

 山賊に襲われていたマイネは、危ないところを、ルシャードに助けられ、緊張と驚きで腰が抜けそうだ。


 様子を伺うゲリンの視線に、マイネは、はっとした。

「ゲリン、大丈夫か?」


「あぁ、俺はもう大丈夫だ…薬が効いたみたいだ」


 騎士団に入りたかったゲリンが、ルシャードの顔を知らないはずがない。


 そして、カスパーと結びつけることは容易だろう。

 信じられないという表情をゲリンから明白に伝わる。


「マイネを守ってくれて感謝する。マイネは私が送る。お前は一人で帰れ」

 ルシャードが告げた。


 追い払うように手を振るルシャードの態度が悪い。


「…はい」

 ゲリンは返事をしたものの、躊躇いながらもマイネから鞄を受け取る。


 マイネはゲリンに囁いた。

「殿下に会ったことは、黙っててほしい…」

 

 ゲリンは、わかってるとばかりにマイネの肩に優しく手を置く。


「心配するな。先に戻ってるよ」

 そう言うと、変化して走り去った。


「行こう」

 ルシャードに手を引かれてマイネは歩き出す。


 森を抜けサン湖まで辿り着くと、汚れた顔や手足を洗う。


 マイネが両膝を抱えて畔に座ると、ルシャードは木に寄りかかって腕組みをした。


 艶やかで癖のない金色の髪が、太陽の下で星を散りばめたかのようにキラキラと光る。


 背が高く、腰も高い。

 誰もが目を奪われる均整のとれた身体に美しい容姿は、神に愛された最高傑作だ。


 カスパーも似た容姿をしているが、内から発する気品や色気が、まったく違う。

 マイネは、久しぶりのルシャードの存在感に圧倒されるばかりだった。


 動揺を隠し冷静を装い、何から言えばいいのか思案したマイネは、唇を噛む。

 

「お一人でいらしたんですか?」

「マイネを見つけたと知らせを受けて王都から飛んで来た」


 ルシャードは比喩ではなく、本当に飛べる聖獣だ。


「それなのに、マイネは出かけていると言われてしまって。待ちきれなくて、場所を教えてもらい、ここまで来た」


 ルシャードは金色の目をマイネに向ける。 

 マイネはその瞳に凝視され、微動だにできなくなった。


「…俺を探してたんですか?」


「死んだと聞かされたが、遺体はなかった。秘密裏にずっと探していた。四年半もかかってしまったが、ようやく見つけた」


「どうして…」

 マイネは呟く。


「…マイネは自分の意思で王都を出たのか?」

「はい」


 マイネが返事をすると、ルシャードの獣の耳が、ぴくっと動いた。


「なぜだ?」

 ルシャードが鋭い眼差しで問いかける。


 マイネは口籠った。


 貴方が好きだから、結婚すると知りながら、そばにいることはできなかった。

 婚約者がルシャードに会いに王宮を訪問すると人伝てに聞き、逃げるように王都をあとにしたのだ。


 それを口にしたところで、何も変わらない。

 わかっている。


 ルシャードがマイネを抱いたのは、突然の発情期が原因だ。

 いわば事故のようなもの。


「…探さない方が良かったか?」

 答えようとしないマイネにルシャードは目を伏せた。

 

 マイネは頸を横に振り、目を細めて笑った。

「もう二度と会うことはないと思っていたので、お会いできて嬉しいです」


 ルシャードがため息を吐いた。

「マイネ、わかってないようだな…」


「何をですか?」


 マイネが首を傾げると、ルシャードは珍しく拗ねたような表情を見せた。


「ところで、一緒にいた狼獣人とは仲が良いのか?」


「え?ゲリンはここに来てから四年一緒に働いてます。親しくしてます」


「では狼もオメガか?」

「はい……あの、俺もオメガです」


 ベータと偽っていたマイネは、初めてルシャードに打ち明けた。


「そのことなら五年前から知っていた」


「え?」

 マイネは驚く。

 もう知られているだろうとは思っていたが、五年前からだとは。


「あんな甘い匂いをさせていたら、いやでも気づく」


 マイネは立ち上がり、頭を下げ謝罪する。

「今更ですが、ベータだと嘘をついて申し訳ありませんでした」


「過ぎたことだ。それより、今でもマイネはベータとして生活しているものだと考えていた。だから、探すのに時間がかかってしまったのだが。何か…その…心境の変化でもあったか?」


 ルシャードは何か探るような、直接的ではない言いようだった。


「あの頃は、まだ一度も発情期がなかったから。だから嘘をついても大丈夫だと思ってしまいました。ごめんなさい」


 ルシャードの眼差しに熱がこもった。

「もしかして、あの発情期が初めてだったのか?」


 あの発情期。

 ルシャードがマイネと繋がった時のことを言っているのだ。


 そして、四日続いた発情期が終わった翌朝にマイネが逃げ出すこととなった。

 最初で最後のルシャードと過ごした夜。


 ルシャードに愛されていると錯覚しそうになるほど甘い時間だった。

 初めての発情期で記憶が途切れがちだったが、覚えている。


 マイネが頷くと、ルシャードが眼前に迫った。

「そうだったのか。マイネが四年半、どうしてたのか知りたい。教えてくれないか?」


 アプト領に来てからのマイネは、カスパーを出産しカスパー中心だった。

 しかし、それは隠さなければならない。 


 ルシャードの子だと知られれば、奪われるに違いない。

 絶対に秘密にしなければ。

 

 マイネは、両手を握り合わせ祈った。


「何もないです。ただ病院で働いてました」

「何もなかったのだな。安心した」

 

 ルシャードが何に安心したのか、マイネには、さっぱりわからなかったが、言及はしなかった。



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