2.漆黒の男



 コンコン。ユーリティスが宰相室の扉を軽く叩くと、中から老いた男の声が響いた。

「入りなさい」

扉を開け一礼をし、中へ入るとフカフカとした絨毯が靴を受け止め、団長室の整然とした石床とは全く違う絢爛さを感じる。一体いくら費やされているのか、置かれている家具や飾り物はいつも輝きを放っている。

国王の部屋に匹敵するのではないか―――ユーリティスはそんな事も考えてしまう。

「ユーリティス・ランディール、参上致しました」

「うむ、そちらへ」

うながされ、かけた椅子の座り心地も段違いに良い。と、上げた目線の先に見知らぬ人物が座っていることに気付いた。


気配を感じなかった。ユーリティスの背にヒヤリと汗が伝う。

漆黒の髪に漆黒の衣服。まるで影の様に、瞳を閉じて足を組んだまま身動き一つとしてしない。このきらびやかな部屋に対して全く異質の存在なのに、その違和感を感じさせなかった。

誰なんだ、と考えると同時にガルデラの声が耳に入った。


「ユーリティス殿、来てもらったのは貴殿に紹介したい者がいてな。この方は、かのロードグラン国王の近衛騎士団長の弟君、リアム殿だ」

「ロードグラン、の―――?」

その時、目の前の男がスッと目を開けてこちらを真っ直ぐ見た。

気配が、急に濃くなった気がした。その深い蒼色の瞳に吸い込まれんばかりに、ユーリティスはリアムの瞳に見入ってしまう。

「リアム・カートライトです、ユーリティス殿」

「っ……リアム殿、申し遅れました。ユーリティス・ランディールです」

男が立ち上がり手を差し出しているのを見て、ユーリティスは慌てて立ち上がりその手を握る。

リアムはその手を一瞬ギュッと握り返してくると、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。

「呼び捨てで構いません。どうぞ、お見知りおきを」

「では私の方もそのように……」


 ガルデラの話によると、リアムはリングジルド国王からの要請でロードグラン国王の命を受け、ユーリティス率いる騎士団の支援の為に隊を率いてここへ来たとの事だった。

「貴殿の耳にも入っただろうが、またファーラン国がこちらに攻め込まんと兵を向けてきたらしいな?」

「はい、今しがたその報告を受けまして、こちらも兵を出すべきか思案していたところです」

「うむ、いつもの事ながらあちらはそこまでしてやらんと引かぬだろうからな」

ユーリティスの何倍もその問題に立ち会ってきたであろうガルデラは、嘲笑う様にそう言い捨てる。

「『例の物』も用意はしておいたが……今回はリアム殿と共に向かってもらいたい」

『例の物』とは、いわゆる和解金の事で、ファーラン国が何かとこちらにちょっかいをかけてくるのはそれが目当てというのが本当のところだ。

今回も表沙汰には兵を向かわせ、和解金を渡してそれで終わらせればよいのだが、何故そこにリアムを連れてゆかねばならないのか。

「そろそろ、あちらにもこういう事は終わりにしてもらいたいものだしな。それに……」

一瞬言葉を切った宰相に、ユーリティスは次の言葉に想像がついて、ああ、と心の中で呟いた。

「将来のロードグラン王妃に何かあってもならぬのでな」


『将来のロードグラン王妃』、それはユーリティスの事だ。確かに彼女は物心ついた頃には次期王妃となるべく教育を受けてきた。

けれど、王妃となれる女性は何も彼女だけとは限らない。王にも姫君はいるし、他の重臣たちにも娘御達もいる。代わりはいくらでもいるのだ。

問題はそこではない。


『私が、女だからですね』


 そう喉まで出かかった言葉を彼女は飲み込み、にこりと微笑んだ。

「お気遣いに感謝致します」

多分、いやきっとリングジルド国王に要請を出すように進言したのはこの他でもない、ガルデラだろう。

彼は女の騎士団長なぞ、微塵も信頼していないのだ。己の配下のうちで一番の権力と財力を持つランディール家の長女であり、なにより『戦鬼の生贄』だからこそ、上辺だけはこちらを立てているのだ。

それが分かっている以上、ここで逆らうのは得策ではない。

ユーリティスは『お気遣い』を『ありがたく』頂く事にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る