第20話 十六人目

「失礼します」

 事務所にある検量所での後検量を終え、下見所騎手控室へと歩く。数歩進むうちにさっきのレースの映像が鮮明に蘇る。

「やっちゃったあ……」

 頭を抱え、その場にしゃがみ込む。

 この日一レース目の結果は九着。差しの競馬に持ち込もうとしたが、追い出しのタイミングで前に壁ができてしまい。ずるずると最後までいってしまった。

 非常にまずい。

 残されたのは一レース。暫定四位の騎手の得点は五十二点。対象の騎手はレースをすべて消化しているので通過するためのボーダーに変更はない。それに対して私のトライアルレースでのこれまでの着順が佐賀での二着(二十点)、十一着(一点)、名古屋での九着(二点)なので、現在の得点は二十三点。

 あと二十九点足りない。

「……一位になるしかない」

 一位の得点は三十点。

 私が一位を取れば他の騎手の着順に関わらずその時点で四位通過が確定する。

 大きく息を吐く。

 そうだ。別に予選通過が不可能になったわけじゃない。そもそもここには結果を出しに来た。やることはなにも変わらない。

「ダンゴムシの真似か?」

 顔を上げると通路を塞ぐように番場が立っていた。

「……残念。アルマジロの真似よ。似てた?」

「似てない」

「あっそ」

 ここに座り込んでいてもしょうがない。膝に手をついて立ち上がる。

「あれで予選突破するつもりだったのか?」

 番場の横を通り過ぎざまにこちらへ問いかけてきた。その場で振り返り、睨みつける。

「あれで、ってどういう意味?」

 返答次第では番場の顔に三日は消えない痣が残ることだろう。私の騎乗停止と引き換えに、だが。

「乗り馬に頼ったピンかパー。嵌まれば強いんだろうが、お前の騎乗はサイコロ転がして神様に祈ってんのと一緒なんだよ」

「はあ? そんなこと――」

「シネマスタッフはエンジンのかかりが遅い。前走もそれで後れをとっていた。サンサンタイヨーの騎手は先行での騎乗は悪くないが、差しの競馬に持ち込もうとすると経験不足が目立つ。

 続けようか?」

 シネマスタッフ……サンサンタイヨー……。

「……さっきのレースの出走馬? しかも、最後に前で壁になった馬の名前……」

 そうだ、間違いない。自分が出るレースの馬でもないのにその特徴を覚えているということか。そんなまさか。

「ほかの馬のことも言えるぞ。聞くか?」

 首を横に振る。堂々と語るその姿はとても嘘をついているとは思えない。

「――トラックを走る陸上競技のように競馬が決まったレーンを走るならほかの奴なんて気にしなくてもいいだろう。

 だが、そうはいかない。

 競馬は熾烈なポジションの奪い合いだ。

 テンが早い馬、ズブいが終いはキレる馬、馬群が嫌いな馬、集中力がない馬。レースに出る馬は、一頭一頭みんな性格も個性も違う。それに加えて騎手の得意不得意も加わってくるんだから、それを知らずして走るなんて目隠しをしながら走るようなもんだ」

「私が勉強不足だってこと? でも十回やって十回同じレースになることなんかないじゃん。そんなの――」

「無意味だ、と。そう言いたいのか?」

「……いや、そこまでは言ってないけど」

「重要なのは展開を当てる事じゃない。その正解を求めようとすること、その行為そのものだ。一パーセント、いや、〇・一パーセント勝率を上げるためにあらゆる手の限りを尽くす。運否天賦に見える物事にもその確率を上げる方法ってのがあるんだ。

 なのにお前はいつまで神様に甘える?」

「……」

 悔しさ、いや、自分の情けなさに下唇を噛む。

 やろうと思えば昨日のうちにもっと調べることができた。忙しさにかまけてやらない理由を探していただけだ。

 いまの私にファイナルレースへと挑む資格があると胸を張れるだろうか。

「……はあ、いつもみたいに言い返せよ。調子狂うな」

「……ありがと、番場の言う通りだよ。ちょっと顔洗ってくる」

 控室へと歩き出す。

 次のレースはすぐそこだ。私のいま出来る限りのことをするしかない。 

「待て」

 背後から番場に呼び止められる。振り返ると番場はわざとらしくため息をついた。 

「……今日だけ特別だ。

 時間がない。一回しか言わないぞ」


『長い戦いとなりましたユースフルジョッキーズシリーズ西日本トライアル。佐賀から始まった若人たちの東征の旅も今日ここで終わりを迎えます』

 ゆったりとした実況の声が人もまばらなスタンドへ響く。 

 最後のレース、乗り馬はチタノサプライズ。

 さっきレースに出る九頭の馬と騎手の情報は叩き込まれたが、油断していると頭からポロポロとこぼれ落ちていきそうだ。

 レースが緩やかにスタートする。

 先頭を行くはナウインザリバー。少し離れてピーチハッキングが続く。その後ろは団子状態だ。チタノサプライズは中団後方につける。

 展開は予想通りだ。なにもこれまで考えなしに乗ってきたわけではない。ざっくりとした展開を考えてレースには臨んできた。

 しかし、いま、百回以上乗ってきたレースの景色がガラリと変わって見える。ぼんやりとしていた輪郭がはっきりとその姿を浮かび上がらせるようだ。

 速度を落とすことなく三コーナーから四コーナーにかけてスパイラルカーブを回る。馬群が殺気立つのが肌に伝わる。

 前方の視界はまだ開けない。

 外に出すか? いや、まだだ。まだ。きっと道が開ける。

 その時、一筋の白くか細い光がゴールへ向かって伸びるのが見えた。

「!」

 なんだ?

 もう一度よく見ようとまたたくと、それは忽然と消えてしまった。前の馬が追い出しにかかる。

 その割れ目に一頭分のスペースができた。

 ――よし!

 すかさず鞭を入れる。その隙間を割ったの束の間、一気に最高速に乗る。目標はいまだ先頭を行くナウインザリバー。

「――ちがう!」

 背後を横目に見る。

 いた。オーゴンシンボルだ。

 鞍上は瀧中たきなか成吾せいご、兵庫に所属する三年目騎手。

 地方騎手のなかで暫定七位で、私と同じく予選通過ボーダーラインにいる。

 所属している兵庫は園田競馬場、姫路競馬場の二場があるが、なかでも園田は一周千五十一メートルと地方競馬場の中で最も短い。ほかの地方競馬場と同様に逃げ先行が有利だが、瀧中はここ一年後方からのマクリの競馬で何度か大穴を持ってきている、らしい。

「安定して結果を出す上位の騎手や馬は当然警戒すべきだが、嵌まった時に一番怖いのはこういうタイプだ」

 先ほどの番場の言葉が頭に流れた。

 それを掻き消すように後方から声が飛んでくる。

「日鷹ぁ! 邪魔や! どかんかい!

 ケツの青いお前にゃファイナルラウンドはまだ早いやろ!」

「絶対いやです! あと、青なのは名前だけなんで!!」

『――最後の直線。ナウインザリバーの先頭はここまで。捲ってきたチタノサプライズ、オーゴンシンボルが抜け出しました。

 残り二百……百……、チタノサプライズ僅かにリードか』

 夢中で馬を追う。

 勝つ。絶対にファイナルラウンドに行く。

 

 チタノサプライズがゴール板を一番に横切った。 

「おー、嬢ちゃん勝ったか」

「上手く乗ったなあ」

 控室で中継映像を見る騎手たちが感心の声を上げ、ささやかな拍手を送る。

「おいおい、ほんとに勝っちまうのかよ」 

 たしかに馬と騎手の特徴は教えてやったがこの土壇場で一発回答とは。

「敵に塩は送るもんじゃねえな」

 画面の中、あたりを見回していた日鷹がカメラを見つけると大きく手を突き上げた。口元は緩み、なんともまあ間の抜けた顔だ。

「……まったく、締まらねえやつだな」

『一着、チタノサプライズ。鞍上日鷹青。その顔には満面の笑み。これで獲得ポイントは合計五十三ポイントになり、ファイナルラウンド十六人目、最後の挑戦権を手にしました』

 勝鬨が上がる名古屋競馬場。

 この瞬間、日鷹青の四位通過が確定。ファイナルラウンドへの出場者が出揃った。

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