第12話 選ばれし者たち

『――ユースフルジョッキーズシリーズ西日本トライアルラウンド第一戦。ここ佐賀競馬場で未来が走り出します。

 本日の出場騎手十二名のうち中央から五名。地方から七名、うち四名はここ佐賀競馬の若手騎手です』

 観客席が湧き上がった。

「よろしく日鷹さん」

 隣のゲートから声を掛けられる。

 つるぎ恋太郎れんたろう

 通称レンちゃん。佐賀競馬場に所属する私たちと同じ一年目騎手だ。

「こちらこそ、剣くん。いい勝負しましょう」

「もちろん」

 十二頭の馬がゲートに揃う。

 いよいよスタートの時が迫っていた。


 レース前日。

 あの衝撃的な邂逅のあと、なんだかんだあり彼らが佐賀競馬場を案内してくれることになった。

 「わあ、綺麗なダート」

 真っ白く整備された佐賀競馬場のダートコースは目に眩しいくらいに美しい。夏が満足げな顔をして話し始める。

「でしょ? 佐賀のダートはね、ほかの競馬場とはちょっと違って中国の海砂を持ってきてるの。だから白くて綺麗なダートなのよ。

 ま、綺麗なのは見た目だけで、粒が大きい分走るのにパワーがいるけどね」

「へえ、流石に詳しいね」

 私の言葉に夏がハッとした顔をする。彼女は腕を組みこちらから顔を背けた。

「ま、まあ、そんなのがわかったところで簡単に走れると思わないでほしいけど」

「一周千百メートルの右回り。直線も二百メートルしかない小回りの競馬場だから逃げ先行の馬が圧倒的に有利だよ。でも、コース内の砂が深くなってるから欲張って内を攻めると足を取られるから気を付けて」

 夏の言葉を補足する形で隣の剣くんがスラスラと佐賀競馬場の特徴を言い並べていく。彼女は慌てて彼の口を塞ごうとする。

「! ちょっと! 恋太郎、そんなベラベラと――」

「お互い様だろ。それに、こんなこと俺が言うまでもなく調べてるはずさ。

 でしょ?」

「そうだね」

 剣くんに由比が静かに返した。じっと由比を見つめる。

「中央ならいざ知らず、あんたたちに佐賀ここで負けるつもりはない」

 場の空気が張り詰めた。

 しかし、すぐに剣くんの表情が崩れる。背後を振り返った。

「……ちょっと、夏。勝手に声真似しないでよ」

 いつの間に移動していたのか、その背後から夏がひょっこり顔を出す。

 悪びれる様子もなく肩をすくめた。

「あんたが弱腰だから私が代わりに言ってあげたのよ」

「上等! 私もYJSで優勝するためにここに来たんだからそれくらいじゃないと張り合いがない。

 ここで優勝して咲島先生を見返してやるんだから!」

「……またそれか」

「また、ってなに?」

「日鷹と咲島先生がよく口喧嘩しているのは栗東では有名だから」

「別に口喧嘩してるつもりない。先生が頑固なの」

「日鷹もね」

 由比が呆れた様子で話を切った。

「――とにかく! 絶対に負けないから覚悟しといてよ!」  


 佐賀競馬場は圧倒的に先行逃げ優位の競馬場。しかも見習騎手には先輩騎手との実力差を埋めるために普段減量制度が設けられていることから、当然斤量の面で優遇されたレース経験が多い。

 つまり自ずと彼らが取る作戦は決まってくる。

 “先行策”だ。

『――いま、スタートしました。

 少しバラけたスタートです。――』

 ゲートが開き、みな先頭を取らんと前掛かりになる。しかし、簡単にハナを取ることができた。

 中央競馬と地方競馬。

 その決定的な違いはなにか。

 騎手か。競馬場か。はたまた馬場か。

 否。――である。

 中央競馬で鳴かず飛ばずだった馬が、地方に転厩したあと連戦連勝などという話は珍しくもない。七十年を超える中央競馬の歴史において、地方に所属する馬が中央競馬のG1レースを制したのはだけだ。

 それほどまでに両者の間には絶対的な壁が存在している。

 レースの格が下がればなおのこと馬を思い通りに動かすことは容易ではない。

『逃げるのは剣騎手が跨がる五番サガノイキオイ。その後ろに由比騎手が乗る九番セプテンバームーン、その後ろは団子状態です。

 ――そして最後方にポツンと日鷹騎手の四番コールミーベイベー。これは痛い出遅れ――』

 サガノイキオイはこのクラスなら力関係は上位だ。そしてここのダート右回り千四百メートルはいままで何度となく走っているコース。

 後れを取る道理はない。

『――さあ、コーナーを回りあっという間に最後の直線! いまだ先頭はサガノイキオイ! このまま逃げ切ることができるか!

 ! しかし、ここでセプテンバームーンが迫る!』

 背後に気配を感じる。さすがに由比の腕は頭ひとつ抜けているか。

 だがこのまま逃げ切れる。

 いや、逃げ切るんだ!

 しかし、ゴールまであとわずかというところでセプテンバームーンが横を通り過ぎるのが視界に入る。

「……くそ!」

 あと少し及ばなかった。

 その時である。内ラチ沿いに一陣の風が吹いた。

『セプテンバームーン一着! YJS記念すべき初戦の勝者は由比一駿です!

 そして、! ほとんどの馬が先行を選んだなかで見事な差しを見せました!

 三着は地元佐賀の剣騎手のサガノイキオイ! 中央勢に引けを取らない見事な騎乗を見せました!』

 観客席から歓声と拍手が上がる。

「レンちゃんよかったぞー!」

「もう! あとちょっと!」

 スタンドに猪熊のおじさん、それに夏の姿が見えた。

「あー! 差せると思ったのに!」

 ゴール後の馬の速度を緩めるなかで、日鷹さんが悔しそうに天を仰いだ。

「……まさか、差しで来るとは思わなかったよ」

「え? ああ、この馬、返し馬のときに砂被るの嫌そうだったから。少し離して乗ってみたの。

 スピードに乗る感じも差しのほうが面白そうだったし」

「え?」

 まさかそれだけの理由で差しの競馬を選んだのか。

 このトライアルラウンドの大事なレースで? しかも、そんな短時間で馬を見極めたというのか?

 いや、そんな深い考えはなくただの博打にすぎないのかもしれない。

 しかし、はじめてのコースにばかりとらわれることなく、しっかりと馬に向き合ったから出てきた答えであることは疑いようがない。

「……」

 一着でゴールした由比のほうを伺う。

 その顔に喜びの表情が浮かぶことはなく、瞳は日鷹さんの後ろ姿をじっと見つめていた。

 

 レース翌日。

 早朝だというのに、わざわざ駅まで剣くんと夏さんが見送りに来てくれた。

「結局、勝てなかった……」

 寝不足の頭に昨日のレースが思い出される。

 第一レースはうまく乗って二着入線だったが、第二レースは十一着大敗。とても満足のいく内容とは言えなかった。 

「でも、二着もあっただろ。上出来だよ」

「そうそう。まだ始まったばかりだしね」

 由比と剣くんが交互に私に声をかける。

「なに? 勝者の余裕?

 一着を取ったアンタたちが言うと嫌味に聞こえるんだけど」

 夏が近寄ってきてこっちの肩を叩く。

「まあまあ、気を落とさないで。また来年のYJSで恋太郎にリベンジに来なさいよ。

 待ってるから」

「ちょっと待ってよ! 来年は見習騎手卒業してG1に出てるんだからYJSには乗れない!」

 夏はぽかんとした顔をする。

「G1? 青が? そっちの由比くんじゃなくて?」

「そうよ! 絶対に行く! それが私の夢の一歩だから!」

 由比がこちらをじっと見てくる。

「なに? 文句あるの?」

「いや。……日鷹らしいな」

 由比が小さくつぶやいた。

「はは……すごいな二人とも。そんなの考えたこともなかった」

 剣くんが困ったように笑う。夏がそれを見てなにか言わんと口を開こうとした。

「剣くんも!」

 それに構わず呼びかける。剣くん、そして夏の視線がこちらへ向いた。

「え?」

「今度は中央で戦おう! まずは年末のファイナルラウンド! そして、G1レースでも!」

 沈黙が流れる。

 まばたきを二度した後、剣くんは開いた口を結び直し一度力強くうなずいた。

「――ああ、絶対に行く! 中央で会おう!」

 私たちは再会を約束し、佐賀をあとにした。

 

 時は少し遡り佐賀競馬場。

 すっかり日の落ちた競馬場に一人の老人が立っている。それに気づいた調教師が駆け寄ってきた。

「あ、武市たけちさん! 大丈夫でしたか?」

「ああ。でも飛行機が遅れるとはついてなかったよ。久しぶりの故郷だというのに、うちの馬の活躍も見れず残念だ」

「いや、そうなんですよ! コールミーベイベー、あとちょっとでしたからね。まるで馬が変わったみたいで。

 中央の騎手は若くてもすごいもんですねえ」

「ほう、たしか鞍上は――」

「日鷹青。あの鳶島大洋の一人娘ですよ」

 老人は右手で顎を撫でる。

「……日鷹青……か」

 老人はその名前をゆっくりとつぶやいた。

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