第11話 Saga : The Beginning
ユースフルジョッキーズシリーズ。通称YJS。
見習騎手の騎乗機会を増やし、騎乗技術の向上を目指して発足されたシリーズ競争であり、JRA(日本中央競馬会)とNAR(地方競馬全国協会)の垣根なく見習騎手たちが集う。
八月から始まる東西に分かれたトライアルラウンドを地方競馬場で行い、東西・中央地方で各上位四人、計十六名の騎手が年末のファイナルラウンドに進むことができるのだ。
まさに未来のスターたちの腕試しの場である。
「やっと着いたー! 来たぞ佐賀!」
改札を抜けると長閑な風景が広がっていた。
凝り固まった体を大きく伸ばし、思い切り深呼吸をする。
初めての地方競馬での騎乗。そう思うと、肺に満ちるこの空気も特別なものに思える。
佐賀県鳥栖市。
地方競馬最南端の地・佐賀競馬場がある場所だ。
ここでユースフルジョッキーズシリーズ西日本トライアルラウンドの火蓋が切られる。
西日本の会場は、佐賀に始まり、高知、園田、笠松、金沢、名古屋と北上する形で順繰りに開催される。各会場で対象レースは二レースあり、合計で十二レースだ。参加騎手は最低四レース、つまり六場のうち二場で騎乗し順位に応じてポイントが割り振られる。
「バスは当分来ないみたいだ。タクシーを拾おう」
時刻表を確認に行った由比が戻ってきた。
JR博多駅から特急で三十分ほど、ここ鳥栖駅から佐賀競馬場まではバスか車で向かわなければ行けない。
「馬でもいれば乗っていくのに。……えーと、タクシー会社の電話番号は――」
「おっ! いたいた!」
どこからともなく野太い声がする。間を置かずにタクシーが一台、勢いよくタクシー乗り場へと横付けした。
白髪交じりの小太りの運転士が開けられた助手席の窓のから身を乗り出さんばかりの勢いでこちらへと話しかけてくる。
「なあ、あんたら由比騎手と日鷹騎手だろ?」
「は、はい」
「そうです、けど」
運転手は力強く首を何度も縦に振る。
「やっぱり! いやー、駅で待ってみるもんだな!
乗りな! 佐賀競馬場まで行くだろ? サービスしてやるよ!」
こちらの言葉を待つことなく矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。その勢いに押されるまま私たちはタクシーに乗り込んだ。
「いやー、こんな田舎まではるばるJRAの騎手が来てくれるなんてなあ!
いいイベントだ。YJSは」
手慣れたハンドル捌きで軽快に車が発進する。
「おじさん、競馬好きなんですか?」
「好きなんてもんじゃねえさ、あんたらの親父さんたちの頃からもうどっぷりよ!
中央も地方も最高だ! まあ、全然勝てねえからかあちゃんに毎日怒られちまってるけどな!」
そう言ってまんまるとした体を震わせ豪快に笑った。
「しかし、あんたら二人を一気に乗せたなんて一生自慢できちまうなあ」
「大袈裟ですよ。まだ半分素人みたいなもんです」
由比がやんわりと謙遜する。ちらりとそちらに目をやり、締まりなく上がっている口角を引き締めた。
「謙遜しちまって。
このままいけばあんたも親父さんみたいにあっという間にG1ジョッキーだなあ」
「……だといいですけどね」
私も、と喉元まで出かかる。
「それで、あのスポーツ紙の記事はホントなのかい?」
隣の由比の眉根がピクリと動いたのがわかった。
「?」
「……あの記事というのは?」
運転手のおじさんは笑った。
「とぼけちまってえ。
あの“アレクサンダー”に乗るって話だよ。
なんでもあの三冠馬イスカンダルにそっくりだというじゃないか」
「イスカンダルに!?」
「あ、ああ」
その名前に思わず身を乗り出す。イスカンダルといえばノッキンオンハートが有馬記念で戦ったあの馬だ。
「なんで言ってくれないのよ、由比!」
「? 別に君に話すことじゃないだろ」
「ってことはやっぱり本当なんだな! スポーツ紙の飛ばし記事かと思ったが偶には当たるもんだ」
「……まだ、デビューもしていない二歳馬です。期待しすぎたら酷ですよ」
おじさんは舌を短く三度鳴らす。言ってしまってはなんだが、見た目にそぐわないきざったらしい仕草だ。
「わかってないなあ。いま期待しないでいつ期待するんだい。若いってのは可能性だよ」
なにか言おうとした由比が再び口をつぐむ。
「まあ、でもまだ見習騎手なんだからまずはG1に乗れるようにならないと宝の持ち腐れね」
「でもたしかもう二十勝以上してるんだろ? 余裕だよ余裕」
「ぐっ……」
私がこの間やっと五勝目を上げたというのに。涼しい顔して私の何倍も勝っているなんて。
生意気だぞ。
「運がいいだけです」
「ははは、そこまで謙虚が行き過ぎると嫌味に聞こえちまうぞ」
「そうだよ! もっと威張り散らしてふんぞり返っててよ!
コテンパンにしてやるから!」
「……めちゃくちゃなこと言うな、日鷹」
そうこうしているうちにあたりの景色が変わってくる。目を引く建物が見えた。
「あっ!」
「さあ、着いたぞ。佐賀競馬場だ!」
広い駐車場に車が止まる。
おじさんは運転席から降りると、軽やかにトランクを開け荷物を下ろしていく。
「さっさ、早く行きな。いろいろやることあるだろ?」
「いや、その前に運賃を」
由比が財布を出そうとすると、おじさんは体の前で両腕を大きく振った。
「いらんいらん。サービスだと言っただろ。俺のタクシーに乗ってくれただけでも十分お釣りが出る」
その後も由比が何度かお代を払おうとするが、おじさんは頑なに首を縦に振らない。
生真面目な由比もついに折れた。
「……じゃあ、ここまで乗せてくれたんでサインとかどうですか? 迷惑じゃなければですけど」
その言葉におじさんの目の色が変わる。
「なに! そりゃホントかい?
ぜひ頼むよ!」
言い終わらぬうちに運転席に潜り込み、どこから取り出したのか腕に色紙を抱えて出てきた。
「私も書きますよ!
将来のリーディングジョッキーのサインです!」
「ははは、そりゃ楽しみだ!
……いやー、これでジョッキーのサインも今年三枚目だな」
そう言って鼻歌交じりにおじさんが指折り数える。
「三枚? あと一枚は誰にもらったんです?」
「? そりゃもちろん佐賀競馬場の期待の新星、“レンちゃん”さ」
おじさんは今日一番の笑顔でこちらを向き直った。
「……。レンちゃん?」
「
「なんだよ、
厩舎を片付けていると、後ろにひとつ結んだ髪を振り乱して夏が駆けてきた。
「聞いて聞いて! 猪熊のおじちゃんが連れて来たの!
あの由比と日鷹を!」
「ふーん」
なんだその話か。
「なにその反応! もっと驚いてよ!」
「そう言われても……。今日来るのはわかってたし」
夏の眉間にシワが寄る。
かと思うと腰に両手を当てて仁王立ちをした。いつものやつが始まる合図だ。
「あのね、そんなんで本当に中央の奴らに勝てると思ってるの?
今年の佐賀記念だって中央の騎手と馬にとられちゃったし、お父さんたちもアンタもみんな気合が足りないのよ気合が!」
ため息をひとつつく。
「あのさ、言わせてもらうけど気合で解決したら苦労しないよ」
「いいえ気合よ! 気合!」
夏は語気を強める。
「……勘弁してよ」
いやに張り切っている。佐賀記念で夏の父が二着であったことがよっぽど悔しかったのだろう。
しかし、よりによって話題の二世騎手である二人が佐賀に乗りに来るなんてついていない。せめて残りの五場で乗ってくれれば俺も多少はポイントを稼げただろうに。
「あっ、いたいた!
すいません、ちょっと教えて欲しいんですけど」
声のほうを振り向くと見覚えのある女性が立っていた。
「! ……もしかして日――」
夏が勢いよく間に割って入る。
「待ってたわ日鷹青! 由比一駿!
二世だかなんだか知らないけど、佐賀競馬の恐ろしさ思い知らせてやる!!
この恋太郎がね!!」
目の前で夏が舞台役者ばりの大見得を切る。ぽかんとした顔で二人はこちらを見た。
……まったく。本当に勘弁してほしい。
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