第2話 巣中の雛たち
薄曇りのグラウンド。
濃い紺色のアウターを着た若い男が同期に取材している。
一番最初、いま話しているのは
父は元騎手で現在調教師。祖父も元騎手のエリート競馬一家の出だ。幼い頃からそんな環境で育ってきたこともあってか彼の騎乗技術は同期一だ。
「
うーん、そうですね。少し騎乗が荒いところがありますけど、ハマった時のレース運びは目を見張る物があると思います。
まあ、まだ騎手免許も持ってない僕がなに言ってるんだという感じですけど」
いつも通り由比は生真面目に質問に答える。いくつかの質問ののちジャケットの男は隣に移った。
同期と比べて頭一つ背の高いその男は
「あ? 日鷹ぁ? なんであいつのことなんだよ! 日鷹でも由比でもなく、地方競馬の雄・
俺がここで一番上手いんだから!」
番場の大声が響いた。
日本において、競馬は「中央競馬」と「地方競馬」の大きく二つに分かれる。私が見た有馬記念も中央競馬のレースであり、普段テレビでよくやっているのもまた然りだ。細かな違いは多々あるが、賞金、規模ともに中央競馬のほうが大きい。
しかし、それは単純な優劣には結びつかない。地方競馬のトップジョッキーの技術はそれこそ中央競馬のトップ騎手とも遜色なく、中央競馬のレースで勝利する者も、地方から紂王へ移籍してきて活躍する者も枚挙に暇がない。
彼の父、番場卓騎手も地方競馬のひとつである船橋競馬のトップジョッキーであり、中央競馬のG1レースでの勝利経験もある実力者だ。
まあ、その息子であるアイツは、なにかにつけ私に突っかかってくるので好きではない。
インタビュアーはそそくさと話を切り上げ、もう一人の女子である
髪を掻き上げ、口元に笑みを浮かべて話し始めた。
「バカの相手は大変だったでしょ?
で、青さんについてでしたっけ? 競馬学校に来てから本格的に馬に乗り始めたにしては上手いんじゃないですか? まあ、同じ女性騎手として彼女よりアタシが注目されていないのは癪だけれど。
あなたはそう思いません?」
可愛らしい顔に似合わぬ厳つい名字をした彼女のことを知らない競馬関係者はいない。
彼女は競馬界で一二を争う牧場「四王天ファーム」のご令嬢だ。四王天ファームは競走馬の生産・育成・調教を一手に担う大牧場で、昨年おこなわれた大レースの半分がその牧場に関わる馬だという。
彼女自身も馬術競技で全国的に有名であり、その腕前は疑うところがない。
競馬界というのは狭いもので、競馬学校に入学してくる者は大抵親族に競馬関係者がいる。それはプロ野球選手の息子がとりあえず野球選手を目指すのと本質的には変わらない。
インタビュアーは苦笑いして最後の一人に向いた。
「あの、日鷹さんも同じ未経験者なので色々お互い意見交換したりしてました。で、でもやっぱり筋が良いんですよね、僕なんかと違って……はは……。
やっぱり騎手の娘だからですね? センスとかほら、そういうのが、……ね?」
彼は……同期のなかで唯一競馬に関わりのない一般家庭の出だ。とは言っても、私も父が騎手ではあったが、十五になるまでその事実は知らなかったので彼とスタートラインはほぼ変わらない。
わからないことはよく相談し合ったこともあり、勝手に親近感が湧いていた。
そつなく四人へのインタビューが終わる。
すると、いよいよといった具合で張り付いた笑顔でこちらへ向かってきた。
私がメインディッシュというわけだ。
腰に手を当て仁王立ちで彼を迎える。
「お待たせしました日鷹さん。早速なんですが――」
「私が“鳶島大洋”の娘だから取材に来たんですか?」
「え?」
当たり前だろ、と男の顔に書いてある。
まあ、競馬学校の一生徒へわざわざ大手ニュースサイトが取材に来ているのだからそれなりのバリューがあるということだろう。
「それならはっきり言って迷惑です」
インタビュアーは面食らった表情を見せる。
「――でもこの道を選んだのはやっぱりお父さんの影響でしょう?
高校進学が決まってたのに、それを辞めて競馬学校受験のために二年間浪人までしたんですから」
「たしかに、父はこの道を目指したきっかけですが、それは騎手になった動機ではありません」
「え? それじゃあ、登録名を母方の姓の“日鷹”にしたのはなぜですか?」
「こういう詮索をされないためです。
もういいですか?」
その場を去ろうとすると、インタビュアーは慌ててこちらの進行方向に割って入った。
なかなかの運動神経である。
「邪魔なんですけど」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!
言い分はわかりました。じゃあ、別の動機ってなんなんですか? それくらい教えてくれてもいいでしょう?」
ね? と、男は泣きそうな顔で念を押してくる。
意地でも動く気はなさそうだ。このままじっとしていても時間切れになるのでそれでも良かったのだが、この男とにらめっこをする気分でもない。
「……ノッキンオンハート」
「え?」
「彼に出会ったから私はここに来た。それだけです」
呆然と佇む男を残し、その場を後にした。
競馬学校に進学してからあっという間に時が経ち三年目の二月。卒業がすぐそこに迫っていた。
騎手課程に最初十二人いた同期は今では五人だ。最初は驚いたが毎年そんなものらしい。
「整列!」
教官の声が響く。急いで先程の四人と共に整列した。
目の前に立つのは教官の倉先生。
私たちが生まれるかどうかという時までは中央競馬会の騎手であり、大きなレースでも活躍したらしい。若くして怪我で騎手を引退した後は競馬学校に籍を置き、後進の育成に当たっているのだという。
まあ、ごたごたと述べたが現役時代を見ていない私たちにとってはただの仏頂面の鬼教官だ。
じろりとこちらをひと睨みし口を開く。
「いよいよ来週は卒業前最後の模擬レースだ。
同期だけでレースをするのは泣いても笑ってもこれで最後になる。来月になれば嫌でも海千山千の奴らと一緒に走ることになるからな。
――まあ、お前らが馬に乗せてもらえればの話だが」
場がしんと静まり返る。教官は口を真一文字に結んでこちらを再び睨んだ。
「……笑うとこだぞ。ただの冗談だろ」
「そんな厳つい顔で冗談言うほうが悪いわ」
番場がぼそっと呟いた。
教官がひとつ咳払いをする。
「とにかく! この競馬学校で学んだことをすべて出し切りレースに望め!
ここまでお前たちにはみっちり仕込んできた。お前らにもう言葉は不要だろう。
決して悔いのないように乗れ! 以上だ!」
「はい!」
私たちは解散した。
「おい、番場」
「? ……はい!」
背後で教官が番場を呼び止める。歩きながら耳をそばだてると会話が聞こえてきた。
「……体重管理が甘くなってるぞ。気を引き締めろ。これから何十年とこの生活は続くんだ」
「……はい、すいません」
腹部を擦る。
馬に乗るのはとても楽しいものだが、空腹だけはどうしても慣れなかった。
競馬にはレースによって負担重量といった馬に課せられる重量が定められており、レースによって異なるが一番軽い重量になるとたった四十九キログラムしかない。体重と馬具などを合わせてこの重量を下回らなければ騎乗する事すらできず、更にはペナルティを課せられる。
全ての騎手は馬を御する体を作りつつ体重を増やしてはいけないというジレンマを抱えているのだ。
それほどに体重管理は騎手にとって極めて重要な仕事のひとつであり、そういった点で私にご飯をよく食べさせようとした母は実に理に適っていた。
過去の自分の美意識の高さにつくづく感謝したいものだ。
番場は百六十センチメートルの私より十センチメートルほど大きい。これは平均身長が百六十センチちょっとである騎手にしてはかなりの高身長だ。小耳に挟んだ話では地方競馬の現役騎手である父からは騎手の道に進むことは何度か止められたらしい。
話を終えた番場がこちらの視線に気付き、手で追い払う仕草をする。
「おい、見せもんじゃねーぞ日鷹」
「私がダイエット方法でも教えて上げようか?」
番場は私の言葉を鼻で笑う。
「身長伸ばしてから出直してこいチビ」
「はあ!? 私は女子の平均身長よりずっと高いの! あんたデリカシーってもんがないの?」
「そんなのは糞と一緒に流した」
「ちょっと、模擬レースの前だってのにくだらない喧嘩するんじゃないわよ。少しは由比を見習ったら?」
横で愛が呆れた顔で肩を竦める。
「まあ、あんたたちは優勝争い脱落してるから関係ないか」
「あ?」
不本意ながら番場と声が重なった。
競馬学校在学中、模擬レースは複数回行われる。各レースの着順はポイント制になっており、その合計点が最も高い者が優勝となる。ポイント数は公表されていないが、これまでのレースはほぼほぼ由比と愛が一着、二着を独占していたので残りの私たちに総合優勝の芽はない。
「総合優勝争いからは脱落したけど最終レースで一位になることは出来るでしょ? ていうかするし!」
「俺が優勝するに決まってんだろ!」
「まあまあ、みんな落ち着いて」
言い返す私と番場の間に長谷くんが入ってくる。こういう揉め事になるとまっさきに止めようとするのが彼だ。
そんな彼に番場は顔をくっつけんばかりに近付けて噛みついた。
「お前はどうなんだよ! 悔しくねーのか! あんな事言われてよ!」
「そ、それは……」
長谷くんは困ったように争っている双方を見やった。
「……ぼ、僕だって勝ちたい……けど」
「よく言った!」
番場はその言葉に背中を強く叩き、満足そうに肩を組む。
なぜか私も反対側で肩を組まれた。
「いいか! 由比! 四王天! そんな風に天狗でいられるのも今だけだ!」
「そ、そうだそうだ!」
愛はこちらを見て笑う。
「そう、楽しみにしてるわ」
「四王天、わざと煽っただろ?」
由比が愛に向かって問う。
「……さあ? でも張り合いが出てきていいじゃない。このまま私がすんなり優勝してもつまらないし。
じゃ、私は戻るから」
そう言って立ち去ろうとする愛を由比が呼び止めた。
「四王天」
「? なに?」
「優勝するのは僕だよ」
愛をまっすぐと見据える由比の目は純粋な自信に満ちている。
愛は呆れたように笑った。
「やっぱアタシ、あんたが一番苦手だわ」
二◯✕✕年二月✕日。天候は晴れ。
卒業模擬レース。
学生最後のレースが、始まる。
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