第86話 カトルカール

「お待たせしました。カトルカールです!」

「ほう?」


 戻ってきた男が持っていたのは、皿に乗った二つのパウンドケーキだった。ご丁寧にフォークまで付いている。ここで食べろってことかな?


「どうぞ、味見してみてください」

「ああ」


 見た限りだが、埃とかゴミが付いているわけでもないし、なにか混じっているわけでもない。カトルカールの綺麗な黄色い断面が見えている。プレーンのようだな。


 オレはフォークを持ってカトルカールを一口大に切る。カトルカールはしっとりとしていて、どっしりと重い感覚が手に返ってきた。


 うーん……。出してもらって断りずらいが、本当に食べても大丈夫だろうか……?


 オレは意を決してカトルカールを口に放り込んだ。


「ふむ……」


 口の中でホロホロと崩れていくカトルカール。そして、優しい甘みと強いバターの香りで口がいっぱいになる。うまい!


 オレには前世の記憶がある。その中でもパウンドケーキがここまでおいしいと感じたことはない。それは前世でもそうだし、侯爵家の嫡子として贅沢した生活でも、こんなにおいしいパウンドケーキは食べたことがない。このパウンドケーキ、カトルカールは完璧だ!


「うまい……」


 気が付けば、勝手に口がそう呟いていた。


「ジル様? 大丈夫ですか?」

「おいしいよ。アリスも食べてみて」

「え?」


 オレは一口大に切ったカトルカールをフォークに刺すと、アリスの顔の前に差し出す。するとアリスはオレのように迷うような様子をみせることなく素直にカトルカールを頬張った。


「おいひい……!」


 アリスが幸せそうな表情を浮かべて、落ちそうになるほっぺたを両手で支えていた。


 アリスも気に入ってくれたようだ。まさか、こんな所に極上のスイーツがあるとはな。誰に予測できただろう。


「アリス、このカトルカールはどうかな?」

「いいと思います!」


 アリスもすっかり気に入ってくれたようだね。


「店主、他の種類はあるのか?」

「すみません。うちはカトルカール一筋です」

「いや、このカトルカールの他の味はあるのか?」

「他の味、ですか?」


 店主の男が目をぱちくりさせる。


「カトルカールはカトルカールですが……。他の味でもあるのですか?」

「ある!」


 どうやら、男は他の味のカトルカールを知らないらしい。プレーン専門店なんだろうか?


 たしかに、ここのカトルカールの味は抜群にいい。だが、見た目が地味すぎる。違う味も一緒に出して、クリームやジャムなどを付けて見た目をカラフルで豪華にしないと貴族受けは難しいかもしれない。


「他の味のカトルカールも作ってくれないか? お前の腕なら、きっと素晴らしいカトルカールができるはずだ」

「えっと、その、お貴族様? 私はこのカトルカールの作り方しか知らないのですが……」

「大丈夫だ。オレがレシピを教えてやる」

「本当ですか!?」

「ああ」


 オレもあんまり詳しくないが、とりあえずチョコレートや粉になるまで挽いたお茶の葉、あとは柑橘系の皮やドライフルーツなんかを入れればいいだろう。


 個人的には抹茶味が食べたいが、この国には抹茶がないのが残念だ。日本のスイーツが恋しいよ。


「お茶の葉……。そんなもの入れて大丈夫なんでしょうか?」

「ジル様、わたくしも不安です……」


 見れば店主もアリスも困惑したような表情を浮かべていた。


 そういえば、クッキーはあるけどお茶味のクッキーはなかったな。お茶の葉を粉末状にしてお菓子に練り込むのは、まだ発明されてないのかもしれない。


「大丈夫、大丈夫。その代わり、ちゃんと挽くんだぞ?」

「はあ……?」


 店主がいまいち信用してない顔で頷く。


「とりあえず、今日のところはカトルカールを一つ貰おう。それから、十日後のお茶会用にいくつかの種類のカトリカールを注文しようか。アリスもそれでいい?」

「はい!」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!? と、十日後!? 十日後にお貴族様のお茶会に新しい味のカトルカールを出すんですか!?」

「そうだが?」


 店主は信じられなものを見るような目でオレを見た。


「カトルカールは、たしかに味には自信がありますが、見た目が……。お貴族様の期待に応えられるかどうか……。それに、新しい味を研究する材料費が店には……」


 オレは薄暗い店の中を見渡す。綺麗にはされているが、ボロい店内だ。きっと資金繰りには苦労しているのだろう。


「心配するな。オレが研究費を出す」

「え!?」


 オレは驚く店主に小分けにしておいた革袋を渡した。


「お、重い? あの、これは……?」

「とりあえず金貨が百枚入っている。これで最高のカトルカールを作ってくれ」

「ひゃ、百枚!? 金貨が!?」

「それは手始めだ。新しい種類のカトルカールができれば、追加で料金を払う」

「ひょえー!?」


 新しい種類のカトルカールならば、きっと貴族のお茶会でも話題になるだろう。アリスの株も上がるに違いない。


 オレとしてもアリスが自信を持ってお茶会で出せるお菓子が見つかって一安心だ。


 十日後開かれたお茶会では、カトルカールの話題で持ち切りだったとだけ言っておこう。

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