第39話 忘れがたい初恋
そのあと、専門的な話を始めてしまったアリスとカチェリーナと別れて、オレは錬金工房を後にした。
気兼ねなく接してくれる気安さからか、アリスもカチェリーナのことを受け入れ始めていたし、たぶん大丈夫だろう。
まぁ、オレが錬金工房を出ていく時は、まるで捨てられた子犬のような顔をしていたが……。そんなアリスもかわいらしい! 少し心が痛むが、これもアリスの為なんだ。レアなアリスの姿が見れてラッキーだったな!
「フォートレル男爵」
「……ん?」
フォートレル男爵ってオレか。あまり呼ばれ慣れないから、一瞬誰のことかわからなかったぞ。
後ろを振り返ると、見覚えのない少女が立っていた。制服姿だから生徒だろう。
「何か?」
「エグランティーヌ様がお呼びです。ご同行願います」
「ああ……」
エグランティーヌが? いったいなんの用だろう?
女子生徒に付いて行った先には、王族専用の離宮があった。部屋の中に入ると、エグランティーヌを中心に五人ほどの女子生徒たちの姿があった。よく見たら、教室で見た女子生徒の姿もある。これがエグランティーヌの従者ってところか?
「エグランティーヌ様、フォートレル男爵をお呼びしました」
「ありがとう」
オレは部屋に入るとすぐにひざまずく。
「ジルベール・フォートレル。お呼びと聞き馳せ参じました」
「……ジルベール、ここは公式な場ではありません。そのようなマネは不要です」
「かしこまりました」
顔を上げると、顔を少し歪めたエグランティーヌの姿が見えた。王族として厳しく躾けられているエグランティーヌが感情を表に出すのは珍しいな。まるで子どもの頃に戻ったみたいだ。
「みなさん、少しだけ下がっていてください」
「ですが姫様、姫様を殿方と二人にするわけには……」
「少しだけでいいのです。おねがいします」
「……かしこまりました」
エグランティーヌはなにを考えているのか、お付きの少女たちを下げてしまった。
部屋にはオレとエグランティーヌだけになる。
「ジル、立ってください……」
「はっ」
「……もうあの時のようにわたくしをバラとは呼んでくれないの?」
なにを言い出すかと思えば……。
「私はもうムノー侯爵家の跡取りでもなければ、侯爵家の人間でもありません。当然ですが、もうエグランティーヌ様の婚約者でもありません。そのようなマネは許されません」
オレとエグランティーヌは、かつて婚約者同士だった。オレがまだ次期侯爵として期待されていた頃の、ギフトが判明する前の話だ。五歳の時に婚約したから、丸々五年エグランティーヌと婚約者だった計算になるな。
「わたくしは! わたくしは……。幼い頃からあなたと結婚すると思っていたのです……。それが急に婚約者があなたの弟のアンベールに変わって……。あの幼い頃の約束は、この二年で無くなってしまったというのですか!?」
たしかに、オレはエグランティーヌと将来を約束した。しかし、それはもう果たせない約束だ。
「あなたを五年も想ってきたのです……。たった二年で、はいそうですかと忘れられるわけがありません……」
きっとエグランティーヌは、愛情深い少女なのだろう。そして、たぶん初恋がオレなのだ。それが、いつの間にか婚約者がアンベールに変わってしまった。この二年間、彼女はどんな思いで過ごしてきたのだろう。
「今の私は、なんの力も持たない名前だけの男爵にすぎません……。それがすべてです」
エグランティーヌにも同情するべき点はある。だが、オレたちを結んでいた糸は切られてしまったのだ。もう結び直すことなどできない。
「もうお互いに忘れましょう。私たちの間にもう未来などありません……」
「あぁあああああああああああああああああああああぁぁぁぁあああああああ!」
エグランティーヌは、泣き伏せてしまった。オレが泣かせてしまった。
「姫様!」
「姫様!?」
エグランティーヌの嗚咽を聞いたのだろう。お付きの少女たちが戻ってきて、オレを睨みつけてくる。
「フォートレル男爵、姫様になにをしたのですか!?」
「ち、ちが、違います。ジルは悪くはないのです。悪いのは、わたくしの弱い心なのです……」
「姫様……」
「エグランティーヌ様、御前、失礼いたします」
「あ、ジル……」
オレは頭を下げると、踵を返して離宮を後にした。
エグランティーヌ。彼女は純情過ぎる。そんな少女を泣かせてしまったことに罪悪感を覚えるが、オレとエグランティーヌが結ばれる可能性はゼロなのだ。期待を持たせる方が悪だ。
それに、オレにはもうアリスという立派な婚約者がいる。浮気など許されない。
「エグランティーヌ、さようなら。たぶん、初恋だった……」
そっと呟いて、エグランティーヌのことを忘れるように努めた。
しかし、アンベールと婚約しているエグランティーヌだが、このままいくと、そのアンベールとの婚約も破棄されることになる。
大人たちの政治的な事情に翻弄されるエグランティーヌが憐れでならなかった。
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